« 2012年4月 | メイン | 2012年6月 »

2012年5月24日

平成24年4月例会の報告

日時  : 4月11日  水曜日
場所  : 港区立商工会館
テーマ :原発事故から学ぶ“正しい戦略”(2)
担当  :古川 元晴(弁護士、元検事・内閣法制局参事官)

 本テーマの第2回目である4月例会は次のとおりでした。
〔論点第1ー2 「正しい(正当性=正義)」について〕
1 正義の意義
一 正義論の問題点
  「正義」については、一般的には哲学的、観念的なものとして議論されることが多く、また、具体的に論じる場合であっても、強者が自らの立場を一方的に正当化するために用いるときには「力こそ正義なり」であり、弱者が正義を論じても「正義では世の中は変わらない」であり、人は立場が異なれば正義も異なり「共通の正義などない」等と言われて、総じて懐疑論が支配的なように見受けられます。
  一方、法律家の世界では、「法の理念たる正義」という言い方が当然のこととして用いられ、また、弁護士法には「弁護士は社会的正義を実現することを使命とする」と明記されていて、「正義」が当然の理として用いられていますが、ではその正義とは何かとなると、実践的な観点から説かれることは少なく、「個人の尊厳と社会の利益の調和」「基本的人権の擁護と同義」等と簡略に説かれる程度のように思われます。識者からは「法律家は正義を語れ」と言われることがありますが、これでは法律家の世界だけの正義に止まり、各界の人々と共通に論じ得る正義としては不十分なように思われます。
   なぜ法律家は余り正義を語らないのかを探ると、そもそも法律は法の理念たる正義に適い、正義を体現したものとして制定されるために、その適用だけで満足している場合には、それ以上に正義を語る必要を感じないからだろうと思われます。
   しかし、新たに法律を制定(立法)する場合には、それを正義に適うものにするプロセスが必要であり、そこで言う「正義」の意義が明らかにされなければなりません。そこで、私の内閣法制局における立法審査の経験等を基に私なりに正義の意義を探求、整理したものが「正義の4要件」です。正義は在るのもではなく創るものであるとの観点から探求したもので、その要点を簡潔に記述すると次のとおりです。
 二 立法から見た正義
  ・正義の4要件
民主国家においては、国の政策は「法による支配」ということで、法律の制定、執行という方法で実現される必要があります。法律は国会の多数決により制定されるので多数さえ確保できればよいという意見もあり得ますが、それでは単なる「数の力」による支配にすぎません。民主国家においては、法律は「法の理念」に適うように制定される必要があり、その理念が「正義」であるとされているのです。そして、実際の法律案の審査は、内容面、法技術面の両面に及びますが、その内容面の審査の要諦は、①真実性、②普遍性、③進歩発展性、④実現性の4点に要約でき、その具体的内容は次に記述するとおりであると私は理解しています。
  【①真実性】・・「真実こそ正義なり」とは社会一般にも通用している言葉で、法曹界においても、裁判官、検察官、弁護士いずれも真実の解明を理念として活動していますし、立法に当たっても、立法を必要とする事実(立法事実)を現実社会を踏まえてあらゆる面から的確に把握、理解する必要があります。
 【②普遍性】・・法律は社会全体に遍く適用されますので、その内容が社会全体から普遍性を有するものとして理解され、支持される必要があります。具体的には、その内容について、(a)社会全体の合意形成があること、(b)既存の法規範(憲法及び他の法律)と整合性を有すること、が必要です。
   aの点は、あらゆる立場、価値観を包摂した普遍性を目指すことが法の要請であることを明らかにするものです。賛成・反対が鋭く対立する案件の場合には全体の合意形成は極めて困難な作業となりますが、各意見の相違点及びその背景要因等を総合的に把握、理解し深めて合意形成を目指す過程において、人が陥りやすい無知、偏見、恣意、独断、偏狭等を克服し、普遍性を具備するに至るわけです。
   bの点は、いかに合意形成ができても、それが憲法その他の既に制定されている法規範に反する場合には、相反する双方共に普遍性を有するというわけにはいきませんので、既存の法規範が改正されない限り、それに反することはできないということです。例えば、裁判員法の制定に当たっては、裁判に素人が参加することについて、憲法が被告人や一般国民に保障する「公平な裁判所」や「信教の自由」「苦役からの自由」等に抵触しないかが当然に検討されています。
 【③進歩発展性】・・立法は、現実社会の問題点を克服して社会を進歩発展させることを理念、目的とし、そのために必要な施策を実現するために行われるもので、多元的な価値観を、古い理念に基づく不毛な対立から新しい理念の創造による建設的、進歩発展的な協働へ導くことを目指す訳です。そして法律の条文は、その目的を規定した条文(目的規定)と、その目的を実現するための具体的な施策を規定した条文(実施規定)とに大別され、目的規定には、当該法律の具体的な理念が記載されることになります。立法は妥協と言われますが、理念なき妥協では立法はできない仕組みになっています。
