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2016年5月16日

平成28年5月例会報告

日時  : 5月12日 木曜日 18;30 ~ 20;30
テーマ :城野先生の遺稿の整理について
場所  : 港区新商工会館
担当  :榊原高明、古川彰久

城野夫人は以前から城野先生の遺稿の整理を希望されてましたが、今年一月に小生と榊原氏がお宅を訪れ、城野夫人のご希望に沿うべく、段ボール8箱の遺稿等をお預かりしました。
その後、二人で内容物を整理したところ、以下のような状況であります。

保管資料の分類
1.既に出版された書籍の原稿
2.雑誌として出版された
 「ケーススタディー」シリーズ
 「情勢判断の方法」シリーズ
 「基礎学習」シリーズ
「城野宏論文集」 等の雑誌と原稿
3.城野先生が会長をされた「産業新潮社」
 あるいは理事長をされた「日本教育文化協会」・
 「日本アラブ協会」等が発行する雑誌等に起稿された社説・社論等の原稿
4.「古事記」上巻は製本済、
 中巻、下巻は原稿
5.未出版と思われる書籍原稿
 「脳力開発と農業」
 「中国学」
 「山西のこと」
 「山西残留記」
 「講談中国史」
 小説「赤い大地」(未完)
 その他、中国関連資料、帰郷後初期等の原稿、
 著名不明の原稿があります。
6.中国で出版されたのかどうか不明ですが、
 中国語に翻訳された原稿
 「農業観念の根本転換」
 「日本経済の構造」

この中で、まず気になったのは4項の「古事記」であります。
 本原稿資料は、真福寺写本の中国語を翻訳したもので、上、中(原稿用紙83枚)、下巻(56枚)からなり、上巻のみが製本済です。面白いのは 上巻の序で、古事記の序文は漢文で書かれているのに、本文は簡単な中国語で記されていて、内容に相違があり、つながらないなど、我々が学んできた古事記の認識とは違いがあるようです。
  
 城野さんによれば、古事記は本居宣長が日本の古語を研究し、古事記の中国式漢字配列のそばに自分の知っている古語を当てはめたのが「古事記伝」である。全部が日本の古代語らしいものに置き換えられてあり、普通の人には分からない。古事記の研究というと、原本のやさしい中国語ではなく、難しい古代語訳古事記が、まるで本来の古事記の原本だと誤解されてしまったようだ。

 城野さんは古事記は難解で近寄り難いという先入観を突き崩し、古代日本人の生活内容を研究して、これまでの偽りの歴史から抜け出す助けにしようとされたのだと思います。この為に勉強会を立ち上げ、このテキストとして、中巻、下巻と発刊したかったと思いますが、残念ながら先生が亡くなられたため、刊行は上巻のみとなりました。

 6月の例会では、城野先生の翻訳資料と現代までの古事記翻訳の歴史的変遷や内容の違いなども 踏まえて説明し、これについて皆様から城野先生の古事記原稿資料の今後の扱いについてご意見を頂戴出来ればと思います。

 城野先生が「古事記」との関連で書かれたと思われる、「中国語と日本語――日本人がつくった“漢詩”――」という原稿がありますので、以下に紹介します。

<要旨>
中国語は、日本人にとって外国語のはずである。ところが漢字を使うという共通性がある。古来から日本人は漢字を通じて文化を吸収してきた歴史があるせいか、いつの間にか漢字が使われている限り、中国語であっても、日本語の漢字の意味で受け取ってよいものと思い込んでいる傾向があるようだ。

 日本人で「漢詩」を作る人がいる。中国古来からの詩の形態をとっているのだから中国の詩の筈である。しかし日本人として漢詩がつくれるということは、高い教養人としての証明であるかのような習慣的印象があるようだ。そこで漱石をはじめ名のある日本の文学者や、漢学者がよく「漢詩」を作っている。

 ある著名な漢学者の詩ですがといって見せられたものに、次のようなものがあった。
自誤文明妖気昏 紛紛軽薄豈堪論
一誠須立大成志 百忍應開衆妙門
世上流行何足迂 人間節義最為尊
相逢今日当相楽 清舞朗吟濯性源

