« 2008年12月 | メイン | 2009年2月 »

2009年1月19日

1月 例会報告

日時  : 1月14日  水曜日
      18:30 ~ 20:30
場所  : 港区立商工会館 6階
テーマ : 「情判会のありかたについて」
担当  : 情勢判断学会委員長
      古川 彰久

 先にもご報告の通り、例会の本年度のテーマは「情判会の拡大発展のためにどうすべきなのか」について、運営委員を中心にお互いに意見を持ち合い議論を深めようとのことです。
 この問題は、情判会に参加する人にとっては根本的な戦略論であり、非常に重要な課題です。少なくとも、現在積極的に参加している数人の間でも具体的な展開方策が出来るかどうかが課題であります。
 城野先生がご存命中にも、情判会活動が停滞した際に、情判会は如何にあるべきかという論議があり、城野先生が「三人寄れば情判会を作れ」という論文を書かれました。最近でも5年前(平成16年1月例会)に「これからの情判会活動について語り合おう」というテーマで、情判会活動について話し合った。平成16年3月号「じょうはん」にその時の例会報告とともに、先の城野先生論文の抜粋を掲載しましたが、今回も参考資料として掲載します。本年の課題を討議していく上で、これまでの歴史的経緯も事実として認識を深めていきたいと考えます。
このような論議を通して、情判会の本質は勉強会で、自ら行動の中で学ぶ姿勢が肝要。単に知識として学ぶならば、本を読めばよい。自ら考え、他人とも討議をしながら、自分のものとしていくのが脳力開発的勉強法と位置づけた。
また、他人を連れてきても継続しないという問題があるが、そのためには魅力ある会にする必要がある。参加している本人に充実感がなければ他人には伝わらない。まず参加する本人が充実感を味わえるような会にしよう。
 このような考え方で、5年経過してきて、改めてこれからどのようにしていけばより良い活動ができるのか、多いに論議を深めたい。また、今年度からスタートするインターネットの活用策については、ホームページの活用も含め、今後どのように活用していくのか課題も多い。
 小生としては、情判会の中心はこれまで通り共通テーマ主体の勉強会とし、それぞれの人が自分のテーマを定めそれを実現していくのは分科会として展開したらよろしいと考え、「いきいき創造の会」として展開しています。
<参考>
城野先生論文:『三人寄れば情判会をつくれ』
(前略)情判会(情勢判断学会)は、個人参加による脳力開発と情勢判断の勉強会である。これは講師の講議を聞く会ではなくて出発し、発展してきた。会員の1人が報告者となり、自分が困っている問題、成功した体験等を報告する。それを全員で討議し、その中で脳力開発の原則をどう具体的問題に適用し、解決してゆくかを修練してゆくのである。すぐに結論を出して、その結論を覚えるというのでなく、討論し、分析してゆくことをくりかえしてゆくなかで、少しずつ、原理を具体的に適用するやり方を会得してゆくのである。だから情判会をつくろうというのなら、講師の有無に関係なしにつくればよい。報告者は会員自身であるから、10人の会員がおれば10人の報告者がおり、1年はそれで続く。次の年は人数もふえて、また新しい問題が報告されるようになる。情判会は自分で勉強する会であって、人に教えてもらう会ではない。
三人寄れば情判会をつくれ
教えに来てくれる人がいるかいないかは関係ないのだから、どこででも、誰でも、会をつくろうと思うものが集まりさえすれば、情判会の活動をはじめればよいのである。しかし、たくさん人数を集めてからやろうとすると、なかなかできない。(中略)そこで提唱したいのは、3人寄れば、情判会をつくれということである。3人くらいならすぐ合意がととのって発足できる。発足してしまうと、すでにこの世界に存在を確保した事物なのである。存在している事物は、自身で発展してゆく力を持ってくる。(中略)
3人という数は集めやすい。2人だけだと意見が対立したら、それまでで発展のしようがないが、3人目が入ると、2つだけの対立でなくなり、もうひとつの切込点が出てきて、討論がさらに発展するものである。
だから情判会をつくろうというのなら、まず3人集めろ。3人集まったら情判会をやり出せ。やり出せば、1人2人と新しい参加者が出てくる。はじめた3人の1人1人が必ず新しい1人を誘ってくるようにすれば、すぐ6人になる。6人がそうすれば12人になる。このあたりまではすぐできてくる。
そのうち20人30人となってくると、いろいろの問題が出てくる。会場の問題、会費の問題、事務局の問題、そうしているうちに、新しい時の刺激がなくなって、出席者が減ってくる。減らぬようにしようというのでいろいろ工夫をこらすようになる。
こうして、減ったり増えたりしながら発展してゆくものなのである。
