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2007年9月13日

教育問題への情勢判断学と脳力開発の応用

日時  : 9月13日  木曜日
      18:30?20:30
場所  : 港区商工会館
参加費 : 1000円
テーマ :「教育問題への情勢判断学と脳力開発の応用」
担当  : 榊原 高明

 城野さんは、判断は「確定事実」をもってせよと常々言われています。今回のテーマに対してこれを実行しようと努力しましたが、とても無理なことが直ぐ分かりました。そこで今回の発表には、自分として確からしさが一番高いと思う、ソニーの創業者、井深大氏の著書「あと半分の教育」をベースに行うこととしました。

 脳力開発指針集では、問題解決の最初のステップは分析と把握(つかむ作業)です。この中で、まず中心点(らしき)見当をつけよがあります。そこで、中心点を「個人の心の問題」としました。
 理由は、どんな問題でも突き詰めていけば真因に到達できます。たとえば、化学反応で複雑な反応生成物が出来たとしても、元をたどれば、それぞれの元素の分子⇒原子の特有な性質が絡み合って起きた反応です。ですから、大本の原子の性質を理解できれば、起きた反応を制御できます。今回のテーマも問題の真因を「個人の心の問題」と仮定し、問題を理解しようと試みてみました。

臨界期―
 教育にはそれを施すべき適切な時期がある。人間にはその発達段階において、特に感受性が強い時期、つまり、もっとも教育しやすい時期が存在する。これを臨界期と言います。
 さらに重要なのは、この時期を逃してしまうと、人間として基本的に身に付けておかなければならないことが、生涯獲得されないままで終わってしまうことが証明されています。人は教えられたことを全て身に付ける臨界期という限りない可能性を秘めながら、一方、この時期に誤った方向付けをされると、生涯小さな檻の中に閉じ込められてしまうことになります。このことが、今日さまざまな教育の問題を引き起こしている根本的な原因である可能性があります。
 人間性(心)の教育における臨界期は、せいぜい2~3歳の時期までであると言われています。
 また、この時期に豊かな人間的ふれあいを欠いてしまうと、大人になってもこの能力が身に付かないと言われます。
 つまり、これは学校教育以前の段階で、すでに決定的な人間形成の基盤が出来上がってしまうことを意味します。また、教育の原点は乳幼児期における家庭教育、とくに、母と子の人間的ふれあい(母子相互作用)にあります。生まれた直後から3ヶ月くらいの間に、母親の愛情が与えられなかった子どもは、“満足する”という性質が育ちにくいと言われ、この“満足感”の欠如が今日の暴力問題に結びついているといわれます。
つまり、学校教育の見直しだけを最優先するのは、対症療法の域を出ない、根本的な解決、改革は期待できません。
 今日の教育問題は、臨界期になされるべき、“人間づくり”が十分なされていないことに起因しているのではないでしょうか。
 最近の臨床医学や、発達心理学の研究から、家庭内暴力、校内暴力、非行、いじめ、いじめられっ子など、問題のある子どもの場合、親子関係や家庭といったものの崩壊にその原因が根ざしているケースが多いことが明らかにされています。
 一方で、臨界期に人間性教育ということで“カタ”にはめるのは暴挙ではないかと言う意見があります。しかし、人間の基盤作りのこの時期に、“個性”だの“自由”だのと理屈をつけて、子どもを正しいカタにはめる努力を怠れば、その報いは個性も主体性もなく、ただ自分勝手だけで行動するような子どもになってしまいます。粘土にたとえれば、いつまでも乾かず、どんな形にもならない、グニャリとした状態にたとえられます。

 教育の原点であり基地であるこの「大切な家庭」を取り巻く状況を確認してみます。
 ―豊かな社会、拝金主義、学歴社会、格差社会、ワーキングプア、ネットカフェ難民、受験競争、塾や予備校通い、偏差値教育、教師の質低下、非行、薬物、学校でのいじめや自殺、登校拒否、引きこもり、家庭内暴力、親殺し、子殺し、核家族化、共働き、かぎっ子、孤食、少子化、遊び場の減少、地域社会の崩壊、子どもへの犯罪増加、リストラ、成果主義、グローバリゼーション、ストレス社会、自殺者の増加、インターネットや携帯電話の普及、ゲーム機人気、TVの俗悪番組、援助交際、など。いかに現代の家庭が厳しい環境に取り囲まれているかが理解できます。