 これを日本語にして読めば、
  自ら文明を誤って妖気昏し
  紛紛たる軽薄豈論ずるに堪えんや
  一誠須く立つ大成の志
  百忍まさに開くべし衆妙の門
  世上の流行なんぞ追うに足りんや
  人間の節義最も尊と為す
  相逢こと今日 まさに相楽しむべし
  清舞朗吟性源を濯う
 となるようである。

日本語の漢字の意味で解すれば、
  文明も自分でダメにして、よろしくない気分が
はびこり世の中も暗くなっている。
その辺のつまらない軽薄な者共は問題にならぬ、
一つの誠の心で大きな目的を成し遂げる志を
立てねばならぬ、つらいことも辛抱して、多くの
人々の立派な門を開かねばならぬ、世の中の流行
を追うようなことはしない方がよい、人間は節義
がもっとも尊い、そういう仲間が今日は顔を合わ
せたのだから、大いに心楽しく過ごそうではない
か、歌ったり踊ったりして人間性の根本を洗って
しまおう
 ということになりそうである。

 つまり、世の中はつまらぬ奴がうようよして、つまらぬことをやっているが、節義ある我々の仲間は清くいき、意気軒高としていつも精神の根本を洗ってすっきりしてゆくといった清純高尚の気を鼓吹したものと受け取れる。

 ところが、この漢詩を中国語として受け取るると、すっかり意味が違ってしまう。

 文明という言葉は中国語にはないから、自誤文明
とは中国人にはわからない。妖気とは女性がセックスアピールを発祥したり、狐狸が女に化けて男をたぶらかす時に使う。昏とは頭がくらくらすることで、日本語のようにくらいということになるのは黄昏というように結合せ方が違わねばならぬ。だから妖気昏では、セクシイな女に迫られて目がくらくらするという意味になってしまう。中国語の軽薄は尻軽女に使う。日本語の軽薄な人間というのとまったく違うのである。?軽薄といえば、あの女どうも男狂いでねとなる。妙門とつけては女性の陰門にしかならぬ。世上流行も中国語では意味が通らぬ。最近は日本語の流行がそのまま会話では、ファッション流行の意味で使われることはあるが、外来語であり、詩語にはならぬ。人間は世の中という意味で、日本語の人間の意味はない。濯性源となると、性源という熟語は中国語にはないから、一字一字の感じから推測することになる。ところがその前に相楽という言葉がある。これは男女のセックスの時に使われるから、これに連なって受け取ると、どうしても、セックスが終わってから陰部を洗滌しているとしか取れない。だから全体を通していえば、ひどくセクシーな女がいて目がくらくらしてくる、あの女、尻が軽く、どんな男も相手にするが、そんなこと問題にするな、やるからにはちゃんと決心を決め、あせらずに女の陰門を開かねばならぬ、今日また会ったからセックスをやって楽しもうではないか、踊ったり歌ったり大いにやって洗滌をした、というとんでもないポルノになってしまう。

 作者当人は中国語に通じていないため、日本語の漢字の意味で作ったのであろうが、上記のようにまったく想像外の結果になっている。

 中国語は外国語であって、日本語ではない。いい加減に日本語で中国語を曲解してはならない。このようなことは日中の相互理解と相互の尊重に大害を為すことになろう。つまり中国も中国語も、中国文化も、日本の付属物でも従属物でもないのだから、長年の習慣でそうなっている心構えを検査し、改めてゆく必要があるようである。この心構えが抜けないと、中国のことで日本と違った点を発見すると、みんな軽蔑の材料にしてしまうことになる。

平成28年4月例会報告

日時  : 4月14日 木曜日 18;30 ~ 20;30
テーマ :城野先生の著書から学ぼう「第三の経済学」を輪読しよう 第7回
場所  : 港区新商工会館
担当  :古川 元晴

(はじめに)
 今回は、城野先生の『第三の経済学』輪読の最終回ということで、その最終章「二つの経済学-総括提案」について意見交換しましたので、その最終章の要点と主要な検討点の概要をご紹介します。

