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2015年5月20日

平成27年4月例会報告

日時  : 4月9日 木曜日 18;30 ~ 20;30
テーマ :著書『福島原発、裁かれないでいいのか』(朝日新書)出版の報告 
場所  : 港区立商工会館
担当  :古川元晴(弁護士、元検事)

(はじめに)
私は、本年2月13日、標記の題名の本を、朝日新聞出版から出版することができました。福島原発事故が発生してから既に4年が経過しましたが、その間、法律家の視点から、この事故の問題点をひたすら考え続けてきました。たった一人で挙げた産声(問題提起)でしたが、今、このような立派な本を出すまでに育ち、感慨無量です。お陰様で大変に好評のようでして、安堵しています。
  ここに至るまでには多くの方々のご理解、ご支援がありましたが、特に情判会の例会で幾度も報告する機会を得たことが、大きな原動力となっています。そこで、この機会に、この本が出版されるに至った発端と経緯、この本の主要な論点、今後の展望などについてご報告することとします。
1 この問題に取り組んだ発端はなにか
福島原発事故の元政府事故調委員長畑村洋太郎氏(失敗学の提唱者)は、この度の原発事故につき、「原子力を続けるなら、危ないものは危ないと正面から向き合う社会をつくる必要がある」と警告しています。まさにそのとおりでしょう。そして、原発の危険性に向き合う一人ひとりの努力の積み重ねによってしか、国民の観点に立った「安全な社会」は作れません。私も、その一人として、この4年間、愚直に原発の危険性に向き合ってきましたが、その発端は、次のとおりです。
  ①自分の問題として・・自分も安全神話に安住していたし、最悪の場合には首都圏も放射能に汚染され、避難民となっていたかもしれない。
  ②法律家の責務として・・人々の命と暮らしの安全を脅かすような危険業務は、「法」によって適切に規制されなければならないが、原発に対する「法の規制」はどうだったのか。その実態を明らかにした上で、問題点があれば改めるように尽力するのが、法律家としての責務
2 どのような経緯があったか
(1)情判会の例会における報告状況を振り返ると、次のとおりです。
  ①2011年5月例会「原発の安全神話を検証しよう」
   ②2012年3月~5月例会「原発事故から学ぶ”正しい戦略”(1)~(3)」
   ③2014年4月例会「なぜ誰も責任を問われないのかー3・11原発過酷事故についてー」
以上のうちの①は、事故発生から僅か2か月後に行ったもので、それまでのマスコミ報道や公表文献という限られた資料をもとに検討した結果を報告したにすぎません。しかし、その報告では、既に、当時の国や東京電力が唱える「原発の絶対安全」なるものが、国策としての原発推進を優先するあまり、真の危険性(特に、いまだ起きたことがない「未知の危険」)から目をそらした「神話(虚構)」に過ぎなかったこと、及びそのような神話をチェックすべき「法」及び司法の役割が適切に発揮されなかったことが、この過酷事故の発生を未然に防止できなかった原因ともなったことを明らかにすることができていました。
 次の②は、①の実態分析を踏まえて、「正しい国家戦略」という観点から検討した結果を報告したものです。国策としての原発推進について、「厳しい賛成・反対の対立を、不毛な対立にとどめず止揚して、建設的で将来展望のある解決に導く」ための道筋を明らかにするという課題に挑戦したものです。戦略を実現するためには戦術が必要ですが、現代の国民主権の民主国家においては、まずは戦略自体が、国民の誰からも理解、納得が得られるという意味での「正しい理念」をもったものでなければならならないことは当然であり、しかも、この「正しい理念」というのは「法の理念」でもあります。法律家の役割は、「原発の安全」について、原発の賛成・反対の立場を超えて、一般国民の誰からも納得がえられる普遍的な法理論を構築するということで、私もその課題に挑戦したわけです。
この②の報告を契機に、私の挑戦について親しい同期の検事OB数人が大いに共鳴して、”「法の支配」実務研究会”という勉強会を結成してくれ、やがて刑法学者にも加わってもらうことができました。そのような経緯を経て新しい法理論を構築することができたわけですが、それは刑法上の過失に関する法理論で、1960年代に当時の東大教授・藤木英雄により提唱された「危惧感説」を、森永ドライミルク中毒事件などの判例を踏まえて、実務家の観点から、補強し再構築したものです。危惧感説は元来「未知の危険」にも適切に対応し得る法理論として提唱されたもので、それを、時代と社会の要請に適うよう一般国民の常識を踏まえてに再構築し得たものであると自負していたのですが、いざそれを公表しようとすると、大きな「既成の壁」があったのです。この法理論は、それまで刑法学界や実務を圧倒的に支配していた過失に関する法理論である「具体的予見可能性説」(既に起きたことがある「既知の危険」についてのみ過失を問えるとする法理論)の問題点を指摘し克服しようとするものでしたから、中央の法律専門誌からはことごとく異端の少数説として登載を断られてしまいました。
