« 2014年7月 | メイン | 2014年10月 »

2014年8月20日

平成26年7月例会報告

日時  : 7月9日 水曜日 18;30 ~ 20;30
テーマ : 「イスラム教」とはどのような宗教なのか?
場所  : 港区立商工会館
参加費 : 1000円
担当  : 古川 彰久

 前回北島氏から「ハラール認証制度」についてお話していただきましたが、その討議を通して私たちがいかに「イスラム教」について無知であるか、認識させられました。
 そこで今回はイスラム教に関する情報をインターネットから取得し、お互いに論議をすることによりイスラム教に対する認識を深めました。

イスラム教とは
イスラム教の唯一神をアッラーといいますが、アッラーというのは神様の名前ではありません。アッラーというのはアラビア語で「神」という意味です。一般名詞です。日本語で「神さまー」というように、アラビア語で「アッラー」というのね。だから「アッラーの神」という言い方は間違いです。
 では、神様の名前は何かというと、あえて言えば「ヤハウェ」です。キリスト教徒が信じているのと同じ神さまをイスラム教は信仰しているのです。
 イエスはユダヤ教を改革しようとした人でしたね。だから、キリスト教の神さまはユダヤ教と同じ「ヤハウェ」でした。そして、その同じ神をイスラム教も信じている。
 だから、人類はアダムとイブからはじまったとイスラム教徒も考えているのですよ。
 ムハンマドが神がかり状態になるときに、神の言葉を授かるのですが、神はずっと昔からムハンマド以外の人にも言葉を与えてきた。それが、「ノアの箱船」のノア、「出エジプト」のモーセなど、旧約聖書の登場人物たちです。ムハンマドはそれらの人物を預言者として認めます。
 さらに、イエス。かれも預言者の一人だった、とムハンマドは言う。
 ただし、神はこれまでの預言者たちにすべてのことを伝えたわけではない。言い残した言葉がたくさんあったんだ、という。人間たちに言い残した言葉を伝えるために選ばれたのがムハンマドなのだ。
 というわけで、イスラム教でのムハンマドの位置づけは「最後にして最大の預言者」です。何しろ、神さま今まで言い残していたすべてをムハンマドにしゃべってしまったので、もう何も人類に伝えることはない。だから、ムハンマドは最後の預言者なのです。
 ムハンマドが他の人間と違うのはそこだけで、他に奇跡を起こしたりとか特別な能力を持っていたりということはありません。
 イスラムという言葉ですが、これは「神への帰依」という意味です。帰依というのは「深く信仰し、その教えに従う」という意味ですよ。
 イスラム教徒のことを「ムスリム」といいます。意味は「神に帰依した人々」です。この言葉、教科書でも頻繁に出てきますので、しっかり覚えてください。
 神がかり状態のムハンマドの言葉を集めたイスラム教の聖典が「コーラン」です。この「コーラン」は、考えようによってはものすごい本です。たとえば仏教のお経やキリスト教の新約聖書は、ガウタマ=シッダールタやイエスの言葉がどれだけそのまま伝えられているか、という点から見ると、かなりあやふやなものです。
 しかも、ガウタマ=シッダールタやイエスは人間ですから、かれらの言葉が正確に書かれていても人間の言葉に過ぎない。
 ところが、「コーラン」は神の言葉そのものなのです。神がムハンマドの肉体を通じて語りかけたのだから。しかも、それをリアルタイムで聞いていた信者たちが、書き留めてまとめたものです。
 他の宗教の経典はのちの時代の信者たちが教祖の言葉を解釈してまとめたもの。「コーラン」は神の言葉を解釈抜きで書き留めたもの。この違いはすごい。
  ムハンマドはアラブ人ですから、アラビア語をしゃべりました。神がかり状態の時もアラビア語でしゃべったのです。ということは、神はアラビア語でしゃべったのです。
 神の言葉を人間が勝手に変えることはできません。だから、翻訳した「コーラン」はもう神の言葉ではない。日本でも本屋に行けば日本語訳の「コーラン」を売っていますが、正確には、これは「コーラン」ではありません。私たちが、イスラム教がどんなものか知るのにはそれで充分ですが、もし、入信するならアラビア語で誦まなくてはダメです。
 だから、ムハンマドの死後、イスラム教が西アジアからアフリカ北岸に広がっていくとアラビア語もそれにつれて広まっていった。「コーラン」によってアラビア語が西アジアに広がったということは知っておいてください。
 「啓典の民」という言葉も覚える。これは、イスラム教が同じ神を信仰しているユダヤ教徒、キリスト教徒を呼ぶ言い方です。ユダヤ教、イスラム教を尊重した言い方だからね。
 ただ、イスラム側が尊重するように相手方は尊重してくれないんですが。まあ、「最後にして最大の預言者」がムハンマドで「コーラン」が神の言葉、などと言われては尊重できないでしょう。

