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2016年8月 9日

平成28年7月例会報告

日時  : 7月14日 木曜日 18;30 ~ 20;30
テーマ : 城野先生遺稿
      古事記中国語原本と翻訳
      第2回

場所  : 港区新商工会館
担当  : 自由討論

石田氏のご好意によりスキャナーしていただいたテキスト古事記(上巻)の資料をそれぞれが読み感想や意見を述べ合いました。

以下に主な内容を整理しました。

1. 序文の内容について
城野先生は、このテキストの序の中で真福寺本の大安麻呂の序文について以下の様に述べている。
真福寺の写本には、大安麻呂の序文というのがついていて、その日付がちゃんと和銅5年となっているから、古事記はその年に書かれたのだとなってきたようである。しかし、その「序文」の内容からいうと、本文と同じ時に書かれたというには、いろいろ矛盾することが沢山でてくる。文章自体が、沢山中国の古典を読んで、その古事来歴をもって表現しており、ずいぶん程度の高い、よく勉強した人が書いた中国文である。それも、中国の原点よりも、もっとペダンティックに人の知らない言葉をえらんで、気取って書いてある。ところが古事記の本文の方は、中国語を一応勉強し、中国語の文章の書き方を習得したものだが、中国原典の形式的、古事来歴的語法フォルムを駆使せず、日本語を中国語式になおしたらこうなるだろうというような素朴で、下手な文章の書き方である。序文とは、とうてい同一人が書いたものではない。
その上、内容がおかしい。序文の方は神代にはじまって、「神武天皇」の建国となり、立派な国家が成立し、これに反抗するものを軍事的、政治的に平定していって、統一国家として継続されてきたというふうに書いてある。ところが古事記の本文には、そんな内容は殆どない。女との関係が主で、とうてい序文で飾りたてているような政治史ではない。壬申の乱のことを、「六師雷のごとく震い、三軍電のごとく逝き」とか、大軍を率いての大戦争のように書き、皇位につくと「道は軒后にすぎ、徳は周王にこえ」といった大形な形容で書いているが、古事記の本文には、それに相当する記述は何もない。壬申の乱そのものが一言も書いてない。
テキストの序文の翻訳で城野先生の指摘事項を確認しようとしたが、「六師雷のごとく震い、三軍電のごとく逝き」のような文章がない、中国語の原文を見てみるとそれらしい言葉が載っているが、壬申の乱という言葉は出てこない。このようなことから古事記を理解するには、それなりの基礎知識が不可欠のようです。

2. 本文の内容について
   本文については「中国語読解文」は読めなくとも、「現代語訳」は理解できる。確かに内容は日本国の成り立ちを書いているが、男女の関わりなど民話的で分り易く、城野先生の云うとおり、「この訳文で、古事記は難解で近寄り難いという先入観を突き破り、内容を十分分析し、時代的確証から、古代日本人の生活内容の測定まで、十分研究してみたらよいと思う。」

3. 歴史的な意味付けについて
この古事記の内容は、これまでの古事記についての常識を覆すことになるので、最近右傾化しつつある日本社会で受け入れられるか疑問とのご意見もあった。

4. 今後の本研究の取り上げ方について
今回、上巻を対象にしたが、今後、更に中巻・下巻を分析してみて、どのような展開ができるか検討してみようとのことであった。
 
なお、このテキストは城野先生がつくられたものと考えていましたが、製本された上巻をよく読んでみると、城野先生は翻訳を担当されており、企画・編集は西 忍氏となっている。

このテキストの編集者は西 忍氏で、「古事記を中国語で楽しむ会」の事務局長として、このテキストの「編集方針について」以下の様に述べています。

1. このテキストの作成の目的
「古事記」に登場する人々が、その登場する時代に、どのような社会をつくり、そしてどのような人間活動を送っていただろうかということを研究したいと考え、「古事記の中の人間と社会研究会」を開くことになりました。この研究会は「古事記の時代」に興味のある人なら誰でも、できる限り多くの人々が参加しやすいようにするとともに、「使いやすい」テキストを作ることが基本であると考えました。又、研究の成果を着実に積み重ねていくためには、「事実認識がバラバラにならないように」そして、「共通の事実認識のうえに立って、討議・研究ができるように」と考え、このテキストを編集・製作しました。

2. 「真福寺本古事記」に関する基本認識
現在最古の写本といわれる「真福寺本古事記」を研究した結果、「真福寺本古事記」は初歩的中国語で書かれたものではないかと考え、その基本的考え方に立って、「古事記を中国語で読む会」をつくり、研究してきました。
もちろん「文体」は中国語としても、地名は中国語ではなく、又人名についても中国語式、日本語等々色々です。そして、歌謡の「カナ」は現在使われている「カナ」の発音にほぼ近いと考えられ、現在の形態の直前のものではないかと考えられます。
しかしながら、基本的には「古事記は中国語で書かれている」という認識であり、この認識を出発点としてテキストを編集しました。

3. 編集の形式
(イ) 上記1.及び2.の二つの原則に基づき、「岩波文庫本古事記」を参考にしつつ、「真福寺本古事記」を「中国語文」として読解作業をしました。
(ロ) 歴史学専攻の中国人留学生施氏に依頼し、「中国語」として読解作業をしつつ、句読点を付すとともに、現代北京音発音記号を付しました。
(ハ) 施氏の栟音について、例えば所shuo(suo)、天dian(tian)など、日本で発行されている中国語辞典と異なる所がいくつかありますが、原稿のままとして、あえて統一はしませんでした。
(ニ) 全体の構成は、「真福寺本古事記」を写真原版とし、「中国語読解文」と「現代語訳」の三つについて、同一見開きページにおさめ、比較・対比しやすいようにしました。
(ホ) 写真でわかりますように「真福寺本古事記」は「縦書」ですが、いわゆる「漢文読み」にならないように、また、発音記号を付すためにあえて「横書」としました。しかし、「行数」及び「文字の配列」は全く同一であり、変えてはいません。

4. 研究課題
(イ) 編集作業を進める時、作業手順が錯綜し、「中国語読解文」及び「現代語訳」に使用した本文は、「真福寺本」「岩波本」「角川本」とバラバラになっており、従って、少し相互に文字の違いや文章の違いが生じている筈です。時間の関係上、事前に十分チェックができなかったのと、校正では全ての本文と対照しなければならないので、これもまた時間の関係上、チェックを断念しました。「研究会」においてチェックしていただければ幸いです。
また、栟音についても、いくつかの考え方があり、統一的な方式がとれなかったので、これについても今後の研究会の課題としたいと考えております。
(ロ) 資料として、「全登場人物の系図」「地名図」「カナ文字表」等を同時に作成する予定で、一応の原稿もありますが、諸般の事情から間に合わなかったので、これも「研究会」のテーマとして取り上げ、作成して頂ければと考えています。