« 2006年4月 | メイン | 2006年6月 »

2006年5月10日

新しい時代における法のあり方

5月例会 5月10日(水)19:00?21:00
場所 学士会館 310号室
担当 元・検事、現・公証人 古川 元晴 氏
テーマ 新しい時代における法の在り方
    ?裁判員制度を中心として
<古川元晴氏プロフィール>
67年検事任官、東京等の検察庁勤務を経て、法務省刑事局参事官、内閣法制局参事官、法務省刑事局課長、最高裁司法研修所教官、法務省官房総務審議官、甲府・広島・京都各検察庁検事正等を歴任、01年退官して現在、麹町公証役揚に公証人として勤務。

 いわゆる「裁判員制度」が09年までに実施されることになりました。この裁判員制度は「選挙人名簿からくじで選ばれた裁判員が、裁判官とともに裁判体を構成して、死刑・無期等の一定の重大犯罪事件について審理し、有罪・無罪の事実認定や刑の量定判断をする制度」です。この制度が発足すると、有権者である限り、裁判員として刑事裁判に関与せざるを得なくなります。
 裁判員制度は、司法改革の一環として実施されるものですが、この司法改革は、例えば司法試験合格者をこれまでに年間500人から1000名余まで増やしてきたものを更に3000人にまで増やすロースークルの導入など、1.明治の改革、2.戦後の改革、に次ぐ第三の改革と言われています。
Ⅰ 裁判員制度の趣旨
  法律には、「国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続きに関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資する」ために創設されるものである旨規定されています。
Ⅱ 裁判員制度の概要
1 裁判員の選任方法
(1)地方裁判所が「裁判員候補者名簿」を作成(その前提として、市町村選挙管理委員
会が選挙人名簿被登録者からくじで選定して「裁判員候補者予定者名簿」を作成)
(2)地方裁判所が事件ごとの裁判員候補者を選定して呼び出し、不適格者等の除外手続きを経て、くじ等の方法で裁判員及び補充裁判員を選任
2 対象事件
(1)死刑又は無期に当たる罪に係る事件
(2)短期1年以上に当たる罪に係る事件であって、故意に死亡させたもの
 <注>被告人は、裁判員制度を辞退できない。
3 裁判員の関与の内容
(1)合議体の構成
   原則:裁判官3人+裁判員6人
   例外:裁判官1人+裁判員4人
(2)裁判員の関与する判断
①事実の認定 ②法令の適用 ③刑の量定
4 裁判員の関与の方法
(1)公判への出席
  ①証拠物や証拠書類の取調べ
  ②証人尋問や被告人質問
(2)評議(議論)
(3)評決(多数決)
(4)判決宣告への立会い
Ⅲ 検討
1 裁判員制度の特徴 
  今回の裁判員制度は、陪審制ではなく参審制であることと、刑事事件の重大事件に限定して行われることが特徴といえます。
  陪審制は、訴訟的真実主義の下に、裁判が国民によって行われて、決定が出たらそれが真実だとする考え方です。真実は神にしか分からないものであるとして、昔は決闘させて決めたり、神の占いで決めていたことがあり、陪審制もそのような類のものとして誕生した経緯があって、決定に対し理由がいらないという特徴があります。そして、昔は王による決定だったものが、王から国民に裁判を取り戻す歴史のなかで陪審制が育ったということがあります。このような歴史的背景を有する国の場合には、陪審制に国民的理解があります。特徴として理由がいらないということは、原則として控訴が出来ないということであり、有罪か無罪かが陪審員によって決まればそれが真実なのであって、これを変えることは出来ません。他方、参審制は、国民が審議に参加するということで、素人の判断には問題があることを前提として、職業裁判官と素人が合議して決めるという制度です。
  今回の日本の制度はこの参審制を採用しています。有罪又は無罪を多数決で決定しますが、有罪と決定する場合には、少なくとも裁判官と裁判員の両方が1名ずつ決定に加わることが必要です。また、控訴することもでき、その場合は裁判官のみで審議される上級裁判所での判断になります。この裁判員制度導入の原動力となったのは陪審制推進論派の人達ですが、これらの人にとっては、陪審制ではなく参審制にとどまったことに不満が残る結果となっています。