第1 最終章の要点
1 わかる経済とわからない経済
 <わかる経済>人間たる者は誰でもよくわかり、毎日実践している「経済」。
 <わからない経済>学者的専門語で普通の人にはわからないようにしてある「経済」。

2 これまでの欧米における「二つの経済学」・・正統派経済学とマルクス経済学
 <共通点>欧米の経済社会の実態(巨大財閥が経済を支配)を出発点として、共通性を抽出し、法則化。
 <相違点>現状認識は共通で、現状維持か現状打破かの差。
①正統派経済学:巨大財閥の経済支配を維持、発展させる(スミス~~ケインズ)。
②マルクス経済学:既成の資本集団を崩壊させて、国家の名においての資本集積運用を提案。

3 経済における先進者と後進者の関係
 <「経済の基本原理」に基づく判断>
①先に進む者と遅れる者とが同時に発生するのは事柄の道理だが、先進者が自らのエゴのために後進者をひどくいためつけ、しぼりあげ、後進者がますますおくれていくようにすることとはよろしくない、けしからんということになる。人間の平等互恵、相互の助け合いによって人間社会を幸せにしていくという人間的存在の基本原理に背き、人道の原理に違反した行為。
 ②個人に適用される原理は、国家対国家の関係にも適用されねばならない。先進者は、その有利な条件を活用して、後進者の前進と繁栄のためにも力を尽くすべきなのである。

4 新しく形成されるべき日本経済学・・「第三の経済学」
1)経済学の探求方法
 ①経済問題の研究で大事なのは、各国各民族社会の特殊性をいかにつかむかというところにある。
 ②世界的には特殊性だが、一つの国家社会内ではそれが共通性となるような要素だけが、その社会の特殊性となり得る。
③イギリス、アメリカと比較して「少ない」とか「ない」となると、すぐ日本のほうがけしからんという主張となる。しかし、具体的に観察評価すれば、その「少ない」、「ない」が日本の優点として作用している面を認識していないことが多い。

2)日本経済の特徴
 <借金経営で挙げた実績>全国的に全国民から経済建設に必要な資金を動員。日本には、大企業の全株式を引き受けられるような大金持ちは存在しない。
 <国営企業・・その弱点と戦略・戦術>
  ①弱点・・国営で倒産しないという安心感からくる非能率と官僚化のマイナス面だけが強く作用するようになるのが現実。
②戦略・戦術・・国有・私有の問題は、技術的戦術的問題であり、国家経済の戦略問題ではない。国民の資金と労働力を総動員するか、それとも個人又は家族、グループの資金に頼り、その周辺だけの才能と労働力の動員で仕事を進めるかという区別が重大。
 <日本の大企業の特徴>
  ①日本の大企業は例外なく国民の零細資金の集合によって支えられ、運営されている。
 ②大企業はすでに集団所有化しており、ヨーロッパ的意味での個人的私有の範囲には属さず、むしろ中国における人民公社的集団所有制と実質上は同じになっている。

3)日本経済観察の三つのポイント
 ①人口が1億以上で、学齢児以上の99.9%は教育を受けた人間が活躍。
 ②天然資源が少なく、燃料と原材料の9割以上を外国より手に入れねばならない。
 ③日本人は、外国から燃料と原材料を入れて加工糸、付加価値を高め、半分を国内で使用し、半分を輸出して輸入品の支払にあてるという以外に豊かな暮らしをつくる方法はない。

4)新しく形成されるべき日本経済学
  上記3)①~③の基本線から日本の持つ経済法則、日本経済発展の方策を検討してゆくのが新しく形成されるべき日本型経済学=「第三の経済学」

第2 検討点の概要
1 城野先生が解き明かした「第三の経済学」とは何か?
1) 第一、第二の経済学・・欧米型経済学=労資対立型社会の経済学
<疑問>欧州は福祉先進国ではないか?

