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2019年3月19日

平成31年4月例会報告

日時  : 4月11日 木曜日 18;30 ~ 21;00
テーマ :城野先生のDVD「東西古今人間学」の鑑賞会 第3回
場所  : 港区立商工会館
参加費 : 1000円
司会  : 榊原 高明

今回は第1巻第2回前半を鑑賞し討論した。
1. 仕事とは
仕事とは人とどのような関係をどのように作るかである。「買う」と言う人ばかりに売るのは納品であり、この人たちばかり相手にしていては商売は拡大しない。「買わん」という相手を満足させ、「買う」と相手を変えることを営業したという。
「買わん」と言う相手に買ってもらうようにして初めて商売を拡大できる。
2. 沖縄の発展
沖縄には何もないから発展が難しいと思っているようだが、同様に何もなかった本土はここまで繁栄している。どうしたら繁栄できるかを考え、手を使った。沖縄も同じようにやれば繁栄できる。
3. 織田信長を取り上げた
自分が利用できる実験材料はどこにでも転がっているが、お互いに理解し合うには皆が知っている人を取り上げた方がよい。
織田信長を題材にしたのは、戦国武将であり、どのような行動をしたかの記録が残っており、その中から事実をつかみやすいからである。
4. 鉄砲伝来
日本の鉄砲の歴史は、天文16年(1548年)種子島に1丁が伝わると、その年の内に16丁が作られ、10年もしない内に日本全国に広がった。
信長はこの鉄砲を堺から自分の領土である関へ鉄砲造りの技術を移した。関は鉄砲造りの名所となった。
鉄砲製造の技術の普及が速かった。
例えばエレクトロニクスの技術を素早く自分のものにしてトラジスタラジオを造ったりする。日本とはそういう国なのだ。
5. 織田信長の行動
すでに桶狭間の奇襲作戦の成功からは信長には科学的計算性があったことが見て取れる。
信長について残っている記録から、信長は天下統一の戦略を持っていたことがわかる。
(1) 経済力構築
  天下を統一するには大きな軍隊が要る。
  それには大変な資金が必要。この資金を作るために信長は領内の経済を発展させた。楽市楽座のような商人が集まってくる仕組みを整備して大いに経済を栄えさせ、この商いから税金を取って大きな軍隊や鉄砲を作る資金を調達していった。信長の軍は10数万人規模と言われている。
  信長の占領地は栄えるといわれていた。
(2) 抜擢人事、登用
  信長には上杉や武田のように親から引き継いだ家臣たちがいなかった。これが反って自分の回りにいた優秀、有能な人間たちを身分、地位に関係なく取り立てられた。この人材が後に、信長の天下統一の行動に大いに貢献することになる。
(3) 信長の戦の根本思考
  兵をムダに消耗させない。天下を統一するには大きな軍隊が必要。兵に損害が出ると、それを補充し、訓練する時間が要る。その分天下統一が遅れることになる。
  それまでの戦は一対一のチャンチャンバラバラで切り合う戦い方であり、双方に同数近い損害が出るものであった。
  このために信長は兵を消耗しない戦い方、つまり、これが鉄砲を使用した戦法である。
(4) 信長の着眼、先見性、革新性
  信長以前の鉄砲への評価は低く、戦ではあまり役立たないと思われていた。
  鉄砲は一発撃つと次に撃つために、弾を込め、火薬を装填せねばならず、これに10数秒を要した。
  例えばナポレオンの戦い方は敵が一発撃ったら騎兵が突入して切り込み、敵の歩兵を蹴散らすのが彼の勝ち方だった。しかし、この戦法は機関銃の登場で通用しなくなった。
  
注:年表
・織田信長
  生年:天文3年(1534年6月23日)
  没年:天正10年(1582年6月21日)
・種子島への鉄砲伝来:天文16年(1548年)
・ガトリングガンの発明:1861年
  発明者:米国人 R.J.ガドリング
  複数の銃身を外部動力で回転させながら、
  給弾、装填、発射、排莢のサイクルを繰り返し、連続的に発射。南北戦争(1866年)に投入された。
・機関銃
  実用的機関銃は1871年にガス圧を利用したオチキス銃から。

(5) 設楽原の戦い(長篠の合戦)
  信長はこの戦の出発前に戦う場所と戦い方を決定していた。設楽原は、大軍を展開でき、信長の戦い方に有利であった。一方これは勝頼にとっても都合がよく、喜んだはず。
  信長は兵一人づつに縄と杭を持たせ、戦場で杭同士を縄でつなぎ、これを長く並べ、堀を掘った。
  武田の騎馬隊は突進するも、棚に阻まれ止まったところを撃たれた。落馬したり、馬から下りた将兵はまるで銃殺隊に撃たれるように討ち死にし、多くの名称も倒れた。信長側は3000兆の鉄砲を3列(段)に並べ間断なく銃弾を発射したことで武田側はほとんど全滅という世界戦史でも傑出した戦果を残した。
(6) 機関銃の原理を先取り
  3000丁というような大量の鉄砲を使うようになるのはヨーロッパでも300年ぐらい後である。
  また、鉄砲を3段に並べ、人間を使って連続的銃弾を発射するという西部劇にも登場するガドリングガンや機関銃と同じ原理を300~400年も前に信長は考えていたことになる。
  ヨーロッパではこれらの銃が第一字世界大戦で投入され、それまでの戦い方が一変した。
6. 科学的計算性が重要
信長の桶狭間や長篠の合戦での戦は、どうすればどうなるか徹底的に考え抜いた作戦で、いわば科学的計算性で成り立っている。
信長は自軍を大切にした。できるだけ味方に死者を出さない戦い方を考えた。
ナポレオンの戦い方が双方に多数の死者が出るのとは、対照的である。
このような考え方を仕事に使ってみたらどうか。このためには戦略を持つこと。戦略を持つと行動が変わる。
仮に業績を5倍にしようと戦略を立てれば、それを実現するための情報が入ってくる。それを科学的計算性に基づいて検討を重ねる。
信長の戦略、天下取り→沢山の軍隊を持つ→兵を死なせない戦い方→相手だけ死なせる戦い方を考えた。
これと同じことをすれば、会社も大きく成長できるはずである。
7. 運は条件
条件は常に変化するもの。
運は自分でつくるもの。そのためには戦略を持たねばならない。持てばそのための策が出てくる。そして科学的計算性で思考することである。
運という条件を如何に使うかが重要である。
8. 参加者の意見
・信長はなぜ3000丁という大量の鉄砲を造り持っていたのか。
離れていても人を倒せる強力な武器と見抜けたからではないか。
・鉄砲の使い方のイメージが出来ていたのだろう。
・優れた人間が新しく目の前に出たものをどう使うかを思いつく。例えばAIを知ってはいても、優れていないと有効な使い方を思いつけない。
・薩摩や聴衆も幕府に勝つには近代的な兵器が決め手と見抜いていたのだろう。
・信長は鉄砲の欠点をどうすれば克服できるのか、長篠の合戦までいろいろ試行錯誤したのだろう。
・スーパーマーケットの進出し始めを想像すれば、ローカルスーパーはどう対抗するか大きな問題、なかなかローカルは勝てない。
・自分の実家の酒屋を大手スーパーと提携することで転換し成功した。
・城野さんの話は分かりやすく、説得力がある。
                                         以上