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2005年6月21日

日常生活への脳力開発の適用がうまくいった場合とうまくいかない場合

日時:2005年6月21日(火)19:00?21:00
場所:学士会館
スピーカー:時藤 稔明氏

2005年6月 例会の報告

今月は「日常生活への脳力開発の適用がうまくいった場合とうまくいかない場合」について時藤さんより報告して頂きました。ポイントは「脳の戦略的自由」の重要さです。

1.経緯とうまくいった事例

 1997年大阪で日比野先生の脳力開発に出会いました。思考方法に限定し、戦略ー戦術を明快に説明し、現実の生活・仕事に役立つ予感がありました。例会では指定された指針について実践事例の発表を行う形式でした。 脳力開発を始めて1年後、小学校のPTA副会長と同時におやじの会の立ち上げもセットで要請があり、面白そうなので受けました。それには脳力開発の事例として好都合という思いもありました。 Oー157の一番ひどかった小学校で夏休みのプール開放、耐寒登山、ウインターフェスティバルの食べ物もすべて中止になり、また地域の祭りも運動会も中止になりました。引き受けた時も中止のままでした。 私の子供に何をして欲しいと聞くと、祭りをやって欲しい。それとプール開放とウインターフェスティバルの食べ物もとの希望でした。 PTAはお母さん中心の組織で、副会長は役員会の司会だけでよいとのことでしたが、毎月の問題解決に積極的に動きました。 すぐの問題が、PTA主体のプール開放についての議題で、やらないことを確認でした。 理由は事故が起きたときの責任をどうとるのかという問題とお母さん方の監視の負担でした。監視はおやじの会が担当する、事故については市の障害者施設のプールの運営を受託している会社に依頼し万全を期すと段取りを整えましたが、役員会で決心できませんでした。この経緯を見ていた校長先生が次の年に「プール開放は学校でやります」と言ってくださり、結果としては実現しました。ウインターフェスティバル(文化祭のようなもの)での食事を出そうと、「おやじの会」で「もちつき」を提案しました。Oー157事件を理由に女性陣の猛反発を受け、またタイミング悪く和歌山のカレー事件が起きました。 おやじの会のもう1人の代表とPTA会長と私の3人で「やるか、やらないか」を相談。 ここでOー157事件を引きずることをやめないと食べ物は永遠に出来ないと「やる」と決心しました。 プール開放問題の反省を活かし、戦略決定を先にしました。 後は最悪の場合、説明責任が果たせるように衛生面、安全面を徹底して行うことでした。メンバーの実家からもち米調達、メンバーの特定と衛生のためエプロンバンダナ着用、不審者確認のためVTR撮影等々。地域の祭りは別チームが動き復活しました。 仕事では、兼務で彦根工場の新事業Grへ。新事業、商品企画の経験者がおらず頼りにされる。トッププレゼン前、古手の方が混ぜ返し、大小の問題をゴチャゴチャに議論し、混乱していた。 30分時間をもらい戦略ー戦術の相対列で整理し、議論すべき課題を特定し、なんとか切り抜けました。 親戚との土地問題。おじいちゃんがこう言っていたとかの言った言わないの話になり、加えて母親と叔母の感情の問題になり大揉めでした。そこで、おじいちゃんがこう言ったとかはなしにしよう、登記上の境界線をまず引いてみようと事実から出発し、解決することができました。 護身道協会の拡大・発展について。誰でも出来る普遍性の武道で意思統一でき、級クラスのカリキュラムを改定しました。内部が固められたので会員獲得のためのプロモーションの段階にきています。 また護身道を教えたく、4月より大阪・泉北でおやじの会対象に月1回護身道教室。東京でも月2回日曜日に個人レッスンを実施しています。 それ以外に、護身道をうまくなるため、人生を意義深く生きるために、身体の法則を極めるため、練気柔身法、心道、操体(身体科学会)、他にアヒムサ健康法、天真書法塾(瞑想から入り霊性を上げるための書法)に一所懸命励み、楽しんでいる自分があります。身体の法則にそった動きになっているかをチェックするために地区のソフトボールを継続しています。結果は打率、守備力、遠投力が向上し、成果が出ています。実際は遊ばせてくれるところがあって喜んでいるところです。 6月より1年後にフルマラソン出場を目指してマラソンを開始しました。