そのような苦境を救ってくれたのが地方のNPO法人で、その機関誌 『人権21・調査と研究』2013年12月号に「3・11原発過酷事故と東電等の刑事責任」というタイトルの寄稿文を掲載してくれました。そして、この掲載を契機として、関係者の理解が順次広がり、
  ①朝日新聞ウエブ『法と経済のジャーナル』に「3・11原発過酷事故と東電等の刑事責任」掲載
  ②岩波『世界』2014年6月号「なぜ日本では大事故が裁かれないのか-過失を裁く法理の再検討-」掲載
  ③朝日新聞2014年9月6日視点欄「福島第一原発事故 国民が納得する再捜査を」掲載
などを経て、ようやく本書の出版に至った次第です。
3 本書の主要な論点は何か
(1)福島原発事故についての国民共通の素朴な疑問点は、主に次のように整理出来るように思われます。
  ①なぜ事故は未然に防止できなかったのか(「絶対安全」を標榜していたのではないのか)?
②なぜ誰もいまだに責任を問われないのか(国会の事故調査委員会から、「この事故が『人災』であることは明らかである。」「人々の命と安全を守るという責任感の欠如があった」と厳しく断定されているのではないのか)?
 ③なぜ粛々と再稼働に向かって進んでいるのか(原発推進の「錦の御旗」だった三つの神話(「安全」神話、「安い」神話、「不可欠」神話)は全て崩壊したのではないのか)?
  そして本書は、以上の疑問点を次のような観点から解き明かそうとしたものです。
  ①「原発の安全基準」はどう在るべきかを、”危険社会における「リスク管理」”という観点から明らかにする。
  ②「原発の安全基準」をどう実現すべきかを、「リスク管理」における「法の役割」という観点から明らかにする。
  ③同様に「原発の安全基準」をどう実現すべきかを、立法、行政との関係において司法が果たすべき役割という観点から明らかにする。
(2)各観点について簡単に要旨をご紹介すると次のとおりです。
  ①危険社会における「リスク管理」という観点について・・現代社会は、科学技術の飛躍的な発達の恩恵に大きく依拠していますが、反面において、過去に起きたことがあって誰にでも確実に予測できる従来型の「既知の危険」に加えて、過去に起きたことがなく科学的にも確実には解明されていない新しい形態の「未知の危険」へと危険の範囲が飛躍的に拡大している危険社会でもあります。「リスク管理」とは、そのような危険を科学的、合理的に分類整理した上でどの範囲までの危険を未然に適切に探知して回避措置を講じるように管理し得るかということです。したがって、どの範囲までの危険をその管理の対象とすべきかの決定が、「リスク管理」上の核心的(戦略的)事項となります。この度の福島原発事故は、リスク管理の対象を「既知の危険」にのみ限定し、それ以外の危険を対象外(「想定外」)としたという戦略上の決定の誤りにより、必然的にもたらされたものだといえるでしょう。
  ②「リスク管理」における「法の役割」という観点について・・リスク管理上の戦略決定は、当該組織のトップの権限ですが、経営利益を優先させてリスク管理を軽視することによる戦略決定の誤りについては、組織内部の自浄作用が期待できず、「法」によって強制的に規制する以外にありません。この場合の「法の役割」とは、まずは時代と社会が要請する法規範としての安全基準を定めるということが本質的な事柄です。この度の原発事故は、この「法の役割」が、「既知の危険」以外の危険(「未知の危険」)にまで及んでいなかたことによって起こされたものであるといえるのです。
  ③立法、行政との関係において司法が果たすべき役割という観点について・・ 物事には、その時々の政策として多数決で決めてよい事項(政策的事項)と、多数決によっても奪えない憲法上の基本的人権(人の生命、身体、精神などの人格権)に関する事項(普遍的事項)とがあります。立法、行政による政策判断によってもこの普遍的事項が侵されないようにチェックするのが、司法の本質的な役割です。事故前に原発運転の差止を請求する訴訟が、住民により多数提起されていましたが、裁判所は、最終的にはことごとく「未知の危険」にとどまることを理由として棄却していました。この度の原発事故は、司法がその役割を適切に発揮し得なかったことによって起こされたものであるといわざるをえないでしょう。なお、原発の安全については、専門家による高度の科学的、専門技術的知識に基づく総合的な判断が必要とされるので、素人の裁判官は軽々にチェックすべきではないと解する見解もあります。しかし、科学的、専門技術的な判断の名目で、原発推進の是非というような政策的な判断が横行しているという実態を的確に見抜く必要があります。
4 今後の本書普及の展望について
現在、国及び原発事業者による原発再稼働が粛々と進められており、福島原発事故の問題を真正面から論じることをタブー視する風潮も強まっているようです。しかし、いまだに政府の避難指示に基づく避難者は8万数千人に上っており、マスコミの世論調査でも、原発再稼働「反対」が「推進」を大きく上回っています。この事故を契機に、「原発の安全」とは何かを明らかにして、国及び原発事業者の無責任体制を転換させることが、被災者を救済し、事故の再発を防止し、国のエネルギー政策の将来展望を明確にすることになるはずです。本書がその役に立てる更なる展望は十分にあると確信しています。