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2012年11月20日

平成24年10月例会の報告

日時  : 10月10日 水曜日
     18;30 ~ 21;00
テーマ :「介護施設の現状」
担当  :牧野 恭人

介護が必要になった義父母の数さん、みよさん は、それぞれ別々の介護施設にお世話になっています。10月10日の月例会報告では、義母 みよさん(現在90歳)が軽度の認知症になり、相模原でデイサービスに通い始め、施設とのやりとり、ケアマネージャーに求めることなどから介護が始まりました。その後、理想的なグループホームに入ったものの、4年ほど経過して施設長や管理者が変わってから、入居者への対応が一変したこと、そのトラブルの経緯と対処についてお話ししました。以下、少し詳しくご紹介します。
みよさんが最初に相模原で通い始めたデイサービスでは、施設で介護士を叩くなどの行為があり、来ないでほしいということになりました。夫の数さんも脳梗塞になり、結局、横浜の我が家に引取って、デイサービスやショートステイに通わせることにしました。
私が最初にやったことは、地域包括支援センターに連絡することでした。相模原での経緯を説明し、「ケアマネージャーは、ケアする人の状態に応じてケアプランを立て、支援・サポートすべきなのに、来ないでほしいとはおかしい、しっかり対応できるケアマネージャーを紹介していただきたい。」
ニーズを明確に伝えた結果、しっかりしたケアマネージャーを紹介してもらうことができました。早速、デイサービスやショートステイで施設を利用することになりました。しかし、肝心のみよさん は嫌がって行きたがらない。そこで、話好きの特徴をもとに工夫したのが「招待状」です。
「みよさん、すごいよ。招待状が来ている!」と、話し掛け、私が自分で作文した招待状を読んで聞かせるのです。
「前略 涼しい、過ごしやすい季節になりました。みよさん、その後いかがお過ごしでしょうか? さて、この度、施設では、秋の“お食事会”を開くことになりました。みよさん のように明るく会話が弾む方においでいただくと、皆が楽しくなり、とても良い雰囲気になります。そこで、今回は、みよさん を特別にご招待することに致しました。是非、おいでください。楽しいひと時を過ごしていただきますよう、一同お待ちしております。早々」
認知症だから、あらかじめ話しても嫌がり、忘れてしまうだけです。コツは、当日の朝、読んで聞かせることです。ポストから新聞を持ってくる時に、驚きながら話し掛けます。妻は、「すごい、すごい」と驚いて盛り上げます。施設に連れて行くと、ハガキを渡し、「この内容で連れてきました」と担当の方に手渡し、了解してもらいます。認知症の特徴を利用し、この手は何度も使いました。
そんなことを繰り返しているうち、妻が見つけてきたグループホームに入居することになりました。この施設、デイサービスでも利用していましたが、実に理想郷です。広々とした敷地は木々に囲まれ、畑もある。散策路には「相田みつを」のことばを刻んだ置石が何か所かあり、その中に4棟のグループホームの建物と事務所があります。
そんな環境で、各棟のドアにはチャイムが付けられ、鍵は掛けません。認知症の入居者が出入りするとチャイムが知らせます。見守りの始まりです。道路の方まで向かっていくと、追いかけ、何気なく出会ったように話しかけ、話しながら自然に連れ戻してくれます。お酒が好きな人には夕食時にお酒も飲ませてくれ、お小遣いを預かって買い物もできます。
日によって外食の日もあり、また、シーズンを通してイベント(花見、七夕、盆踊り、収穫祭、クリスマス会、小学生が訪ねてくる、消防隊のブラスバンド、ボランティアとの花植え、畑仕事、書道、お絵かき、ダンスパーティなど数えきれない)が盛りだくさんでした。そんな理想郷のグループホームに入居することになったのです。例によって、スムーズに入居させるために「招待状」を作成し、お世話いただく施設の皆さんに、みよ の特徴を知ってもらうため、次のような文書を10部ほど作成し、皆さんに読んでもらうことにしました。これは、今、認知症ではあるけれど、社会の一員として、こんな人生を送ってきた人であること、人の尊厳性に関することと思って書いたものです。
*******【入居する みよ の生い立ちなど】*******
・看護婦・保健婦として活躍
