« 2019年11月 | メイン | 2020年1月 »

2019年12月15日

令和2年1月例会報告

日時  : 1月9日 木曜日 18;30 ~ 21;00
テーマ :城野先生のDVD「東西古今人間学」の鑑賞会 第11回目
場所  : 港区立商工会館
参加費 : 1000円
司会  : 古川 彰久

DVD「東西古今人間学」第3巻第6回前半要旨
<毛沢東に見る人間学>
(1)毛沢東成功の要因
中国における共産主義の実現において、実際に基づいてやったものはうまくいくが、教条的(教科書に書いてあることをそのまま)にやることはうまくいかない。
(2)中国共産党の成立
1921年、上海で共産党結成のための会議が開催された。当時ソ連はコミンテルンという世界共産主義の連合組織をつくり、革命戦争の指導にあたっていたが、ここから派遣されたボイチンスキの強力な指導の下に、中国共産党が成立した。毛沢東は、張国燾ら十数名の同志とともにこの会議に出席していた。
(3)当時の中国の状況
1911年、清朝が倒れ、中華民国が成立した辛亥革命がおこった。孫文が臨時大統領に迎えられたが、新政府を成立させる段になって、辛亥革命に協力した北方の袁世凱など軍隊を持っている軍閥連中の勢力が強いため袁世凱の政府ができ、軍閥が方々にでき軍閥統治を始めた。これに対抗するために、孫文は広東に中華民国の臨時政府をつくり、軍閥政府を倒すため軍隊の養成を始めた。それが国民党の軍隊です。
(4)第1次国共合作
国民党が主になって、北の方の軍閥をやっつける。孫文は容共政策を取り、共産党を取り込む。蒋介石は後方で国民軍を掌握する。
(5)国共分裂
国民軍は、列強からの圧力もあり、共産党を排除し、上海を占領する。これに対し、共産党は朱徳を中心にクーデターにより南昌を占領し、その後井崗山へ逃げ込んだ。これまでの中国共産党は、ソビエトで組織されたコミンテルンの指導の下で、都市の労働者によるプロレタリアート革命を目指していた。
(6)毛沢東の対応
毛沢東は、農民の中の貧農(小作人)を対象とする。貧農は地主から収穫の70%位を取り上げられ、美しい女性も召し上げられた。そのため地主に対し恨みを持っている。毛沢東はこのような貧農たちの中に入り、地主を捕まえて、金や食料を取り上げる。農民から情報を得ることにより、敵が知らないうちに攻める。毛沢東の軍隊は増えてくるが、他はうまくいかない。国民軍から攻められて、2万5千里の長征が始まる。江西省を出て、湖南省・貴州省・雲南省を通り、四川省を北上し、甘粛省・陝西省と転戦し、延安まで行った。30万人の軍隊は1万5千人しか残らなかった。毛沢東は実際の力関係において、大きくなった。長征の途上で行われた遵義会議において毛沢東は党の主導権を握り、これまでの幹部はコミンテルンに戻り、毛沢東は中国化したマルクス主義でやる。
(7)第2次国共合作
延安に着いた毛沢東は、地主と資本家の利益代表である国民党と手を組み、抗日統一戦線を8年間戦った。地主に対する対応も変えた。特にひどい地主は開放対象としたが、基本的には協力するやり方に変わった。自力更正を目的に屯田兵。(実際に合わせて変えていく)
(8)日本降伏と解放戦争
昭和20年8月、日本降伏。中国においては、日本軍は優勢ではあったが、中国も連合国であったので、日本軍は降伏した。
国共合作の目的であった、抗日統一戦線の共通の敵が無くなった。
国民党と共産党との戦いは、共産党から見れば解放戦争となる。
毛沢東は自分に有利になるように連合政府論、新民主論を唱える。
蒋介石が直接掌握する官僚資本はやっつけるが、他の資本家は自分の味方につけた。
地主も悪徳地主と開明地主に分けた。
当時の中国における資本家:
農村にはいないが、都会にはいる。工場を持っている。(蒋介石は良い工場 は、接収員を派遣して自分のものにしてしまう。自分のポケットに入れてしまう)
救済物質も当時は主要な部分の半分位は高級官僚に入った。
従い、自分の財産の保障のためには、国民党でないほうが良い。
当初共産党軍150万人、国民党軍600万人に対し、4年後には国民党軍は150万人に減少し、その後の戦役で全滅した。

