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2005年9月26日

理念(志)を基本にした創業の人生

日時:2005年9月26日(月)19:00?21:00
場所:学士会館
スピーカー:黒田 悦司氏

2005年9月 例会の報告

理念を基本にした創業の人生

くろだワークス 代表 黒田 悦司 氏


 37歳の時「脳力開発」の創始者城野宏先生との出会いがありました。
 先生にお会いした当時、私は日本コロムビアに勤務しておりました。秋葉原を担当し、まさに日の出の勢いでした。
営業成績は何年間も全国一位で、取引先、社内からの信頼も厚く、部下もどんどん昇格させ、順風満帆の日々が続いていました。しかし、ある時期初めて、自分の立てた販売計画が達成できないという事態に遭遇したのです。そんな状況の中、「転機の行動学」という本をきっかけに、城野先生をお訪ねしました。その後、脳力開発を学び、講師として先生からご指導いただくなかで多くの事を教えられました。
 すると、今まで常に主体的に物事を考え、行動していたと自負していた自分の中に、困難なことから逃げている自分が見えてきたのです。
 それまでずっと「自分を変えよう」「脱皮しよう」と、やってきたはずなのに、実は幸運にも続いていた成功体験にしがみついて、自分の根本的行動パターンは少しも変えようとしていなかったということに気づいたのです。そして、本当の意味で前向きに、人生を活きるように自分を変えることが出来たのです。その後の人生は「嘆きの人生から楽しみの人生」に変わっていきました。

 四十代の半ばに大和信春先生との出会いがあり、問題解決学や情報統合技術などを伝授していただきました。自分の理念を探究し、その理念に添った生き方をしたいと考えるようになり、多くの人達に理念探究の機会をもってもらうには理念づくりを総合的にアドバイスし、理念探究をサポートする態勢が必要だということを強く感じました。平成6年12月、「理念制定式、くろだワークス創業の集い」を全国の友人諸兄五十余名に集まっていただき、市ヶ谷の私学会館でとりおこないました。
 翌年、自宅兼研修所として、茨城県霞ヶ浦の近くの林の中に天命舎が落成しました。天命舎の命名には、天命探究の学舎という意味がこめられています。天命舎に来るには都心から2時間ほどかかります。宿泊研修のような形になります。ここまで来たからには、日常の雑事を忘れ、全力を傾けて探究するぞという心の態勢ができてきます。天命舎に来るまでの時間と距離が、来る人のモードを半強制的に変えてしまうのです。実際の作業から少し離れてみたときに、行き詰っている思考の突破口が開けたり、夕食時の会話や、朝の散歩時の会話から意外な展開が見えたりすることもありました。

・理念探究の進め方
 理念の探究は、鉱脈を探る作業に似ています。
そこに「ある」ことは分かっているけれど、いざスコップを入れてみるとなかなかたどり着くことが出来ない。掘り進めながら、「本当にここを掘っていってたどり着けるのだろうか」と不安になることもあります。私は、自分の理念探究の体験と、多くのケースを支援してきた経験の上に立って、探究に励んでいる方を客観的に見ながら、最も適切と思われるアドバイスを逐次します。具体的に何をどう進めていけばいいのか、助言するのです。
鉱脈を掘り当てるまでに長く時間がかかる人もいれば、露天掘りが出来る人もいます。もともと自分の中にある理念の探求なのですから、諦めなければ必ず探し当てることが出来ます。順序としては、先に人生理念づくりから始める人が殆どです。企業の経営者であっても、いずれは企業の前線から身を引く時期がくるわけですから。企業理念探究から始める人もいますが、多くの方が人生理念からということになります。