8人姉妹・弟の3番目、16,7歳の頃、看護婦になろうと近所の友を誘い、親の反対を押し切って上京。言わば奨学金のようなものを利用し、就職後返す。群馬のふるさとに戻り、保健婦として活躍。自転車で、自分の村・隣村を駆け巡り、家族が見向きもしない結核患者や病人の世話をする。洗い物が台所にあれば洗って帰る。損得なくその場で気づいたことをどんどんやる。その明るさ、愛想の良さ、一生懸命になる性格から村の評判となり、医者や学者、若者がみよさん目当てに保健所にやってくるなどあったと聞いています。それには見向きもせず、世話をしていた隣村の人(現在の夫の親)に見込まれ「あの子はいい娘(こ)だ」との薦めで、今の夫と結婚することになりました。
・保険会社の支部長として活躍
子供相手の店を始め、土方仕事にも精を出すなど、結婚後はどん底の生活に一変したようです。ある時、数さんは同僚の奥さんが保険会社の外交員をしていること聞き、これは適職と閃いたようで、保険の外交員になることを薦めました。度胸のよさ、明るさ、愛想の良さなど、また保健婦で身についた親切さ、時には押し付けがましいまでの本気での面倒見の良さから、飛び込みセールスで次々と契約を取り、メキメキ頭角を現し、支部長となって部下10人を抱えて活躍しました。40歳ころからの10年間ほどです。
・物好きな性格です
物語に出てくるような物好きな性格です。娘が幼稚園でお姫様の役をやるとなれば、高価なカメラもないが記念写真欲しさから、お金もないのに写真館の主人を引っ張ってきて写真を撮らせたりしました。
まだ自動車も普及していない45年位前に、自分が自動車に乗りたい一心で、夫に免許をとらせ「パブリカ」を購入。休日には、家族そろって弁当持参で、有料道路など使わず、一日掛けて、群馬の田舎に帰ったりしていたとのことです。
とにかく物好きな性格から思いついたら止まらない。そのお金はガンバッテ稼ぎ出してきました。
熱海の簡保の宿に5年間も泊り込み(1、2週間ごとに帰って顔を出す)、国内旅行はもとより、ヨーロッパ8ケ国、フィリピンなどアジア諸国、ハワイ、グアム・サイパンなどへの船旅もしました。そして、世界中を歩いてみたが「日本が一番すばらしい」と言っています。
・体を動かすことが大好き
ゴルフのショートコース、卓球、ソーシャルダンス、ゲートボールなど何でも楽しい。負けん気もあり夢中で取り組みます。そして楽しみます。暇があれば自分で腰をまわしたり、手足をブラブラさせたりと体操をしています。
デイでダンスのグループが来る時や散策がある時には、是非、参加させていただければと思います。
今でも、土日には卓球に連れて行くことがありますが、「卓球に行こう!」と言うと、嬉しくてニコニコして体がソワソワしてくる様子です。
また、65歳頃から最近まで、畑を借りて夫婦で野菜を育てていました。畑の手伝い、草むしりは大好きです。様子を見てやらせてくださればとても喜びます(さんざんやってきたと、今は嫌がるかもしれません)。
・お金については
戦後の大変な時期を生き抜いてきたこともあり、お金のかかることはイヤ、無料が大好きです。
それでも今までは、物好きな性格からこれと思ったことは大胆にお金を使ってきました。でも、とにかく「無料、ただ、が大好き」です。
・衛生へのこだわり
毎日、お風呂のあとシャツとパンツを手洗いし、衣紋掛けに広げて干すのが習慣です。お風呂は自分のタオルでないとイヤがります。外食でも皿の洗い方、サラダなどの葉っぱ類の洗い方などが気になる様子があります。
保健婦などの経験が、こだわりとしてあるのかもしれません。
・お酒、そして酔うと
 日本酒が大好き、毎日一合程度の晩酌を好みます。社会論議、政治談議など大好きです、自分なりの考えがあるから議論になると容易に譲らない面があります。
酔ったら議論になるようなことは避け、「保健婦にどうしてなったか」「村の人気者だったこと」や「保険の外交員になったわけ」「支部長で活躍したときのこと」「飛び込みセールスの秘訣」などへ話題を変え、聞きだすと会話も弾みます。この書面もそうしてまとめました。
・食べ物について
味噌汁に卵を落として半熟程度にしたものが好き、牛乳も好みます。その他、焼肉やうなぎ、お昼にはラーメンなども好んで食べます。
果物ではみかん、リンゴ、梨、スイカ、バナナ、もも、メロンそして甘栗やサクランボなど季節のものを、必ず毎日食べています。小遣いで買い置いて食べさせられると喜ぶでしょう。
・疲れると
デイサービスで経験してきたことですが、帰ってくると疲れたと言い、日課のように「明日は行かない、休む」と言って、少々娘に当たります。しかし翌日目覚めると、「今日はどこ?」「サア、支度しなくっちゃ」と言って準備を始めます。