2 裁判内容(事実認定)への影響
  職業的裁判官の専門性と国民の健全な常識が合わさって、従来より良い内容の裁判
が期待できるという意見から、従来の日本の誇るべき精密な審理方式が粗雑審理化した
り、裁判員の常識が必ずしも健全であるとは限らないなどから誤判の危険性が増大する
との意見まで様々な意見があります。
  各国の法体系には、大きく分類すると英米法の流れと大陸法の流れとがあり、英米法では帰納的発想により判例主義がとられ、ケースメソッドが中心になります。黙秘権が尊重され、もともと自白などは得られないものとして、それを補う代替措置を導入することによって、より効果的に対応しようという考え方です。そこから、刑事免責やおとり捜査、司法取引等の制度が考案され、本当の巨悪についても効果的に処罰しようとしています。他方、大陸法系は、演繹的発想により論理的で法体系が精緻になります。そして、実体的真実主義の下に、真実を解明してゆくことに重点が置かれます。
日本も、基本的には大陸法系であって、黙秘権も認められていますが、捜査については、粘り強い取調べにより自白に導き、真実を解明することを目的とした綿密な捜査がおこなわれています。その反面、自白が得られれることを前提とした制度にとどまるため、否認されて証拠がつかめなければ疑わしきは罰せずということですから、否認して捜査に協力しなかった人ほど証拠が集まらず、悪いやつほど無罪、放免になることが多いという問題があります。また、裁判についても、綿密な捜査を前提とした精緻な審理が行なわれていますが、この審理を特に困難ならしめている問題として、関係者が捜査段階での供述(自白等)を裁判で覆して異なった供述をする場合に、いずれの供述が信用できるのかについての審理が難渋するという問題があります。日本では、捜査段階で自白しても世間体もあるので、起訴されてから否認することも多く、捜査段階でいかに有力な証拠を集められるかが勝負になります。なお、検事調書と警察官調書では証拠能力に違いがあり、起訴された後に証拠として採用されるのは主として検事調書でして、裁判で捜査段階の供述を覆した場合には、この検事調書の任意性、信用性が激しく争われることとなります。
そこで、このような綿密な捜査を前提とした精緻な裁判に、不慣れな素人が加わることが、理念はともかくとして、現実問題としてどのような影響をもたらすのかが真剣に検討、検証されなければなりませんが、残念ながら、素人判断の光(プラス)の部分(「司法に対する信頼の向上」に資する面)のみが語られて、陰(マイナス)の部分(「司法に対する信頼の向上」にそぐわない面)に触れることはあたかもタブーであるかのように、検討、検証が回避されている点に、重大な問題があります。陪審制では、例えば米国では審議のなかでメモもとれないので最終的には直感で決めることになりますが、歴史的な背景からそれで良いのだということが国民のコンセンサスとして存在しています。しかし、日本にはそのような歴史的経緯も国民的コンセンサスもないし、今回の裁判員制度についても、これまでの日本の捜査、裁判の在り方や法体系にはふれず、むしろそれを前提として導入されようとしているわけですから、この検討、検証は、参加する国民の真の理解を得るためには不可欠なはずで、それが回避されたまま導入されようとしている点に、国民の疑念、不安が拡大する真の理由があるといえます。
  なお、当該事件に関係のある人や偏見を持った人がたまたま籤で選ばれる可能性について、関係があるかどうか等の調査が本人の申告に頼らざるを得ない場合が多いものと思われ、その面からの更なる検討も必要ではないでしょうか。
3 裁判手続への影響
  この制度が裁判手続きに及ぼす影響については、裁判員の負担を極力軽減するために、審理を迅速で分かりやすいものにするべく、審理開始前の準備手続きを充実するなど改善が企画されていますが、これについても様々な意見があります。
特に注目すべきは、捜査段階の供述の任意性、信用性を裁判で容易に判断できるようにするための方策として、取調過程を録音・録画して可視化を図るということが提案されていることです。取調べにおいては、人間対人間のぶつかり合いの中から自白を引き出していることが多く、取調べの様子をビデオで撮っておいて証拠とすることは取調べを形式的なものにしてしまい、これまでのような真実を聞き出す取調べが出来なくなってしまうことが懸念されています。しかし、反面において、この取調べの可視化は、従来の自白することを当然の前提としていた捜査・裁判の在り方を根本から変える契機をも孕んでいます。取調べによって自白が得られることを前提とした現在の制度では、新しい時代にどこまで適応できるか疑問で、いずれ改革すべき時期が来ることが予想される状況にもあるところから、この取調べの可視化の問題は、今回の裁判員制度の中で、一見副次的なようでありながら、実は最も注目すべき重要な問題であるように思われます。
