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2017年8月14日

平成29年9月例会報告

日時  : 9月14日 木曜日 18;30 ~ 21;00
テーマ : 日本会議とは
場所  : 港区商工会館
参加費 : 1000円
担当  : 飯田 豊

2016年7月某新聞が「日本会議」に関する書籍が多数出版していると報じた。日本会議に多数の国会議員が所属し、また安倍内閣においては、過半数を超える大臣が、日本会議に所属していることを知り、日本会議とは何かを知るために「日本会議の正体」(青木理著)他を読んだ。「日本会議の正体」は、ジャーナリストの著者が、関係者に幅広く取材をし、歴史的事実と対照しながら論述している。本書を中心に報告する。
 安倍首相誕生に際し、海外メディアは、2014年~2015年にかけて、次のように報じている。
「日本会議とは"日本の政治を作り変えようとしている極右ロビー団体"(豪ABC)、"強力な超国家主義団体"(仏ル・モンド)、"安倍内閣を牛耳っている"(米CNN)にも拘わらず、日本のメディアの注目を殆ど集めていない"(英エコノミスト)」等々の海外の報道から始まった。その後日本メディアの追随が始まった。
第1章で先ず日本会議の現状を述べている。宗教右派を中心に、1974年「日本を守る会」が組織化された。一方"元号法制化運動"に取り組んだ団体を発展改組し、財界・政界・学界・宗教界等の代表が中心となり、1981年「日本を守る国民会議」となった。1997年両団体が統合して、「日本会議」が誕生した。その日本会議の理念や政策を現実政治の場で具現化していくことを目指していく「日本会議国会議員懇談会」が結成された。
2017年7月現在の主要メンバーは、名誉会長:三好達(元最高裁長官)、会長:田久保忠衛(杏林大学名誉教授)、副会及び代表委員として、政財界、宗教界、学界出身者であった(副会長の一人は、神社本庁総長)。事務総長は、「日本を守る会」及び「日本を守る国民会議」の事務方をしていた椛島有三で、実質日本会議の活動を推進する中心的人物である。
 基本運動方針は、①皇室の崇拝、②憲法の改正、③国防の充実、④愛国教育の推進、⑤極めてアナログで復古的な家族観の重視であった。
①は国体論であり、「本当に天皇を尊んでいるというよりは強い国家を望んでいる。そのためには天皇の権威が必要。立憲デモクラシーと神権的国体観念を接ぎ木したのが明治の体制でした。今神権的国体論の方へ戻したがっている双璧が日本会議と神社所本庁です。」(この項は藤田明「ドキュメント日本会議」)
 「日本会議国会議員懇談会」には、2015年9月時点では、衆参両議院で281人、2017年7月時点での内閣の20名の大臣中13人が同懇談会のメンバーで占められており、又首相官邸の枢要スタッフの大半が同懇談会のメンバーで占められている。
 第2章では、日本会議の事務総長の椛島有三や日本会議ブレーンメンバーの政策委員会の百地章(日本大学教授)及び高橋史郎(明星大学教授)は「生長の家」出身であり、生長の家と学生運動の関係を述べている。1960年代当時左派系学生が全国を席捲している中、九州の国立大学で生長の家系サークルが中心となり、右派系の大学自治会が全国に先駆け誕生した。その後関東の私大でも右派系学生が活躍し、全国組織に繋がっていく。この中心となったのが、生長の家政治連盟(生政連)に所属していた椛島有三であった。
 生政連が台頭していく背景として、当時の左派系学生による、共産革命の阻止及び創価学会の政治参加による国教化の恐怖に対抗して、各宗教団体が政治連盟組織化され、生政連や神社本庁政治連盟が
出現し、右派系活動の中心となっていく。
 しかし1983年生長の家が政治活動と決別し、生政連も解散する。その理由は、生長の家が、自民党の集票マシーンとなるが、生長の家が進める政策が全く反映されなくなったり、生長の家出身候補の比例代表制の順位が下がり、国会議員を送り出せなかったことが、大きな要因になっていると言われている。しかし生学連(生長の家学生)出身の一部の人は政治活動から離れなかった。
 第3章では、神道の戦前回帰を述べている。
 神社関係者にとっては、明治以降終戦まで天皇を中心に国家神道を基本思想として方向づけてきた政治体制から考えると、戦後体制への憤懣と戦前体制への憧憬、回顧願望がくすぶり続けた。
 このようなことを背景として、日本会議の源流は、新興宗教・生長の家に出自を持つ右派の活動家であったが、それに必要なのは、資金力と動員力であり、その役割を担ったのが、神社本庁である。
 GHQが、国家と神社神道の分離(神道指令)を定めた。またそれに続き、1946年11月現行憲法公布により、信教の自由・政教分離の原則を制定し、国家神道を葬り去った。1946年神社本庁、1969年神道政治連盟が設立され、日本会議と歩調を合わせた政治活動をしていくようになる。
神社本庁は、全国に八万数千社の神社を持ち、動員力及び資金力で日本会議の活動を支えていると考えられる。神社本庁の目標は、憲法改正により、この国が正常化されることと考えている。安倍政権誕生により、政治の動きとシンクロ化されるようになったと考えられる。
戦前体制即ち、天皇中心の国家体制への回帰願望の日本会議の活動は、復古体制の再来の危険性を孕み、「政教分離」といった近代民主主義社会の大原則を根本から侵す危険性を孕んだ政治運動ともいえる。その「宗教右派集団」が先導する政治活動は、勢いを増し、現実政治への影響を高めている
