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2016年4月17日

平成28年3月例会報告

日時  : 3月10日 木曜日 18;30 ~ 20;30
テーマ :城野先生の著書から学ぼう「第三の経済学」を輪読しよう 第6回
場所  : 港区新商工会館
担当  :北島 徳泰

<日本と諸外国の協調について>
日本と諸外国の協調については多角的な考察が必要なため、今回は日本の生命線ともいえるシーレーンから考察してみた。
日本の場合、資源、食料の多くを輸入に頼っており、これらを日本に輸送するためには、シーレーンの確保が必要となり、そのためにも沿岸諸国との協調が必要となる。
シーレーンが脅かされたことで問題となった過去の事例としては、第二次世界大戦における連合軍の通商破壊作戦が挙げられる。このときは潜水艦や航空機による輸送船への攻撃、航路上への機雷の敷設が行われた。これによって船舶の90%が沈められ、大戦の末期と戦後に慢性的な物資不足の原因の一端となった。なお、現在でも資源輸出国との関係悪化や、ホルムズ海峡やマラッカ海峡等の重要航路が何らかの形で封鎖された場合、同様の事例が発生するものと思われる。

<日本の戦後の輸出産業、海外での事業受注について>
戦後GHQは、財閥解体を実施し、日本の工業の国際的競争力を一時的に奪った。しかしながら、この財閥解体は財閥系以外の企業が台頭する機会を与えた。結果、多くの有力企業が日本から誕生し、後に欧米を脅かす存在へと成長していくこととなる。
海外に工業製品を輸出する場合や海外での事業受注が発生した場合、相手国に対し日本の複数の企業が交渉を持ちかけるスタイルがよく見受けられる。その結果、自然と競争が起こり、最終的には品質と価格両面の競争に巻き込まれ、仕事を請け負っても利益が薄いケースが少なくない。しかし、この競争により、日本の各メーカーから低価格で高品質な製品が各社で生産されるようになり、結果としては日本製品が世界を席巻するといった事態が見受けられるようになった。

<戦後の日本の農業について>
戦後の農業についても多角的な考察が必要なため、今回は戦後の農業政策の一部から考察してみた。
戦後GHQは農地解放を実施し、日本の小作農はほぼ全て自作農となったが、これは両刃の剣となった。良い面としては、小作農の所得の向上に大きく貢献したことであり、悪い面としては、多数の零細自作農を誕生させてしまったことである。これはその後の農業の機械化を各農家に対応させることを意味し、農業の大規模集約化が必要となった際の農地確保の阻害要因ともなった。
戦後の食料事情の解消のため、政府は米の買い取り制度を施行し、日本の農業の保護のため、輸入農産物に高い関税をかけた。これらは農業従事者への間接的な所得補償となったが、同時に日本の農家の国際的な競争力を奪う形となった。
現在、日本の食糧自給率(カロリーベース換算)は、約40%である。さらに現在の農林水産業の従事者の高齢化、後継者不足により今後この数字はさらに小さなものとなり、同時に国際的な競争力も失われつつある。
さらに問題なのは、日本の「農林水産業=第一次産業」という考え方である。この考え方は、60年以上前の古い考え方である。現在、各種産業が、電子技術、機械技術の導入により以前と比べてかなり密接に関連しており産業構造が複雑に絡み合っている状況下にあるた一次、二次、三次と厳密に線引きすることが困難となっている。また、食料は国の安全保障の一翼を担っているため、食料生産の基盤である農業、水産業自体に新しい技術を導入して大規模集約化して高次産業化されるべきである。にも拘わらずこの古い考え方がこれを阻害している。

現在発生している問題が30年以上も前に予測されていたことに驚いた。これは、城野先生の観察眼のすばらしいところでもあると同時に、多くの日本人がもっている「未来は過去の延長線上にある」という認識、しいては、「新しい時代に対応するための柔軟性の欠如」に対する警鐘でもあると思われる。