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2014年2月19日

平成26年2月例会の報告

日時  : 2月12日 水曜日 18;30 ~ 20;30
テーマ :「情勢判断学会とは~その原点と歴史を振り返ろう」
場所  : 港区立商工会館
参加費 : 1000円
担当  : 古川 彰久

情背判断学会とは何をする会なのか?
どのように生まれ、どのように進展してきたのか?
その原点に立ち返り、現在の状態に至った経緯を振り返ってみましょう。

1. 創始者、城野宏先生について

城野 宏 先生 略年表
1913年(大正2年)8月31日長崎県西山町に生まれる。
1927年(昭和2年)長崎師範付属小学校卒業
1932年(昭和7年)東京府立第四中学校卒業(現都立戸山高校)
1935年(昭和10年)名古屋第八高等学校卒業
1938年(昭和13年)東京帝国大学法学部政治学科卒業、大学2年次に中国へ開眼。
昭和10年当時、東京大学の歴史の中で、中国語を学んだ最初の学生になる。 
同年 野村合名会社調査部にたった1名の新入社員として入社。(年俸900円、月給75円)
郭沫若の「中国古代社会研究」の翻訳が半分以上進んだ時に徴兵される。
入社半年後に(東京第1師団歩兵第1連隊)中国へ渡る。
1941年(昭和16年)陸軍中尉に昇進、第1軍参謀部に転じる。山西産業・河本大作と出会う。山西省政府の顧問補佐官として、民政・警察・軍隊を主管した。
1945年(昭和20年)大東亜戦争の終結。戦後も「祖国復興・山西独立」をスローガンに、「李誠」の名で資源確保のために閻錫山の山西野戦軍(約6万人・5個師団)を指揮し、日本軍の残留部隊(約1万5千人・1個師団)と共に、毛沢東が率いる中国人民解放軍と戦う。
1949年(昭和24年)2月に米国ヘラルドトリビューンのシモンズ記者が太原訪問。閻錫山と城野先生(李将軍)に会見、米国でライフ誌に大きく掲載された。日本では、読売新聞が翻訳記事を掲載した。4月、山西省郡都太原が陥落。中国人民解放軍の捕虜となる。
中国人民共和国特別軍事法廷で禁固18年の判決を受ける。太原・北京・太原・撫順と15年間監獄生活を送る。収監中も、中国語による三国志講談、牢名主になるなど多忙。
1964年(昭和39年)4月最後の中国3戦犯として、51歳で帰国。
1969年(昭和44年)城野経済研究所発足。情勢判断学・脳力開発を提唱。
1970年(昭和45年)4回にわたり日本のトップ企業からなる経済使節団を率い、団長としてアラブ諸国を歴訪。故サダト大統領など各国首脳と会談、日本アラブ協会理事長として親善・経済発展に尽力する。故チトー大統領(ユーゴスラビア)とも親交があり、両国の経済発展に寄与した。財団法人日本教育文化協会理事長、産業新潮社会長に就任。
1975年(昭和50年)財団法人スポーツ会館理事長就任。
1980年(昭和55年)米国第5空軍の佐官に「3つのシークレッツ」と題して講演。
1984年(昭和59年)日本工業倶楽部で「人間学シリーズ」講演会開始。後に「三国志の人間学」「東西古今人間学」「戦略の人間学」の書籍・テープとして発刊される。第1回戦国合戦イベント(桶狭間の合戦編)開催。
1985年(昭和60年)財団法人スポーツ会館会長に就任。
12月21日逝去。享年72歳。

昭和20年に大戦が終結したが、その後も中国山西省に残り、毛沢東が率いる中国人民解放軍と戦い、昭和24年に負けて捕えられ禁固18年の判決を受け、昭和39年に帰国するという非常に特異な体験をされています。
この間の状況については、城野宏著
「祖国復興に戦った男たち」、「獄中の人間学」

2. 城野経済研究所の設立と脳力開発研修、情勢判断学会の発足

帰国後、周囲の懸念を振り払い積極的な活動により自らの生活基盤を築き、昭和44年には城野経済研究所を発足、月刊シリーズで城野氏論文やコンサルタント実績を著わしたパンフレットを発行し、脳力を活用する情勢判断学を提唱し、行動学、人間学を説いた。
これらに関する著書としては、
「情況判断の行動学」、「情勢判断の方法」、「挑戦の行動学」、「諸葛孔明の戦略と戦術」、「謀略の人間学」、「三国志の人間学」、「東西古今人間学」等多数の著書があります。