「3人集まれば情判会をつくろう」となると、なにも県に1つなどという必要はない。町々、村々にも、つくってよかろう。遠い距離を出かけてゆかなくても、自分の居住地域で、勉強する同志をつくっていったらよいのである。それでけっこう脳力開発は発展させることができる。なぜなら、脳力開発は、人間としてのもっとも基本的な行動をどう処理するかを学ぶことであり、欧米のえらい学者の学理などを学ぶことではないのである。ビジネスの関係、夫婦、親子の関係等々、人間関係の根本が存在すれば、脳力開発を学ぶ対象があるわけである。材料には困らないはずである。
脳力開発を学ぶという根本原則は必ず守ってゆくこと
(中略)会員が増えてゆくと、もっと増やそうとする。減ってくると、減らすまいとする。そこでどうやったら減らずに増やせるかと考える。みんなが面白がることをやれば、人が多く集まるだろうと考える。ごく自然ななりゆき思考である。酒を飲んだり、歌をうたったり、愉快な旅行をしたりすると、みんなが面白がってたくさん人が集まるだろうと考えてゆく。(中略)
情判会はもともと脳力開発を勉強するためのものである。ただ人集めにやっているわけではない。酒や歌も人生の楽しみとして、時にはやってもよかろうが、本来の脳力開発の勉強だという根本を忘れてしまうと、会をつくった意味はなくなってしまう。会員が増えて大勢人が集まっても、本来の戦略目標が失われてしまっては、意味がないのである。
会が発展するには、面白い話をきかせたらよい。そこで面白い話をしてくれる有名な人を講師につれてくることに懸命の努力をつくすことになる。(中略)情判会は、こういう会になってはならない。時には外から講師を頼んでくるのもよいが、根本は会員が自分で報告をし、討論して勉強する会である。いろいろの楽しい行事をやることもよいし、素敵な講師をつれてくることも悪いことではない。しかし、情判会は、あくまで脳力開発を勉強するのだという戦略中心を離れてはいけないのである。これを忘れてしまえば、情判会をつくった意味はない。
外部の他人の面白い話だけに頼って会の存続を考えてはいけないのである。人間としてもっとも面白いのは、自分の人生をいかに展開するかというところにあるはずである。それがあるから、他人の話を参考にしようとなって、他人の話にも興味がもてるし、面白いということになるのである。自分の人生の根本がなければ、他人の話に興味のもてるわけがない。
情判会は、この根本の自分の人生を仲間と共に研究してゆくのである。やり出すと、これほど面白いものはなくなるはずである。3人集まれば情判会をつくり、この人生展開をやってみたらよい。毎回が楽しい集まりとなるはずである。(中略)
会員が減っても、増えても、戦略中心を忘れるな
減ってくると、増やそう増やそうと思ってやっているうちに、人がたくさん来て、会員が増えることが戦略に変化してしまう。戦略はあくまで脳力開発の勉強なのであって、人が増えるのは、それが拡大してゆくことだから、戦略の実現には違いないが、増やすこと自身が戦略になってしまうと、脳力開発の戦略中心が忘れられて、ただ人を増やすという方にだけ目がいってしまう。そうなった結果は、これまでの経験では、たいてい失敗であった。人を増やすことに専念したら、人は増えないで減ってしまったのである。
今のところ、世の中では脳力開発の勉強など知らない人、したくない人の方が多数であり、主流である。酒を飲んだり、歌をうたったりすることは楽しいという人たちが主流である。だから人を多く集めるには、その主流にあったことでとなるわけである。しかし、情判会のひとつひとつは、前に述べたように、多くても50名、ふつうは20?30名くらいの方が、報告をしたり、討論したりして、みんなが発言する機会をもつようにしないといけない。となると、なにも普遍性の主流に合わなくてもよいのである。簡単に言えば、脳力開発を勉強したい人が集まればよいのである。だから、脳力開発を勉強するのだという特殊性の方が、この会の戦略中心にすわることになるのである。(中略)
脳力開発の勉強は、誰かひとり偉い人がいて、教えてまわらねばならぬというところがないというのが特徴である。誰でも自分でできるし、3人も寄れば、いろいろの角度から問題を見て自分で啓発してゆけるし、偉い先生から手とり足とりもらわなくてもよいというのが、脳力開発の勉強の特色なのである。だから会員の減る、増えるに、あまりくよくよしたり、ぬかよろこびなどしなくてもよいのである。3人から着実につくってゆくことに努力することが、つまりは脳力開発の実践的勉強なのである。人と人との関係をどうつくってゆくかの、実際的教材にとりくむことなのである。(後略)
(株)脳力開発センター発行『城野宏論文集No.36-第3項「三人寄れば情判会をつくれ」』より