イスラム教徒の義務 「六信五行」
1.「六信」とはムスリムが信じなければならない六つのことです。
  「神」「天使」「啓典」「預言者」「来世」「天命」
2. 「五行」は、ムスリムが行わなければならない五つのことです。
  「信仰告白」「礼拝」「断食」「喜捨」「巡礼」
「信仰告白」というのは、「アラーの他に神なし。ムハンマドはその使徒なり。」と唱えることです。声に出さなければダメですよ。この「信仰告白」というのは、次の「礼拝」と一緒におこなわれます。
 「礼拝」のシーンはテレビでも見たことのある人は多いと思います。正式には一日五回、メッカの方向を向いておこなう。
 ムハンマドはイスラムの教義を作り上げていくときに礼拝の方向を決めました。はじめはイェルサレムに向かってとか、いろいろ試行錯誤するんですが、最終的にはメッカのカーバ神殿に向かって礼拝することにきめました。世界中のムスリムが礼拝の時間にはメッカのカーバ神殿に向かって拝むのです。
  とにかく、このメッカに向かって「礼拝」をする。ところが旅行中とか外国にいるとメッカがどちらの方向かわからなくなる。そこで、旅行者向けに「メッカ探知機セット」が売られている。この地図で緯度と経度を調べて、コンパスでメッカの方向がズバリわかる。こんな商品があるくらいに、「礼拝」は大事な「行」です。
 「礼拝」の手順。
 まず、メッカを向いて直立。次に、手のひらを広げて耳の両脇に持ってきて「神は偉大なり」と唱える。手を下ろして、お辞儀をしながら「神は偉大なり」をもう一度。
 ひざまずいて額を地面につけながら「神は偉大なり」。これを二回繰り返して、また立ち上がって、お辞儀。この時も「神は偉大なり」と言う。
 また、ひざまずいて額をつけて「神は偉大なり」を二回。
 最後に、ひざまずいたままで軽くうつむいて、神を讃えて預言者とムスリムへの神の祝福を祈ります。さらに、首を左右に振って「アッサラーム・アライクム(あなたの上に平安がありますように)」と唱えておしまい。この時、両手は膝の上に置いているのですが、右手をよく見てください。人差し指だけを伸ばしている。これは、神は唯一、という印です。
 立ったり座ったり、なかなか忙しい。これが礼拝ですが、正式には礼拝にはいる前に手や顔を決まった手順で清めなければならない。また、立っている間に「コーラン」の一節を唱えたりもしますから、結構時間がかかります。
 「断食」。一年に一ヶ月断食月があります。ラマダーンと呼ばれる月です。これは、まったく何も食べないのではない。日の出から日没まで、太陽の出ている時間帯に食べ物を口にしない、というものです。日が沈んだら、食べてもよいのです。
 さあ、日が沈みます。「やったー!」ってみんなが思うのですよ。この時の開放感がたまらないらしい。親戚や友人がみんなで食べ物を持ち寄って、夜はパーティです。イスラムはお酒は禁止だから、食事会。こういうお祭り気分が一ヶ月続く、それがラマダーン。イスラムの「断食」です。
 「喜捨」。これは富めるものが貧しいものに財産をわけあたえることです。イスラムは商人の倫理が根っこにあるから、まともな取引で儲けることはいいことなんですが、儲けっぱなしで、財産をため込むことを卑しいこととします。儲けたなら、それを貧しいものに施すことを勧めます。
 喜捨と関係するのですが、イスラム世界ではイスラム銀行という銀行がある。この銀行は日本や欧米の銀行とは違って利子がないのです。預金を何年しても利子が付かない。なぜ、預金者はこんな銀行に預けるのか?
 銀行は預金の運用益を喜捨的な事業に使うのです。だから、イスラム銀行に預けるということは間接的に喜捨をすることになる。
 巡礼。これは、メッカに巡礼することです。一年に一回巡礼月があって世界中からイスラム教徒がメッカに集まってくる。テレビでも最近よくやるので見た人もいるでしょう。現在メッカはサウジアラビアにあるので、サウジ政府は巡礼者の受け入れに非常に気を配っている。また、それがサウジ政府の威信を高めることにもなっているようです。
 メッカに巡礼するということは、交通の不便だった昔はなかなかできることではなかった。一生に一度はメッカ巡礼を果たすことがイスラム教徒の悲願でした。だから、今でも巡礼をした人は「ハッジ」と呼ばれ地域の人々から尊敬をされます。

その他の特徴
1. 聖戦 ジハードともいう
2. イスラム法
イスラム世界ではコーランに基づく法律が発展。
イスラムでは政治・法律と宗教を切り離すことができない。すべてがイスラム教に関わっている。

「コーラン」=「クルアーン」とは
クルアーン(???? qur’?n)あるいはコーランは、イスラーム教(イスラーム)の聖典である。イスラームの信仰では、唯一不二の神(アッラーフ)から最後の預言者に任命されたムハンマドに対して下された啓示と位置付けられている。ムハンマドの生前に多くの書記によって記録され、死後にまとめられた現在の形は全てで114章からなる。