2.課外活動に熱心な自分があった

小学の時、遊びが楽しくて仕方ない。夏休みは毎日、満潮に合わせて海水浴、昼間子供同士でソフトボール、干潮のときに釣りの餌堀、夕方大人とソフトボールそして夜釣り、帰ってばったり寝る。一番楽しかったとき。 中学はバスケットに夢中。2年の夏まで先生、コーチなしのチームでしたが、新チームのキャプテンになったとたん、熱心な先生とコーチの指導が始まる。3年計画の一年目。2年後輩は県体3冠王。バスケット引退した三年の秋以降は駅伝部に参加。 高校は4時から12時の受験勉強と0時から2時の読書に集中。唯一の楽しみは昼休みのソフトボールとそのための夜の素振り。 大学はボートに熱中。トレーニング担当で後輩を指導。琵琶湖での朝日レガッタで3位入賞。会社に入っても、ボディビルビル部のマネージャー業務に燃える。予算獲得が実質的に6倍に。家内に「あなた仕事の話を全然しないね、ボディビルビル部の話ばかりね」と言われる。仕事では語りたいことはなかったのです。39歳から1年半トライアスロンに熱中。 小学校のとき家は農業で家にお金がなく、将来はバリバリ働いてお金を稼ごうと思っていました。しかし人生を振り返ってみると、本業はそこそこに、課外活動に熱中していました。

3.一方、仕事がうまくいかない自分がありました。なぜか分かりませんでした。

基本的には上昇志向だと思っていましたが、就職活動のとき担当の教授から「寄らば大樹の陰」と言われ、スコンと自分の中に入りました。オイルショックの後で就職難の時とはいえそう思ったのはそういう素質があったからかと思います。 環境が整えられた仕事や期限のない趣味の世界ではうまくいく。逆に環境が充分でない仕事では、うまくいきませでした。 それでもそこそこの成績が出ているときは満足度が高いですが、そうでないときはストレスの塊になりました。なぜそうなのかが分かりませんでした。

4.なぜ課外活動はうまくいき、仕事はうまくいかないのか。

なぜ趣味・遊びはうまくいくのか、うまくいかなくてもなぜ楽しく励むのか。なぜ仕事はうまくいかないのかが、次の一連の出来事で分かりました。  
(1) コーティング入門セミナーの演習の簡単な質問で、その原因と対策が分かりました。
Q1あなたの問題は何ですか
Q2理想の状態と今の状態のギャップは
Q3そのギャップはなぜ起こったのですか
Q4どうすればよいと思いますか
仕事は難しいと思ったら、出来る範囲でこなすだけでした。そのことを自己正当化していた。仕事では嘆きの人生を送っていたのに、自分ではそのことに全く気付きませんでした。気付きたくなかったのかもしれません。成果を出すための条件作りが仕事という脳力開発の原点ができていませんでした。
(2) かとうみちこ氏の例会での話で「嘆きの人生のマイナスエネルギーはすごいよ。」と聞き思わず納得しました。仕事で一歩引くことがすごいストレスになっていることに気付きました。
(3) 頭がクリアーの時に、仕事での嘆きの人生になったのは、自分でブレーキをかけていた、「脳の戦略的自由」を奪っていたと気付きました。「義務」と感じるところに脳の戦略的自由はないですね。
(4) 少し主題から逸れますが、サイボクハムの見学会で、笹崎社長が「ブタと1日過すと囚われもゴミも取れていく。ゴミが取れて残ったものを選ぶとたいていは間違っていない。頭で考えると間違う。」とおっしゃられました。情勢判断学にも、自然体で素直に感じる修行が必要ではないかと思います。 この一連の出来事を通して、城野宏先生の言われる「条件つくりが本当の仕事」「脳の戦略的自由」の意味がやっとわかりました。

5.今後は仕事において「脳の戦略的自由」をもって取り組みます。

仕事で「成果を上げたいのか、上げたくないのか」と問われると、「成果を上げたい」と答えます。仕事において、自分でブレーキをかけずに、脳の戦略的自由をもって、思いっきり取り組むみたいと思います。 これから思いっきり取り組み成果を出すには自分の強みである体操法、体の法則など自分の趣味・遊び・ライフスタイルを仕事に生かすのが有効と思います。現在の健康関係の仕事では、ここでは脳の戦略的自由を得てやっていますが、趣味・遊びの知識、見識が活きています。 人生目標としては心穏やかに、人格を高める方向に修行を積んで行きたいと思います。