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2012年2月25日

平成24年1月例会の報告

日時  : 1月11日  水曜日
      18:30 ~ 21:00
場所  : 港区立商工会館
テーマ:DVD「東西古今人間学」鑑賞会第6回

今回の鑑賞会は、第3巻第6回の前半だけでは纏まりがつけにくいので、全体を通して聞くこととした。先生のお話をベースにしての意見交換の時間があまり取れませんでしたが、次回の2月例会において、別途意見交換の場を設けることといたしました。    
今回の報告としては、お聞きした第3巻第6回の要旨を私なりに整理しました。

DVD「東西古今人間学」第3巻第6回要旨

1.毛沢東に見る人間学

(1)毛沢東成功の要因
  中国における共産主義の実現おいて、
実際に基づいてやったものはうまくいくが、教条的(教科書に書いてあることをそのまま)にやることはうまくいかない。

(2)第1次国共合作
  国民党が主になって、北の方の軍閥をやっつける。
孫文は容共政策を取り、共産党を取り込む。
蒋介石は後方で国民軍を掌握する。

(3)国共分裂
  国民軍は、列強からの圧力もあり、共産党を排除し、上海を占領する。
これに対し、共産党は朱徳を中心にクーデターにより南昌を占領し、その後井崗山へ逃げ込んだ。
これまでの中国共産党は、ソビエトで組織されたコミンテルンの指導の下で、都市の労働者によるプロレタリアート革命を目指していた。

(4)毛沢東の対応
毛沢東は、農民の中の貧農(小作人)を対象とする。貧農は地主から収穫の70%位を取り上げられ、美しい女性も召し上げられた。そのため地主に対し恨みを持っている。
毛沢東はこのような貧農たちの中に入り、地主を捕まえて、金や食料を取り上げる。農民から情報を得ることにより、敵が知らないうちに攻める。
毛沢東の軍隊は増えてくるが、他はうまくいかない。
国民軍から攻められて、2万5千里の長征が始まる。江西省を出て、湖南省・貴州省・雲南省を通り、四川省を北上し、甘粛省・陝西省と転戦し、延安まで行った。
30万人の軍隊は1万5千人しか残らなかった。
毛沢東は実際の力関係において、大きくなった。長征の途上で行われた遵義会議において毛沢東は党の主導権を握り、これまでの幹部はコミンテルンに戻り、毛沢東は中国化したマルクス主義でやる。

(5)第2次国共合作
  延安に着いた毛沢東は、地主と資本家の利益代表である国民党と手を組み、抗日統一戦線を8年間戦った。
  地主に対する対応も変えた。特にひどい地主は開放対象としたが、基本的には協力するやり方に変わった。
  自力更正を目的に屯田兵。(実際に合わせて変えていく)

(6)日本降伏と解放戦争
  昭和20年8月、日本降伏。中国においては、日本軍は優勢ではあったが、中国も連合国であったので、日本軍は降伏した。
  国共合作の目的であった、抗日統一戦線の共通の敵が無くなった。
  国民党と共産党との戦いは、共産党から見れば解放戦争となる。
  毛沢東は自分に有利になるように連合政府論、新民主論を唱える。
  蒋介石が直接掌握する官僚資本はやっつけるが、他の資本家は自分の味方につけた。
  地主も悪徳地主と開明地主に分けた。
  当時の中国における資本家:
   農村にはいないが、都会にはいる。
   工場を持っている。(蒋介石は良い工場 は、接収員を派遣して自分のものにしてしまう。自分のポケットに入れてしまう)
   救済物質も当時は主要な部分の半分位は高級官僚に入った。
   従い、自分の財産の保障のためには、国民党でないほうが良い。
当初共産党軍150万人、国民党軍600万人に対し、4年後には国民党軍は150万人に減少し、その後の戦役で全滅した。
2.中華人民共和国の誕生と毛沢東

(1)憲法:中国の経済は4つ
①社会主義経済:国民党から没収した工場等を国有化。
②合作者経済:土地改革により、地主の土地を貧農へ、協同耕作、人民公社へ。
③資本主義経済:資本家への便宜を図る。
④個体経済:自作農。

(2)権力者としての毛沢東
  実際に合ったことをやって成功した。
  権力の絶頂に居ると、反対する奴がいなくなり、廻りにおべっか使いに囲まれ、新しい知識が入らなくなる。更に自己顕示欲も強くなってくる。
  劉少奇:一時は毛沢東を褒めたが、その後、対抗馬になると殺された。
  毛沢東の写真、選集の配布:紙が足りなくなる。
毛沢東学習:国として推進するのは、行き渡っていない証拠といえる。
  資本化の力が付いて来ると、インテリも力を持ってくる。相対的に共産党員の力が落ちてくる。
無産階級を育てる必要があるが、下を育てないで対抗者を殺す。
反右派闘争:資本化征伐や知識分子狩り。
当初以下の4つの政党が認められた。
① 中国共産党
② 中国国民党革命委員会
③ 中国民主同盟(資本家、知識分子)
④ 中国農工党(中産階級、知識分子)
  ②~④は中国共産党の支配を受ける。
  中国民主同盟をやっつけるために百花斉放をやった。:自由に発言しても良いとのことで少しずつやりだし、しばらくすると次々と意見を出しだした。1年ぐらいたったらみんな捕まえてしまった。知識階級はものを言えなくなった。
  文化大革命:毛沢東と違う考えを持った次の政権を担うものをやっつけた。
  この20~30年間中国は発展しなかった。

3.毛沢東から教訓を学ぶ
文化的にも経済的にも、実際に即してやったことはうまくいったが、教科書通りやったことはうまくいかなかった。
求めているものをやればうまくいく。
この間、中国は発展せずに、日本がなぜ発展したのか。日本には倒産という制度があるが、中国には無い。
経済は人間の動きである。命を維持するための物質的基礎・手段を作っていくこと。それぞれの国は、昔からの歴史的な違いを持っている。
アメリカ:多民族国家
日本:単一民族、単一文字、統一体になりやすく階級が無い。
西欧(仏、独):貴族がまだ残っており、階級的差別はまだ大きい。
日本では、明治に天皇親政となり、藩屏として華族を作ったが、ヨーロッパやインドのような階級支配は出来なかった。
日本では教育制度も行き渡り、戦略統一が出来やすい。
中国における戦後の日本人の引き揚げは、負けた国の人が整然と引き上げた。
民族的なやり方を把握していき、求めていくものに合致していくことが大切である。

4.人間学から学ぶこと
 これまで、信長、秀吉、武田、上杉、
 ヨーロッパではナポレオン、中国の三国志 等から、歴史上の著名な人たちの行動の中から、どのような教訓が引き出せるのかを見てきました。
 特に人間の扱い方が重要ですね。
 信長のやり方は、部下を大きくしていく、また、大きくなっていく過程で新しい人材を抜擢する。その下で秀吉、明智、柴田、丹羽、滝川、池田等の武将が大きくなった。
 秀吉は最初は部下はいないが、戦ごとに大きくなり、高松城攻撃に際しては毛利軍全軍を相手にするほど3万人位になっている。信長が秀吉の才能を発揮させたといえる。
 
  以上