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2016年10月13日

平成28年9月例会報告

日時  : 9月8日 木曜日 18;30 ~ 20;30
テーマ : 城野先生遺稿
      古事記中国語原本と翻訳
      第3回

場所  : 港区新商工会館
参加費 : 1000円
担当  :石田 金次郎

上巻には沢山の神様が出てきた。その内容を理解するには、神々の系図の整理が出来ないと理解できないと思い、系図などを整理してある本を見つけた。2012年発行の学習院大学名誉教授吉田敦彦監修、島崎晋著「面白いほどよく分かる古事記」である。これを頼りに城野先生の翻訳をよみながら、上巻の内容を理解して,中巻を読んだ。

古事記は記であり、歴史を追って記述がされている。何を主張したいかを知るためには、その歴史を逆に追ってみるとハッキリしてくる。この上巻は、神武天皇、またの名、神倭伊波礼毘古の出自を言いたいのである。神倭伊波礼毘古は天津日高日子波限建鵜草葺不合命の子であり、その祖は、邇邇藝命であり、その祖は、天照大御神の子である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命である。つまり、神倭伊波礼毘古は天照大御神の直系であるということを証明しているのである。

同じ天照大御神の弟である速須佐之男之命の系譜は,大国主の神であり、数々の神を輩出し、下界の国 豊葦原を支配していた。が、高御産巣日神や天照大御神は,豊葦原は天照大御神の支配するところであるとして、建御雷命を送り込んで、国譲りをさせる。そして、任務を果たさなかった天之若日子は,天命に背いたとして、射殺される。正統に反逆すれば,裏切り者には天罰が下るという示しであろう。これらのことを言わんがために色々な挿話が入っているということが理解できた。

中巻は、神倭伊波礼毘古、またの名,神武天皇の国作り,初めの建国の事業は天下の政をとるために東征が語られる所から始まる。高千穂の宮を出発し、兄、五瀬命が落命した蓼津の登実毘古、宇陀の