情勢判断学に関心ある人を対象に会員制に移行していった。その後、城野氏の指導の下、情勢判断学の前提になっている脳力の活用の方法について平野耕一郎が脳力開発の指針を明確にし、脳力開発研修を実践することになった。
これに関する著書としては、「脳力開発のすすめ」がある。また、「脳力開発入門」が発刊された。
会員制が軌道に乗り、昭和52年8月に情勢判断学会を発足した。
この間、城野先生は日本の資源問題の解決の一助として日本アラブ協会を設立し理事長として経済界の親善友好に尽力もした。
また、一方、城野先生が実践してきた柔道を発展させた護身道を開発し、その普及活動にも尽力された。

3.情勢判断学会の活動推移~会報から読み解く活動情報

情勢判断学会の活動内容としては、月例会を中心に、各種の勉強会が分科会として開催されてきた。
昭和57年7月には情判会報の創刊号が当時の代表桜井雅章氏により発刊された。
昭和57年9月に発刊された第2号には、7月に開催された脳力開発全国大会の報告が掲載されている。
昭和58年12月に第3号が発刊されたが、小生が東京本部の執行委員長として登場することになった。これまでは、城野経済研究所の経済的保護のもと活動をしてきたが参加者の減少に悩まされていた。小生としては、情勢判断学会東京本部として自己責任で自立していくべきだと主張し城野先生のご理解を得た。城野先生も1号会員として参加いただくこととなった。また、これまでの代表制を改めて執行委員体制をとることとした。

この間、城野先生の発案とご指導により、戦国合戦イベントを実施した。

第一回 昭和59年3月10日~11日
    桶狭間古戦場
第二回 昭和59年9月8日~9日
    川中島の合戦
第三回 昭和60年11月16日~17日
    長篠合戦古戦場

昭和60年11月の執行委員会で、小生の仕事上の異動で昭和61年以降の執行委員長を東瀧邦次氏にお願いすることとした。

昭和60年12月21日、残念ながら城野先生が入院先の東大病院でご逝去された。城野夫人が事後処理を進められるが城野経済研究所は解散されることとなった。

情勢判断学会の方は昭和60年から村尾朝治氏、平成2年から荻原なみゑさん、平成3年から井野紀久男氏、平成7年から安藤明氏と変遷し、安藤明氏が情勢判断学会を城野夫人にお返しするとのことがあり、これまでの経緯から平成15年には小生が引き受けることとなった。

当初はこれまで情勢判断学会に関わりを持った人たちを結集して、活性化できないかと思い実践したが、これまで実践してきた人は自らの目標を明確に持っており、それぞれ自らの道を進む方針であり、改めて脳力開発や情勢判断学を学び広める必要がないようであった。
一時勉強会も再開したが、参加した人が継続せず、思ったような効果が出せず残念ながら続かなかった。
拡大発展が果たせていないのが現状であります。

平成26年1月例会報告

日時  : 1月8日 水曜日  18;30 ~ 20;30
テーマ :「平成26年度の展開について」
場所  : 港区立商工会館
担当  : 古川 彰久

今年度の展開を検討する前に昨年度のテーマと講演者を振り返ってみよう。

 <昨年度のテーマと講演者>
1月テーマ :平成26年度の展開について
  担当  : 古川 彰久
2月テーマ :中国に関わる不思議な勉強会
  担当  : 平井 兵治
3月テーマ :自然治癒力への挑戦
担当  : 古川 彰久
4月テーマ :鎮守の森の植生
担当  : 石田 金次郎
5月テーマ :いのちの喜ぶ」生き方
        ――病という負の財産を得て――
担当  : かとう みちこ
6月テーマ :命再生の原点・玉川温泉と歩んで
40数年
担当  : 大城 源吉
7月テーマ :城野宏先生と私
担当  : 知野 進一郎(愛知県長久手市在住) 
8月テーマ :城野宏先生生誕100周年記念

9月テーマ :顔面表情読解を通した円滑な
     コミュニケーションのあり方について
担当  : 清水 建二
10月テーマ:39名の講師の先生方から学んだこと」
担当  : 知野 進一郎
11月テーマ:我が国における統合医療の
展開について
担当  : 古川 彰久
12月テーマ:顔面表情読解を通した円滑な     コミュニケーションのあり方第2回
-微表情と嘘
担当  : 清水 建二

 <昨年度の特徴>
昨年度は講演者の取り組んでいるテーマについての想いを語っていただいたといえる。特に後半は新しい方に参加をいただき新たな分野への挑戦を語っていただいた。


<今年度の展開について>
初めて参加する人にとって、情勢判断学とか脳力開発とはどのような内容なのかよく知りたいと思うが、例会に参加しても基本的なことが十分理解できていないとの意見があった。
過去には例会とは別に勉強会も実施したことがあるが、参加者が少なくなり、継続困難になった経緯がある。ただ、確かに新しい参加者には基本的なことが理解できないことは問題であることは確かなので、今後講演をする人が情勢判断学や脳力開発をどのように活用しているのか、分かり易いようなテーマを取り上げ、どのように活用されているのか分かる様に話をしていくこととしようということになった。
                     以上