4 裁判員の負担と、その果たすべき役割の再検討
  この制度による国民の負担については、人を裁くことへの不安感、抵抗感といった精神面の負担と、生活や勤務等を犠牲にするという面の負担とがありますが、この様な負担を強いることについては、主権者として当然に担うべき負担であるとする意見から、強制にわたることは制度の趣旨、目的に反するとの意見まで、様々な意見があります。
  しかし、国民に負担を課すには、それなりの正当性や相当性が必要であることはいうまでもなく、抽象的で空疎な理念によってではなく、現実の国民のおかれている生活状況、職場環境、精神状態等を適切に踏まえた負担でなければ、国民に不当な苦役を課すものとして、憲法違反に問われかねません。
そこで、参審制の原点に戻って、改めて裁判員の果たすべき役割は何かを検討してみると、次の三点が指摘できます。
  ①国民が裁判に参加したというシンボル的、象徴的な役割(象徴的役割)
  ②密室で行なわれていた裁判官の合議のなかに国民が入って裁判官に説明義務を果たさせ、裁判の可視化を図る役割(可視化的役割)
  ③裁判内容に積極的に国民が自分の見解を反映させる役割(裁判変動的役割)
  上の3点のうち、国民の負担という点からみると、①、②、③の順に負担は重くなります。同じ参審制であっても、それぞれの国の制度毎に国民の果たすべき役割は異なりますが、日本の裁判員制度についてはどのように理解すべきかです。巷間、③の役割が強調されているようにうかがえますが、職業裁判官より優れた判断力を持てると確信できる国民がどれ程いるでしょうか。また、そのような役割を果たさなければ裁判員制度の意味はなくなるのでしょうか。実はこのような基本的な点についても国民に何らの説明がされていません。冷静に日本の国民の実情や裁判員制度導入の趣旨等から判断すれば、②の役割こそ主要な役割であると言えるでしょうし、これなら一般の国民の精神的負担はかなり軽減されたものになるはずです。また、国民の中には①の役割しか果たせないという人もいるかもしれませんが、それがその人の現実の姿であるなら是認すべきであって、仮に是認できないのであれば、裁判員から制度的に排除すべきでしょう。いずれにせよ、国民は、裁判員に選ばれようとし、あるいは選ばれた場合には、自らの実情を踏まえて可能な限りで対応すれば足りると、気楽に考えてよいはずです。裁判員制度を導入しようとしている人達も、以上に検討したとおり、本来十分に検討し、国民に説明すべき点を曖昧にして、気楽に対応しているのですから。
5 その他
  この制度により、国民の法意識がどう変わるかです。刑事裁判に参加することにより、
刑事裁判の在り方、裁判全体の在り方、さらには法の在り方についての国民の関心や理
解が深まることが期待されていますが、国民が積極的に問題意識を持って関わって行かなければ意識は変わらないと思います。
  司法の大改革のなかで、裁判への国民参加ということで導入されるのに、国民が参加するのが刑事の重大事件だけに限定されています。民事事件や行政訴訟事件もあるし、刑事事件にしても証券取引法違反、交通違反などの政策的罰則違反事件もあるのに、裁判制度の最も奥深い分野であり、時代の変化と最も疎遠な分野に位置付けられる刑事重大事件だけが選ばれたわけです。刑事重大事件は、一般に自然犯といわれて国や時代を問わずに処罰され、国の秩序維持機能の最たる部分で、司法制度の中では最も保守的な部分に属します。国民を強制的に動員するということからは、国民の司法参加を国防参加に置き変えれば徴兵制にも繋がるという指摘さえあります。
  そういうことを考えれば、国民がこの中に入ったときにどのような法意識を持つかが重大なポイントになりますが、法律や制度を国民の視点から変えてゆくような契機は、今回の裁判員制度のなかには特にうかがえないので、国民一人一人が積極的にそのような意識をもって参加できるかどうかが分かれ目となるでしょう。
*今回のまとめは、編集委員の今井が講演をもとに筆記いたしました。不十分な点はお許し下さい。