疲れたと思うと、病院に行きたがり、少々身近な者に当たる傾向があります。お茶、コーヒーや甘いものなどを食べさせ、とにかくゆっくり休ませると立ち直ると思います。
・長女の孫に祐子(ゆうこ)、太久麻(たくま)がいます。次女の孫に崇(たかし)、健司(けんじ)がいます。特に祐子や健司との接触があったので、孫の様子や特徴、性格などを話題にするのも喜ぶでしょう。
・群馬の田舎の話、父親がよく高尾山に連れて行ったこと、母親は96歳までお茶と梅干しを食べて丈夫だったことなども話題になります。コンニャクの話、浅間山、妙義山、寒い空っ風のことなども良いでしょう。
・親切なひとには弱く、変に強い人には対抗します。
モノなどいただくと、先ず「お返し、しなくっちゃ」となります。心から親切に声を掛けてくれる人には弱く、ありがたがって応対します。が、自身が納得できない相手には、その身分・立場・年齢・性別に関係なく徹底して戦いを挑みます。このような時、普段心から親切にしてくれる人が「みよさん どうしたの?」と受け止め、前記の話題に持ち込んだり、雰囲気を変えていけば大丈夫です。
・ラジオや歌が大好き
 テレビよりもラジオが好きです。寝る時は必ずラジオを聴きながら寝ます。耳が遠いので大きくかけて寝ています。歌謡曲が好きで、特に、美空ひばりの歌などを歌ったりします。誰の歌でも、歌うのが大好きです。
・誰にでもすぐに、気軽に声を掛けられる
持ち前の性格、保健婦の経験や保険の外交の体験なども手伝って、老若男女 誰にでも自然に声をかけ、楽しく会話ができる不思議な力を持っています。孫の大学の文化祭で、おいしそうに道端で弁当を食べている男子学生に、「おいしいい?」「いくら?」「どこに売っているの?」 と言った調子です。そのうち、学生も、思わず笑みを浮かべて受け答えしています。
電車で隣り合わせた人、買い物で、バスを待っているときなど、いつでも・どこでも・誰とでも話しかけます。その会話を通して、相手の性格を見抜く力があるようです。
それがあったから保健婦としても、保険の外交員としても成功したと思われます。
今でもシッカリ相手を見ているようです。
以上、思いつくところをありのままに書きました。
どうぞよろしくお願いします。
(追記)
・相模原(夫のいる自宅)へ帰りたがります。
2日ほど前、デイから帰るや、身支度して相模原の自宅へ直行しました。口も足腰も達者ですから、思い立ったら出かけてしまいます。聞いて乗り継いで帰りました。
夜、暗いとき、日中でも運動やイベントなどあれば問題ないと思いますが、明るい日中に、ただのんびりはしていないで、相模原のこと、夫のことが思い浮かべは行動することもあると思います。
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さて、ある日、理由は分かりませんが、施設長と管理者変わりました。とたんに、対応に変化が出ました。ドアには鍵が掛けられ、外には出さない。お酒もやめ、少々わずらわしいことは、いちいち電話してきて、家族の対応を求めるなど、家族としても落ち着かない日々が続きました。そして、ついにグループホーム内で事故が発生しました。
きれい好きの みよ が、まだ食事しているとき、同居の認知症の人が箒で掃き始めました。みよは、「ほこりが立つから止めなさい」と言うが、止めない。そこで、立ち上がって突き倒したのです。相手の人は手首を骨折してしまいました。これをキツカケに、暴力的だとか、暴言を吐くなどの理由で、家族に改善を求めてきました。
妻は、相手の家族の方に電話し、お見舞いなどしました。とても理解のある家族で、認知症ですからお互いさまです。「そんなに気にしないでください」と。しかし、施設では「暴言を吐く口は止められない」「手が出て引っ掻いたりする」などの理由で、病院に掛れ、家族が対処しろと言う様子でした。
病院に掛り、多少、心を鎮める薬を使い、対処しました。先生は、施設の最近の対応が以前と異なることから、施設の管理者に会ってアドバイスされました。が、家族に対しては対応できない、「出てほしい」と言うばかりでした。知人のケアマネや精神保健福祉士などに相談し、「口は止めるのではなく、機転を利かして対応を変えてほしい」「好きなカラオケやゲームで気分を変えてほしい」などと、施設長に直接申し出ました。
結果は、「10日以内に施設から退去し、私物一切を持ち帰るよう要求する」旨の内容証明が施設の顧問弁護士から届きました。さぁ大変です。区や県、日弁連などの弁護士相談へ出かけたり、次の候補となる施設を当たったり、妻の妹と相談したりなど、不安で忙しく、落ち着かない日々が続きました。とりあえず、施設の専門家の良識と常識に訴え、過激な返信は控えました。