・理念探究の鍵
 理念づくりがうまくいかない人のケースに、「理念と自己実現の混同」があります。自己実現も理念探究の過程で見えてくる通過点です。
自分のやりたいことをじっくりと見つめたり、目的意識を持ったりしたことのない人には、たとえ自己実現であっても、明解に見えてきたときには喜々とします。宝に見えるわけです。しかし、自己実現と理念は違うものです。その違いをしっかり掴んで、自己実現が見えてから次のステップに上がっていくことが必要になります。本人が、「これが理念だ」と言っても、何かしらの欲得や、成功体験からくるプライドにしがみついていることもあります。その人が出すデータを客観的にじっくり見ていると、それが伝わってくるのです。
つまり、場合によってはそれまで積み上げてきたものすべてゼロにするくらいの覚悟がいるのです。それだけ真剣に自分自身と向き合えるかどうかが理念探究の鍵になります。
お金に対する執着を示す人はそれほどいません。むしろ、それまでに築いてきたもの、世間からの評価、あるいは評価されていると思っているようなものを捨てることがなかなかできないのです。捨てると言っても、そのすべてを否定するわけではありませんが、それだけの覚悟がすぐに決まる人、ためらう時間が短い人、長い人がいるわけです。しかしその間、辛いばかりかというとそうでもありません。少しずつであっても、自分の中で起きている変化はわかりますから。新しい自己の発見があるのです。
「今まで考えたことのないことを考えているぞ」とか、「今、こういうことも考えているな」といった変化です。ためらいながらも、変わり始めていることは自覚できるのです。

・理念制定のあと
 理念探究会は理念を探究するための場ですが、理念を完成させて、それでゴールというわけではありません。理念に添った企業、人生にしていくことが大切であり、そこに様々な問題が発生してくることも少なくありません。例えば、すでに展開している現業についてです。理念を制定したら、それに添って現業を進めていけばよいと浅く理解する人もいるのですが、そうではないのです。理念に添うような新しい事業への足がかりとして、つまり資金を調達するためや、蓄えるために現業を改革し、展開するということはあっても、現業が制定した理念に添っているかということは別問題です。今、各自がやっているのは一つの事業分野であって、理念の目指す方向とはイコールではありません。たまたま理念に添う事業分野であることもありますが、もともとあった事業であって、理念に添って始めた事業ではない。そのときに、現業を理念に添わせていこうとすると、だんだんうまくいかなくて、結局は元からの方法にひきもどされてしまいます。では、どうすればいいのか。今までの例を見ていると、本当にやろうという決意を持った人は、現業をやりながら理念に添った新しい事業を拓いています。

・現業からの脱皮
 理念を探究する過程では、現業についても深く掘り下げて考えていきます。自分にとって現業がどういうものなのか、現業のなかで自分は何をしているのか、どうすべきなのか等々。ですから、理念が出来た時に、そこには自分の役どころがないと分かって人に任せるとか、あるいは手放した方がいいとなることもあります。
その課題がスムーズに進むケースの場合は、迷い無く新しい方向へ踏み出せます。むしろ、現業がそこそこうまく展開している場合の方がいろいろと問題が出てきます。社員も大勢いて、日々の業務が山積している状態から新しい方向へ進もうとする場合です。変化を望まない社員に不安が広がり、不満が表出することもあります。
社員にとっては、それまで当たり前と考えていたことが、そうでなくなったり、個人の人生設計を変更せざるを得なくなったりすることに不満をもつこともあるでしょう。当然、離れていくことになる社員を出す結果にもなります。私はそれも仕方のないことだと考えています。理念に共鳴できる社員しか結局は残りません。理念や天命は企業や経営者だけにあるものではないのです。
立場が不安定になったり、給料が低くなったりしても、企業の理念が明確になり、自分の中にそれに呼応するものがあれば、前にもまして納得して働くことが出来るようになります。給料も安定も、欲しくないわけではない。しかし価値観が変化し、求め方の中身が変わるのです。
そういう変化の中に身をおいて、社員も自分に向き合うようになるのですから、たとえ離れる人がいたり、理解できない人がいたとしても、企業全体として悪い方向へ行くということはありません。

・理念浸透が本番
 理念浸透は、理念探究以上に大切で、理念探究を始めたときからの情報発信もまた、非常に大切なことです。
理念は、「これがいいから」と言って、「ああそうですか」と伝わるような容易なものではありません。しかし、最初はまったく理解しなかった社員が、「そういう生き方、働き方もあるかな」と思い始めるようになると、人間本来持っている良い面がどんどん出てくるようになります。企業に関わる一人一人が、それぞれ自分と真剣に向かい合うようになり、生き方を真剣に考えるようになったら、それほど素晴らしいことはないでしょう。

くろだワークス
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