 ここで、西欧のしつけ、教育を見てみます。
西欧では、子どもは神の手から親に教育をゆだねられたものだ、という宗教的な考え方があります。スペインの幼児教育の権威、アントニオ・コボスは「だから、母親は子どもに対し威張っていなければならない。家庭の中で、子どもよりも母親の方が偉いのだという雰囲気がつねに漂っている必要がある」といっています。
 西欧では、子どもの時から、教会の日曜学校などで宗教的な倫理観や道徳観念を繰り返し教育されます。一見して合理主義一辺倒に見える西欧の学校教育も、じつは、こうした日常的な宗教教育の基盤にあって、初めて成立していることを理解する必要があります。
西欧社会の全体的教育システムにおいては、学校教育と家庭や教会での宗教教育とは切っても切りはなせない相補的な関係にあります。幼児期(臨界期)における宗教教育によってしっかりした人間性を形成し、その上に合理主義的な知的教育を行うこと、これが西欧の教育システム全体が理想とする教育プランです。
 日本の教育システムには、この宗教教育に当るものはありません。知育教育システムだけが導入され、効率や業績主義、一方的目標に向かって猪突猛進してきたのが、戦後の日本の教育の姿ではないでしょうか。
 戦後の日本の教育がこれほど大きな社会問題を生み出した真の原因も、教育基本法が異文化の影響のもとに作られたことと無関係ではないと思われます。
 なを、我が国の教育基本法は、昭和21年11月から12月にかけて、文部省とCIE(占領軍民間情報教育局)が協議して作り上げた、日米合作の産物と言われています。
 このとき、CIEと折衝に当った担当者は「日本の良風=良俗、習慣は封建的なものと区別が難しい、昔に返ると言う道を防ぐためという理由で、これを盛ることが出来なかった」と証言しています。
 
 しかし、歴史的な目で見直せば、西欧の宗教教育に当るものが、我が国の伝統的な教育システムにもありました。それは、幼児期の“しつけ”であり、長じては寺子屋などで行われた徳育教育です。かっての日本人は、大家族制の中で厳しく“しつけ”られることによって、人間形成の基礎をたたき込まれ、寺子屋の徳育教育によって人間性を教育されてきました。

グローバリゼーションへの教育面の対応;
 現代社会はボーダレス、国境の垣根が低く、特に経済は激しい勢いで世界市場が一体化し、国家間、企業間競争は激烈です。
 今後は益々、仕事はコストの高いところから低いところへ国境を簡単に跨いで移動します。たとえば、先日のTV番組で、通販会社の総務部門の業務が中国の大連へ移行され、総務部長は会社から給料に見合う仕事を作れと迫られ、苦悶の表情をしていたのが印象的でした。もう、日本人だから高い給料を貰って当たり前という時代は終わろうとしています。
 現在の我が国の教育は、この海外との激烈な競争、これに打ち勝たねば日本の存在そのものが危うくなる―これに対する考慮がほとんどなされていません。
 自分の実体験として、たとえば中国人のパワー(ずうずうしさ、図太さ、屁理屈の上手さ、喧嘩の強さ、声のでかさ、何時間しゃべっても疲れないタフさ、とてつもなく頭の良いやつがいる)。どうやったらこんな連中と戦って勝てるか。MBAを持っているかどうかではなく、人間力の勝負になります。
 
改善(案)
*実現出来たらいいなと思った私案です。反対のマイナス面の吟味はできていません
-親業教育
 教育の原点である大切な家庭。しかし、昔のように一緒に教育に参加してくれる地域社会はもうありません。親はよほど子ども教育のプロでなければ勤まらないでしょう。国はもう制度として親業教育が必要な時代に来ているのではないでしょうか。
-教育現場(小、中、高)
1. 教師;教師になる資格を、企業等での勤務経験3年以上とする。今の教師は学校以外の社会の経験が無いことで、問題の解決に苦しんでいるようにも見えます。
2. 実用(利)的な心理学を教えられる人間を現場に投入する。国の費用で、人生経験豊富な団塊の世代に学んでもらい活躍してもらう。
-ベンチマーク手法活用
 教育現場で上手くいっている、成功している事例を全国の現場へ導入。