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前略 お世話になっております。さて、健忘、思考・認知障害、徘徊・不眠・せん妄、異食等は認知症の症状で、貴学院の専門とするところです。認知症の正しい理解と特定の症状に偏見を持たない多くの入居先候補施設から理解を頂きながらも、満床~300名待ちと聞き、1日も早い入居先を求めて奔走しています。その間は“福祉の精神・慈愛の心”でご協力をお願い致します。草々
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こうして、時間稼ぎをしながらも、施設探しに追われました。また、妻の妹との間では見解が別れ、妹はそれなりの病院に入れ、薬で落ち着かせる必要があるとの考えで、次の施設に移すことに異論がありました。
妻と妻の妹との見解の違いは、数さんに結論を委ね、その結果、次の施設を選ぶことに決着しました。みよさん の現状(骨折させたこと、手が出やすいこと、乱暴な言葉づかいになりやすいことなど)を率直に文書にまとめ、それを前提に受入れ先の施設を数多く当たりました。
幸い、できたばかりの施設でしたが、受入れ先が決まり、例によって「招待状」のもと、スムーズに次の施設に移ることができました。
それにしても「10日以内に施設から退去し、私物一切を~」の文書は納得のいかない暴力的な行為です。そこで、退去とともに、市や区などを含む福祉施設の監督部署等を訪ね、結果として、国民健康保険団体連合会に苦情申立てをしました。「10日以内に退去」という極端な対処、ケアプランが作成されていないこと、家族や医師を含む話し合いが丁寧にされ、それに沿った対処がされていないことなどの改善命令を含む報告書類と施設が作成した改善計画書が国保連から届き、心も内容にも、けじめがつきました。
一方、新しい施設に移ったものの、施設のケアマネや介護士の対応は満足できるものではありませんでした。ある日の朝方、施設から、みよさんは腰が痛く起き上がれないので車いすに乗せている旨の電話がありました。急ぎ訪ね、手足の様子を見たところ、青くなっている(症状に対応し点検をしていない)。すぐに近くの病院を聞き、連れて行き、股関節の骨折が判明しました。入院したものの、病院も夜間18時から20時まで(夕食から寝る前まで)の間は手が足りないから見守ってほしい(認知症のため、動き回り、帰りたがりで管理しきれない)、ということで、1ケ月余り、妻と交互に病院へ行き、みよ さんの話し相手になりました。
入院後も、施設からは見舞いも連絡もありません。8日が経過して、ケアマネージャーが様子伺いの電話をしてきました。さすがに腹が立ち、言葉を荒げてしまいました。退院後の対応に当たっても、リハビリ対応が難しいなどで渋っていました。こんな状況では困るので、施設がモットーとしている「思いやりのこころと確かな介護技術で介護高齢者の確かな未来を」が、実践されていないことについて申し入れ、国保連にも相談して、改善を求めました。施設の方針をしっかり把握し、その点の実践を要求するのは、効果的に改善を求める方法と思います。

以上、みよ さん の介護について縷々お話ししてきました。介護は、どの程度長期に渡るか見通しがつきにくいものです。介護者にとっても大変です。妻だけで世話をするとなると心身の負担は大きく、ストレスも蓄積されます。ですから、自宅で世話をするとなると、一層大変ではないでしょうか。
決して満足レベルではないにしても、デイサービス、ショートステイ、施設入居など、可能な範囲で積極的に公のサービスを利用し、家族は、多少楽をしながら、対応することも一つの考え方と思います。
施設に入居しても、できるだけ顔を出し、施設との良いコミュニケーションを維持することが大切です。その上で、介護の状況を見守りながら、ニーズをケアプランに反映させるようにします。施設に入れて安心してしまうと、食事と下の世話だけの介護になりがちで、みるみる足腰が衰え、頭も弱ってくる様子をいくつも見てきました。注意が必要です。
高齢化がますます進んでいます。それぞれのお年寄りの姿は、明日の私たちです。人の尊厳性を大切にし、施設の表面的なことだけで判断しない。施設長やホーム長の基本姿勢をしっかり見極め、入居したら、入居者の眼とこころでニーズを把握して、対応を具体的に見守る。このこは、特に重要と思います。