参加者での討議
1. 毛沢東の戦略と戦術について
毛沢東は共産党に入って国家統一という戦略を持っていたのだろうかとの疑問が提起された。
ここに集団としての戦略と、個人としての想いあるいは生き様の問題があるといえる。
当時の中国共産党はソビエトで組織されたコミンテルンの指導の下で、都市の労働者によるプロレタリアート革命を目指していたとのことであるが、毛沢東はその根底にある人民解放に想いを抱き参加したと思われる。
その想い更には生き様(戦略)から、彼の行動(戦術)が出てきたと考えられる。
そこに毛沢東の中国化したマルクス主義が実現してきたと考えられる。
その結果、中国社会ではコミンテルン指導の下での中国共産党が受け入れられず、毛沢東が勢力を伸ばし、主導権を確保し、中国の統一を実現したといえる。
2. 城野先生と毛沢東の関係について
城野先生が著書「東西古今人間学」の中で以下のように書いておられます。
「毛沢東とは、おつき合いしてきた。おつき合いしてきたといっても、仲良くしていたわけではなく、何十年も彼と戦争をしてきたんです。」
「毛さんにとって私は、目の上のタンコブともいえる対抗馬だったのでしょう。私が彼と戦争して負けなかったので、毛さんは天下統一が四年ほど遅れ、私の方も、監獄に入れられ、禁固十八年ということになってしまいました。結局十五年で出してもらったけれど、彼とは随分長く付き合ってきたわけです。」
「実際の革命の中、抗日戦争や革命戦争、建国の中で毛さんとは、ずっと中国にいてやり取りしてきたので、その意味では近しい友人なのです。そのやり取りを通じこの目で見てきた、毛沢東の姿をここに引き出すことができるだろうと思います。」
3. 毛沢東が実践した思想と政治活動について、このようなことは、日本においては創価学会と公明党に見られる。
確かに、共産主義も思想から始まり、政治活動に展開しており、創価学会も日蓮正宗の信徒団体であり、この思想から公明党が生まれ、政治活動を行っている。
世界的にも宗教と政治活動はかなり密接は関係があり、特にイスラム圏ではその影響力が大きいといえる。
4. 人工知能AIの今後の発展について
近年、人工知能AIの発展が目覚ましい。現に介護ロボットなどが多いに活用されている。このようなロボットが人工頭脳を持ち、自らの存在価値を高め、人間社会を侵食するような事態が起こらないか心配だとの意見が出された。
人間社会としては、そのようなことが起こるような恐れが出てくれば、当然のことながら、そのような事態を防ぐような法的手段を構築することによって対応することになろう。
5. ゴーン氏について
ゴーン氏の今回の日本脱出劇は、彼のやったことが正しいかどうかは別にして、彼が日本脱出という戦略を持って、彼の持っている人脈や環境を巧みに活用し実現させているといえる。善人とは言えないが戦略家としてはすごい能力を持っているといえよう。
一方、日本政府としてはいくつかの課題を抱えることになる。罪人を国内残留を条件に保釈しておきながら、海外に出国させてしまった。更に、ゴーン氏が入国したレバノンとは罪人の引き渡し協定がないということでゴーン氏の身柄を確保できない。従って、日本でゴーン氏を裁くことができないことになる。
更に、ゴーン氏はこのような環境を利用し、「自分は日本で犯罪を起こすようなことはしていない。日産は自分が業績を改善したのに、クーデターを起こし、自分を排除したうえに、日本政府もそれをバックアップし、自分を排除しようとしている。」として、世界に向かって、自分が正しくて、自分を罪に落とそうとしている日本の仕組みの方に問題があると訴えている。