2)第三の経済学・・日本型経済学=労資一体型、国民総参加型社会の経済学
<基盤>伝統的に高い教育水準と、戦後の財閥・軍閥解体、農地解放、平和主義等

2 日本経済は、その後、「第三の経済学」が解き明かしたとおりに発展したのか、あるいは変容したのか?
1)高度成長時代の終焉と長期停滞時代へ
<時代変化の特徴>欧米に追いつけ追い越せ時代が終焉し、中国、韓国、台湾等に追いつかれ追い越される時代へ・・自ら経済戦略を創造すべき時代へ
<日本の対応状況>歴代内閣は、日本経済の構造改革(規制緩和等)による成長回復に全力を傾注しているが、依然として低迷状態にある。

2)世界経済の一体化(グローバル化)とその評価
<一体化> 地球を2分していた東西冷戦体制が1991年のソ連崩壊によって終結し、東側にも資本主義原理が導入れるようになり、この動きは中国、ベトナムといった社会主義国にも波及したことで、今や世界経済は、資本主義原理の下で、ほぼ一体化された状況に至っている。
<評価すべき面>IT技術等の先端科学技術の爆発的発展と相俟って、グローバルなイノベーション(現状変革)時代が到来しているという意味では、「ピンチはチャンス」の時代。
 <問題な面>
 ア 経済が国家の枠(規制)を越える時代・・「法の支配」が未成熟な「世界の自由市場」(無法地帯)での激烈な弱肉強食的な競争時代へ。
 イ 米国主導のグローバル資本主義(新自由主義)が世界経済を席巻し、日本経済にも重大な影響を及ぼしつつある。
  ①世界的な格差拡大時代へ
二極分化・・最先端の勝ち組とその他の負け組。
中間層の没落
国の再分配機能の低下・・法人税、所得税(類
進税率)、消費税
  ②経済至上主義による世界的な環境破壊、食の安全破壊等の深刻化

3)日本の対応状況
日本は、米国主導のグローバル資本主義こそが新しい時代の経済学であるとして、これに基づく政策を次々と打ち出しているが、成果が乏しい上に、かえって、非正規雇用の大幅増加、相対的貧困率の深刻化等の弊害が顕著になりつつある。
<アベノミクスによる三本の矢>
  ①金融・・日銀による金融の異次元緩和
②財政・・巨額な赤字財政予算の恒常化
③実態経済・・横這いの経済成長率(大企業における利益の拡大と内部留保化)
<15年10月~12月の財務省の法人企業統計調査>
   ①営業利益 5.1兆円増(3年前比)
②人件費 0.8兆円減(同上)
③手持ちの現預金 28.0兆円増(同上)
④14年度株主配当 3兆円近く増(2年前)
<格差拡大>
ア この20年間、富裕層は大して伸びなかったが、低所得層が一層貧しくなって格差拡大
イ 非正規雇用の拡大・・約4割
ウ OECDによる2010年の相対的貧困率
①全体・・34国中29番
②子供・・33国中25番
③子供がいる世帯(大人一人)・・33国中33番

3 「第三の経済学」の将来展望は?
城野先生が本著を刊行したのは昭和48年(1973年)であり、当時の日本経済の終身雇用、年功賃金等の特等点は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の要因として世界的にも高く評価された。しかし、その後のグローバル経済化のなかで、現在では、そのような特徴点が大きく崩壊しつつあることは上記のとおりであり、「第三の経済学」の将来展望が問われる状況にある。

(おわりに)
「第三の経済学」の将来展望について私見を述べます。米国主導のグローバル資本主義(新自由主義)はわが国をも席巻し、その結果として、今や「第三の経済学」成立の前提事実が崩壊しつつあるといえるでしょう。しかし、城野経済学は、上記第1、3に記述したような「経済の基本原理」によって構築されており、この原理は、あらゆる経済学を評価する上での普遍的な判断基準であるように理解されるのです。「第三の経済学」も、この普遍的な原理を基に提唱されたものです。
 したがって、このような城野経済学は、これからは単なる日本特有の経済学としてではなく、グローバル経済時代に相応しい「世界経済学」として新しく発展してゆくことが、世界各国の経済の真の相互繁栄のために必要であるように思われます。