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2007年1月23日

グローバル化・情報化時代における教育のあり方

日時  : 1月23日  火曜日
      19:00 ~ 21:00
場所  : 学士会館 310号室
参加費 : 1000円
テーマ :「グローバル化・情報化時代に
おける教育のあり方」
担当  : 古川 彰久

「グローバル化・情報化時代における
           教育のあり方」
古川 彰久
 情勢判断学会東京本部運営委員長、
分科会「いきいき創造の会」主宰、
㈲イキイキライフ代表取締役

<問題提起>
 昨今、教育の問題がマスコミを賑わしている。必修科目の未履修問題が取上げられたと思ったら、瞬く間に日本中に広がった。今度はいじめ問題だ。これもあっちこっちで問題が起こっている。
 いずれをみても、日本の現在の教育のあり方に多くの問題があることは否めない。
 現在教育基本法の改正が論議されているが、もともとの自民党案の中に愛国心の言葉が入れられていたが、この真意は国があってこその国民であるという考えがあるのでしょう。社会あるいは組織と個人の関係で見ると日本の社会はこれまで常に社会あるいは組織優位で、個人は社会あるいは組織に帰属するという考えで運営されてきたといえる。
 従い、教育においても社会や組織に役立つ人材を育てるという発想になるし、そのように育てられた人材は当然のことながら社会や組織へ貢献しなければならないということになる。そしてその社会や組織は日本国の一部であるから、愛国心は当然であるということにもなる。
 これは今の社会や組織が常に最善のものであるという前提なのでしょうか。このような姿勢は情勢判断学からすると、現状維持の発想しか出なくなり、現状を打破する人材は育たないでしょう。
 私が昨年9月の例会で取上げた日本社会の変容をベースに新しい社会における教育のあり方につき論議したいと考えています。平成18年9月度例会でのテーマと私の提言は以下の通りです。

「グローバル化、情報化による日本社会の変容(特に社会と個人の関係の変化)」:
「根本の問題は日本の社会に強く存在する依存や従属の意識であり、新しい時代を乗り切るには、各個人が出来るだけ、自立と自己責任を持って問題を解決していく必要があり、これこそまさに脳力開発が重要な意味を持ち、情勢判断学会の存在意味ではないかと考える。」

 教育はその時々の社会の在り方を反映している。
戦前の教育:国家に役立つ人材の養成、富国強兵、精神主義(精神主義的な覇権思想が戦争へとつながった。)
戦後の教育:民主主義の導入、精神主義の排除貧困からの脱却を目指し、物質重視の価値観で国家、組織の経済発展に役立つ人材の養成
  問題点:拝金思想、拝物思想の蔓延(精神性が欠落)

<これからの教育のあり方についての見解>
1.社会の在り方を改善していく。
(1)心の問題について
 ●情報化の進展により、必要な情報=知識が入手しやすくなり、生活は便利になったが、情報を使いこなす知恵や、更にその背後にある心の問題が浮かび上がってきている。
 ●戦後の日本は物質的な豊かさを求めて、心の問題を隅に追いやってきた。
  (心の問題を論ずると戦前の精神主義に触れざるを得ないし、更に日本の国のあり方にも関ってくるので、論議を避けてきたように思える。)
 ●特に客観性が絶対だという価値観で主観性を排除し、経済的効果を最優先してきたが、今後の社会のあり方を考えると、心の問題への対応、主観性の回復が不可欠である。

(2)社会の変化について
 ●日本の官僚組織の本質は変化を好まな いし、自立した個人では統制できないので困る
 ●これまでは、貿易立国の観点から、国際競争上取り入れざるを得ない経済上のルールを外圧を理由に影響を極力少なくしながら取り入れてきた
 ●これからのグローバル化は、経済的な効率だけでは乗り越えられないし、日本だけのいわゆる国益だけを求めることは許されないでしょう。各国にあるナショナリズムや心の問題にどのように対応するのか。生き方や心の問題にお互いに如何に理解し合えるか。地球上の人がどのようにしたら仲良くよりよい生活が出来るのか、特に心の問題にお互いに踏み込んでいかなければならない。