第4章では"草の根運動"の軌跡として、過去の成功体験をベースにした活動を述べている。
 1969年祝日法改正、1979年元号法制化運動の成功体験として、全国神社組織を動員した草の根運動及び47都府県に中央からキャラバン隊を派遣し、全国的な組織作り、地方議会での決定事項を中央(国会)へと活動してきた。その結果、昭和天皇在位60周年奉祝運動(1985~86年)、「新編日本史」編纂運動(1985~86年)等々の成果を上げてきた。そして1997年前述したように、日本会議が設立された。中央大会での決議は、①憲法調査委員会の早期設置、②世界各国と同等の防衛省の設置、③北朝鮮による拉致疑惑の解明と救済、④反日的・自虐的教科書の是正推進他であった。日本会議の設立以降の活動として、国旗国歌法の制定運動(1999年)、外国人の地方参政権反対運動(1999年~)、「21世紀の日本と憲法」有識者懇談会の設置(2001年)、靖国を巡る動き(首相の靖国参拝支持と国立追悼施設計画への反対運動、2001~02年)、教育基本法の改正運動(2000~06年)、女系天皇容認の皇室典範改正反対運動(2005~06年)等の活動で成果を上げてきた。2006年第一次安倍政権の誕生により、日本会議を筆頭とする戦後右派にとって、「考え得る限りで理想的な政権の誕生」となり、「阻止反対の運動」から「価値・方向性の提案の運動」になった。
 第5章は安倍政権との共振とその実相を論じている。蓄積してきた手法と組織を動員して、「今こそ憲法改正1万人大会」(2015年11月10日)での
自民党総裁安倍晋三のビデオメッセージで、全国で1000万賛同者の拡大運動を展開し、国民的議論を盛り上げていただきたい。憲法改正に向けて確実に歩みを進めてまいりましょう」と述べている。
最高権力者として戦後初、右派組織にとって悲願の実現に向けて千歳一隅のチャンスであった。
「美しい日本の憲法をつくる国民の会」(2014年11月)の設立総会において、衛藤昂一(首相補佐官)は「最後のスイッチが押される時が来た」と挨拶し、いよいよ憲法改正に向けて、スタートするとの表明であった。日本会議事務総長椛島有三も、機関誌"祖国と青年(2015.5)"に「歴史的な事件が起こっている。与えられたチャンスは一度と定め、与えられたチャンスを確実にする戦いを進めていきたいと思います。」と述べている。
日本会議と安倍政権が共鳴し、共振しつつ「戦後体制の打破」という共通目標へと突き進み、結果として日本会議の存在が巨大化したように見えていると考えた方が適切である。
「上から」の権力行使で「戦後体制を打破」しようと呼号する安倍政権と「下から」の"草の根運動"で「戦後体制を打破」しようと執拗な運動を繰り広げてきた日本会議に集う人々が戦後初めて車の両輪として揃い、たがいに作用しあいながら悲願の実現として突き進めている。一方では、「安倍政権的なもの」や「日本会議的なもの」を許容するようになってしまった日本社会の変質がある。それは、右派勢力のアンチテーゼの消滅の結果ともいえる。それは、左派勢力の衰退、冷戦体制の崩壊他がある。また隣国(韓国・中国)の経済発展により、日本の国際的地位の低下により、喪失感・不安の増加や国内では、格差や貧困が広がり将来に対して漠とした焦燥や不安感の広がりが背景にある。
 東大名誉教授島薗進(宗教学)は、かつては"危ない勢力"と認識されていたものが、今や立派に見えている。驚くべきことである。
日本会議はかなり特殊な勢力、神社本庁を含めてかなり特殊で復古的な思想を持った人の集まりです。戦前もそうだったが、停滞期において不安になった人々は、自分のアイデンティティーを支えてくれる宗教とナショナリズムに過剰に依拠する。戦前の場合、国体論・天皇崇敬・皇道に集約された。しかし今や非常に危うい。神道指令を否定し、政教分離も踏みにじるわけだから、これは戦前回帰だと受け止められても仕方がない。
 そして「日本会議の正体」とは、戦後日本の民主主義体制を死滅に追い込みかねない悪性ウィルスのようなものではないかと思っている。悪性であっても少数のウィルスが身体の端っこで蠢いているだけなら、多少痛くても多様性の原則の下で許容することもできるが、その数が増えて身体全体に広がり始めると重大な病を発症して死に至る。
 しかも、今は日本社会全体に亜種のウィルスや類似のウィルス、低質なウイルスがが拡散し、蔓延し、ついには脳髄=政権までが悪性ウィルスに蝕まれてしまった。このままでいけば、近代民主主義の原則すら死滅してしまいかねない。
南丘喜八郎(月刊日本主幹)の分析によると、日本会議の内部や周辺には憲法改正について「明治憲法の復元」、「自主憲法の制定」、「現行憲法の改正」といろいろな立場がある。一方安保関連法制を解釈改憲で押し切ったことも影響し、改正を支持する世論は減少している。今は必至で押さえつけているが、改憲がうまくいかなくなると内部対立が顕在化し、組織の瓦解が考えられる。  
南丘の分析が的確か、私には判断できない。ただ当面は日本会議と安倍政権が総力を傾注し、憲法改正に向けた動きの成否が全ての鍵を握っているのは間違いがない。それはまた戦後民主主義を、いや、近代民主主義の根本原則そのものを守れるか否か、最後の砦をめぐるせめぎあいでもある。  以上

日本会議の正体 青木 理 著  平凡社新書
ドキュメント日本会議 藤生 明 著  ちくま新書
日本会議の研究 菅野 完 著  扶桑出版
日本会議と神社本庁 成澤宗男 編著 週刊金曜日