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2010年9月19日

7月例会 報告

日時  : 7月14日  水曜日
      18:30 ~ 20:30
場所  : 港区立商工会館
テーマ : 「倫理法人会産みの親、滝口長太郎氏の戦略思考と業績~「脳力開発」「情勢判断学」的分析と考察」
担当  : 野中 由彦

1 滝口長太郎の人物と業績~「人間評価六ヵ条の標準」から~

滝口長太郎氏(本名竜雄。1919年(大正8年)4月8日~1992年(平成4年)4月24日)は、倫理法人会創設の最大功労者であり、産みの親と称されている。船橋の漁師の中でも最下層の家で育てられた私生児であった。もく拾いと揶揄された海草採りから足を洗う決心をし、復員後、さまざまな悪条件の中で次々と事業を成功させ、敏腕経営者として有名になり、もてはやされた。このようなコースを辿った者によくケースで、夜の帝王の異名をとる不摂生な生活を続けるうち、脳溢血、会社倒産の危機、次男の死去という苦難が重なった。
この頃、丸山敏雄が提唱した純粋倫理の学びに出会い、早朝の勉強会に参加するようになり、自己変革を遂げ、危機を脱した。この経験から、「中小企業の経営者にはこのような勉強の機会が必要だ」との信念を抱き、経営者に特化した倫理の勉強会の設立(戦略)を思い立った。着実に丹念に、同志と協力者を一人ずつ増やし、驚異的な行動力と粘りで、1980年(昭和55年)、ついに倫理法人会の創設にこぎ着けた。「百社百ヵ所運動」「企業に倫理を、職場に心を」といった明確なスローガンを掲げ、全国に普及に回った。その旅費や諸経費はすべてポケットマネーであったという。
倫理法人会会員は、現在五万九千社にのぼる。会員の中には、城野宏の脳力開発、情勢判断学を学んだ者も多い。没後18年経った今、滝口長太郎の精神は、創立30周年を迎えた千葉県倫理法人会では『長太郎の思いから三十年、日本創生、千葉から発信』をスローガンとするなど、今も脈々と生き続けている。
ここでは、城野宏師の提唱する「人間評価六ヵ条の標準」に依り、滝口長太郎氏の人物と業績を、その行動のつながりで具体的にみてみたい。
一 理論があること
滝口長太郎は、スローガンづくりの達人と紹介されている。「企業に倫理を、職場に心を」というキャッチフレーズは、当時の倫理法人会運動の唯一の拠所となったばかりでなく、永遠の指針ともなった。来年度の倫理法人会スローガンは「企業に倫理を、職場に心を、家庭に愛を」と決められた。没後18年、なおまだ滝口長太郎の理論がそのまま息づいているのは驚異的だ。
二 事実があること
滝口長太郎は、厳しい条件の下で多角的事業に成功したこと、純粋倫理を知って百日皆勤をはじめ、純粋倫理の教えを実践して自己変革を遂げたこと。この二つの確定的事実を持っている。
三 意気込みがあること
『打つ手は無限だ! 長太郎さんの世界』には、「ひとたび倫理の普及となると、お金も時間も、そして笑顔も、あるものは何でも出す。よいと思ったことはすぐやる。近くに居て私は人間としての「格」の違いをつくづく思い知らされてきた。」(齋藤重信氏)との証言がある。
四 行動があること
倫理法人会設立のために、毎日のように研究所へ顔を出すようになり、受付嬢ともすっかり馴染みになった。「アラ長太郎さん、きょうもいらっしゃってたの。まるで職員みたいよね。」と言われたという。会社倒産の危機の最中のことであった。やがて、自ら「百社百ヵ所」運動の先頭に立ち、北は北海道から南は沖縄まで、精力的な東奔西走を続けた。
五 成果があること
(一)自分が変化したこと
倫理を知ってからの長太郎の生活は、激変した。「そりゃ、変わったなんてもんじゃない。人間、変わればあそこまで変われるもんかと、誰もが目を丸くするほどの変わりぶりでしたね。まるで“別人”といえるくらい、すべてが変わりましたよ」との長男の証言がある。
(二)他人を変えた実績があること
倫理法人会の設立、普及拡大に活躍した人物が次々登場することとなるが、そのほとんどが滝口長太郎の直弟子にあたる。
(三)変えた人を組織し、継続的な活動にもっていったこと
後の倫理法人会の発展に大活躍する人物を次々に、一人ずつ増やして行き、この人たちの活躍で全国に倫理法人会が広まっていった。1万社が夢のような話だったときに滝口長太郎は「やがては五万社」と言っていたが、それはすでに現実化している。組織を継続的な活動にもっていった成果である。
六 今後の具体的展開の政策があること
滝口長太郎がとった手は、倫理研究所の組織充実だった。倫理研究所の研究員は研究に精を出し、普及は倫理法人会会員がやる。倫理研究所の財政は、倫理法人会が中心になって支える、というものだった。倫理法人会の会費は一律月1万円で、創立当時に決められ、それから一度も変わっていない。事実、現在、倫理研究所の財源の9割が倫理法人会会員の会費と言われる。この仕組みを作ったから、核となる人材の活躍で倫理法人会は全国に広まり、発展していくことなった。「戦略と人材」という、その後ずっとうまくいくようになる仕組みを創立時に作り上げていたわけである。驚くべき優れた経営感覚である。