(3)自立と自己責任について
 ●今後の情報化の進展を考えると、個人の自立を前提にしないと心の問題への対応は安易な昔(もたれあいによる集団主義)に戻ることにならないか
 ●自立には自己責任が伴うし、自分だけ良しでは他の人の協力を得られない。
 ●心の問題はそれぞれの人の自由でありお互いに干渉すべきでないという考えがあるが、お互いに仲良くしたくなければそれで良いが、仲良くしたいならば心を開いて話し合い理解を深めていかねばならない。心の問題こそ本質的に他人が介在できないのだから、お互いに理解しあう努力が必要であり、話合いが不可欠である。

(4)教育のあり方、愛国心とは
 ●知識は教えることが出来るが、心は教えることだけでは出来ない。むしろ育てていくことが必要である。
 ●現在提起されている教育基本法の改正問題で愛国心を押し付けや形で論ずることに懸念を感ずる。(これこそ安易な昔に還ることになる)
 ●自分の生命の存在に感謝してその生命を大切にすれば、他人の生命を認めて尊重することはできるでしょうし、その延長上に国を愛する心が出てくるのは当然でしょう。

2.誰が誰に何を教育するのか。
  我が国の社会の在り方からは、現在のお年寄りまたこれからお年寄りになる人たちがどのような生き様をするのかが問われている。若い人にすがって生きていくのか。自立・自尊で生涯をまっとうできるのか。現在の社会をどのような方向に導いていき、若い人にどういう生き様を提示できるのか。

3.子供達への教育について
  「社会として子供達にどのような大人になって欲しいのか」が問われている。

私の意見
 (1)「明るく、思い遣りがありながら、新しい時代に強く、逞しく人生に挑戦していく」若者を育てて行くべきだと考える

 (2)教育の中には、教えることと、育てることとがある。
  情報化時代においては、その気になれば必要な知識を獲得する方法はある。
  むしろ、有り余る情報をどのように選択し、自分の人生に役に立てていくのか、選択の基準(価値観)が非常に重要になってくる。
  この価値観も、顕在意識上の価値観はもとより、潜在意識上の感性の在り方も含めて考える必要がある。
  このような価値観は、教えられる面もあるが、むしろ、自分の心身の中に育てられるものと考える。(自立と自己責任)

 (3)何を教え育てるのか
  ①自分のかけがえのない「いのち」を自覚し、自分の生きていることに感謝し、自分の人生に挑戦していくこと。(「いのち」とは何か、「いのち」を愛せるか)
  ②自分の「いのち」を大切に出来れば、他人の「いのち」に思いやることが出来る。更に自分の「いのち」を支える環境を認識し、「いのち」が共存していることを自覚する。

  (ご参考)ノーベル賞受賞者 江崎 玲於奈先生が日本経済新聞の「私の履歴書」に1月1日から執筆されており、先生のお考えの中には、随所に二元性という言葉が出てくる。量子論における電子の粒子性と波動性から、サイエンスにおける二面性として、一つは、客観的、論理的、理性的で冷徹なロゴス的な面、もう一つは、主観的、個性的、情感的で創造性豊かなパトス的な面、としています。更に、知的能力は、一つはものごとを理解し判断する分別力と、もう一つは新しいアイデアを生み出す創造力と、二元性を持つといいます。私達のからだの働きから見れば、一方はマインド(知性)へ、もう一方はハート(感情)につながるといいます。
  これまでの物質科学の論者は、サイエンスとして江崎先生が指摘するロゴス的な一面のみを絶対的なものとして取上げ、パトス的な面は客観性がないと否定してきました。
  しかし、江崎先生のお考えでは、パトス的な面もサイエンスのもう一つの面であり、新しいアイデアを生み出す創造力はからだの働きから見れば、ハート(感情)につながり、
サイエンスを発展させる原動力になっているといいます。更に、ロゴス的な面も私達のからだの働きからは、マインド(知性)から発しているとしています。
このような考え方からしても、ハート(感情)にしろ、マインド(知性)にしろ、自らの心をいかに育てるのかが非常に重要だといえます。