   【④実現性】・・法律の理念、目的を実現するために必要かつ十分な具体的な施策を案出することが必要で、これも立法上当然の要件です。
2 正義論の展開
 一 正義は社会構築の基本原理
   国の政策は、どのような社会を構築するかの設計プラン(設計図)であり、上記の正義の4要件の観点からの審査を経て法律形式を整えることによて正義を体現したものとなり、社会に受け入れられることになります。私が「正義は社会構築の基本原理」と言うのも、正義が以上のような機能、役割を果たしていることによるものです。
 二 法律と戦略との関係
  ・戦略戦術は、人間(組織)行動の向かうべき目的(戦略)とその具体的な実現方法(戦術)とを明らかにするもので、人間行動の設計図と言えますが、法律も社会構築の設計図であって国家の戦略・戦術を明らかにしたもので、その目的規定は戦略を、実施規定は戦術を規定していると言えます。法律の構造が戦略・戦術に対応しているのも当然の理でしょう。
・私的な戦略は、公的な戦略たる法律と異なり個々の人間(組織)がそれぞれの立場、価値観に応じて立てるものですが、それが社会活動とて実行される場合には、当然に社会との関係が問われるわけで、正義を社会の基本原理と理解すれば、戦略にその観点を取り入れることが、その暴走を防止して長期的利益にも合致することになると考えます。
三 「法令遵守・コンプライアンス」から「ジャステス」へ
時代の変化が激しい現代においては、既存の法律を適用しているだけでは不十分で、時代に適った新しい立法や、立法の追いつかない分野を各自の「正しい戦略」で補って進歩発展を目指すことが求められると思います。正義は在るものではなく創るものであるとの観点から、正義4要件を活用した正義の創造を、私は「ジャステス(正義)」と称して提唱しています。
〔論点第1ー3 原発と”正しい戦略”〕
 原発は、「夢のエネルギー源」ということで、国策として原子力基本法等に基づき強力に推進されているものですが、今次過酷事故の発生によりその安全性に対する国民の信頼が大きく揺らいでいます。そこで、その事故発生の原因等を”正しい戦略”の観点から全面的に検証する必要がありますが、そのために予め原発の安全について基本的な点を検討しておきます。
1 原発の安全と推進との関係について
一 「安全」は法規範の問題
原発推進を正義4要件の観点から見ると、その安全性の問題は、憲法が基本的人権として国民に保障している生命、財産の安全に係わる問題で、刑事上、民事上等の法的責任を負うべき事柄でもあり、「普遍性」中の法規範との整合性の問題となります。国策としての推進といえども、法規範に抵触することは違法であり許されません。
 二 安全と推進との相互関係・・統合戦略
原発の推進と安全とは、原発の表裏一体の関係にあって、切り離して個別的に論じるわけにはいかず、統合的に相互関係を論ずる必要があります。
両者の関係は論理的には
A 安全が推進に優先(安全>推進)
B 推進が安全に優先(推進>安全)
C 推進と安全は車の両輪(推進=安全)
の見解があり得ますが、安全が法規範であるという観点からは、Aが正しい見解です。Bのように推進を安全より優先して猪突猛進するだけではダメで、その安全状況に応じて臨機応変に停止、撤退できなければ推進戦略自体が自滅してしまうことが、今次事故でも明らかになっています。Cは一見常識的な見解のようですが、推進と安全が対立する場合にABいずれを選択するのかの判断を回避していて、問題があります。なお、建前はAでも、その安全の水準が社会の要請と乖離して余りにも低く設定されている場合には、実態はBではないかという問題が生じます。
2 原発の安全水準について
 一 原発に絶対的安全はない
   原発は、稼働中、停止中にかかわらず常に3つの制御機能(①停める、②冷やす、③閉じこめる)により安全状態を維持する必要があって、その機能が失われれば直ちに制御不能の過酷事故に至ります。このような制御安全には絶対的安全はあり得ません。
二 原発の相対的安全について
  ・科学技術は社会的に有用な反面、事故の発生が避けられない場合が多々あります。そこで、ある科学技術を社会に導入する場合には、一定の安全ルールを定め、そのルールを遵守していれば、他に事故発生の予見可能性が具体的に発生していない限り事故の発生を許容し、免責するというのが相対的安全の法理です。原発の安全も、相対的安全法理による免責を前提として運用されています。
・また、その安全の水準は、それぞれの分野における科学技術の安全に関する予見能力の程度によって異なります。原発は、その安全を地震学の科学的予知能力に大きく依存していますが、その予知能力が意外に未成熟で低いことや、安全ルール自体も推進優先で緩く制定されていた等の実態が今次事故により明らかにされてきています。その実態等は次回に検討します。