2 滝口長太郎の発想(1)~戦略・戦術思考~

滝口長太郎氏の遺した文章、講演録音、活動記録を分析すると、あたかも「脳力開発」「情勢判断学」を熟知して実践していたかのようだ。滝口長太郎氏の墓碑の隣には、倫理関係者の間で広く知られている『打つ手は無限』という詩が刻まれているが、これはまさしく戦略・戦術思考を象徴したものと言える。記録によると、事業を始めた昭和22年頃から自然と浮かび上がった言葉を育くんでいったものだという。
 滝口長太郎氏の活動ぶりを見ると、けっして戦略を変更しない、困難と苦労が生じてもぶれることがない、むしろそこから様々なアイデアを得る、自滅しない、やめない、という特徴が見られる。戦術については、独自にブレーンを組織し、次々にアイデアを出し、多くの人と語り、柔軟に、繊細な戦術を打っていく手法を実践している。まさしく戦略・戦術思考を実践した「真のリーダー」であったと言えよう。

3 滝口長太郎の発想(2)~「脳力開発基礎習慣」から~

残された資料等から滝口長太郎氏の発想を脳力開発基礎習慣から見てみると、バランスよく、脳力開発基礎習慣を体得していたと言える。精神的姿勢の中でも特に主体性がよく見てとれる。滝口長太郎を知る人に聴くと、一律に「豊かな発想の人」という特徴を真っ先に挙げる人が多い。例会では中華料理店の経営を例に挙げたが、思考方法の整備(重点思考、対比思考、多角度思考、客観思考、具体思考)に優れたものを持っていたと言える。実際知識の拡大(連係知識、情報収集、人的ネットワーク)という点でも目立って優れた足跡を残している。

4 滝口長太郎の変革の進め方(「真のリーダーの心得」から)

滝口長太郎氏は、倫理法人会を創設し拡大するという大きな変革を達成した。現在全国で毎日二千人にのぼる経営者または経営者に準ずる人々が、倫理法人会の「経営者モーニングセミナー」に参加している。その変革の進め方を、「真のリーダーの心得十ヵ条」に照合して、その行動のつながりで具体的に検討した。
紙幅の関係で詳細は省くが、中心は、「第十条 楽しみの人生か、嘆きの人生か・・・・自分の意志でどちらにもできる。―何が真相なのか? かけがえのない人生にとって・・・・。」であろう。滝口長太郎が純粋倫理を学んで氣付いたのは、これだったのではないか。自身の健康問題、会社経営の危機、家族の苦難という三重苦の直中にあって、真の損得という視点から生活を、家庭を、事業を、社会を、振り返ってみたのではないか。その結果が、朝型生活への切り替え(生活習慣の切り替え)、倫理法人会の創立(中小企業の経営者を救う活動)、夫婦道の修養、という自己変革だったのではないかと思われる。
滝口竜雄氏の活躍によって、今や全国に経営者を中心とする健全な勉強会が組織され、この不況下にもかかわらず拡大し続けている。その原点は、滝口氏の楽しみの人生への強い意思と確かな戦略思考だったと言えよう。

おわりに
今回、一人の人物とその業績を脳力開発、情勢判断学によって分析するという試みを初めて行った。その感想として、断片的に知っていたことが、一連の意味を持った情報として美事に統一されていく感触があった。脳力開発、情勢判断学恐るべし、というのが正直な感想である。