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平成23年12月例会の報告

日時  : 12月7日  水曜日
      18:30 ~ 21:00
場所  : 港区立商工会館
テーマ:DVD「東西古今人間学」鑑賞会第5回

今回の鑑賞会は、第3巻第5回の前半だけでは纏まりがつけにくいので、全体を通して聞くこととした。先生のお話をベースにしての意見交換の時間があまり取れませんでしたが、次回の第6回までお聞きした上で、別途意見交換の場を設けることといたしました。    
今回の報告としては、お聞きした第3巻第5回の要旨を私なりに整理しました。

DVD「東西古今人間学」第3巻第5回要旨

1.日本の社会と欧米あるいは中国の社会との相違性を見ていく

(1)武道における相違点
  護身道は私(城野先生)が創設した武道であるが、一瞬を大切にする。日本の武道は薩摩の示現流のように一撃を目指す。
  これに対し、中国の武道である少林寺拳法やヨーロッパのフェンシングなどは、型の武道といえる。型を学び、疲れて型が崩れたときにチャンスが出来るという考えである。

(2)人間の動きの違い
  精神構造の根本が違う。
  例えば、米国の場合には多民族であり、どのように1つの組織に組み込んでいくのか問題となる。第2次世界大戦への対応においては、戦略は上部で決めて、下部に戦術的対応を割り当てた。
  日本の場合には、一民族、一言語で、教育も普及し知識が平均化しており、生活意識が統一されている。そのため、国民が自分で戦略を持って動ける。その結果、戦後の復旧においても世界を相手にあれだけのことが出来た。

(3)人間学の受け留め方
  これまで、中国における三国志を見てきましたが、人間の活動として、共通性で参考になるが、現実の活用に当たっては、社会の相違性を認識することが必要です。
今回話をするナポレオンは、全欧州を征服し、大英雄といわれている。大英雄=超人的となると学んでもしょうがないとなってしまう。ナポレオンが個人で行ったのではなく、何10万という軍隊とそれを支える国民がいたのです。そのときの社会体制等があって実現したのです。
日本の社会では、社会体制等の違いから、このような大英雄は出てこない。
  
2.ナポレオンにみる人間学

(1)ナポレオンが出た時代背景
フランスにおいて、これまでの支配階級であった王族、貴族に対し、貧困にあえぐ農民が決起し、封建経済の中で発展してきた商工業者や都市のインテリが加担し、ルイ16世王朝を倒したのがフランス革命であり、これにより革命政府が出来、これまで搾取されてきた農民が土地の分配を受けて自作農民となった。
近隣の王制国家オースタリー、プロシャ、イタリア等は革命政府を倒そうとする。
一方、フランスの革命政府は王制が復活したら困るので、農民、市民の子弟が軍隊に入った。

(2)ナポレオンの台頭
  ナポレオンは、革命政府の軍隊で砲兵隊の 将校となった。
  ナポレオンはこれまでは後方からの援護射撃として活用されていた大砲を前線に持ち出し活用し成果を上げた。
  これまでの常識に囚われていたら新しい発想が出てこない。ちょっと常識を破ればよい。
  イギリス軍とのツーロンの戦いでは、ナポレオンは大将に昇格し、司令官として指揮を取り、敵方の陸軍を後方から援護していたイギリス軍艦に対し、大砲を湾の後方の山に持ち上げて砲撃したため、イギリス軍艦は退却せざるを得なくなり、戦いに勝利した。
  その後、イタリー攻撃の司令官となり、アルプス越えをするがそのときも大砲を持って越え、勝利した。

3.ナポレオンの成功

(1)他人の協力を得るには
  言うことを聞かそうと思っても人は従わない。しかし自分にも利益があるとなれば相手も協力する。そこが発展するかしないかの違いとなる。
  ワコールの塚本さんは小さな下着屋を、労働組合の要求に100%応じるとして、会社を大きくした。こうなると労働組合としてもひどい要求をすると会社がつぶれる。結果として、相手がこれは良いと思うことをすることになる。みなが一生懸命働く。

(2)ナポレオンの連戦連勝と欧州制圧
ナポレオンが連戦連勝できた社会体制を見てみよう。
当時の欧州各国は、王制をしいており、各国の軍隊は王様の雇い兵であった。
雇い兵の場合には、逃げられないように前線に並べて、後ろから監視するような体制になる。兵隊の死傷率が高くなり、動きが遅くなる。
これに対し、フランスの革命政府の軍隊の編成は、志願兵による国民軍となった。戦略目標を持った志願兵では散兵=散らばって寝打ちが出来る。
ナポレオンは、このような社会革命の恩恵を受けた国民政府軍を利用し、自らの大砲の知識を活用し、砲兵を前面に持っていき、まず大砲で敵の前線の歩兵をつぶし、騎馬連隊を活用して、連戦連勝し、全欧州の制圧に成功した。
戦略目標を持った軍隊の例は他にはアメリカの独立戦争がある。

4.ナポレオンの失敗

(1)ナポレオンには戦略が無かった  
ナポレオンが自ら皇帝になり、新しい貴族を作ったということは、国民政府軍の士気に依存しながら、ナポレオン自身には戦略が無かったといえる。

(2)無謀なロシア侵入
これまでの欧州制圧においては、それぞれの国の王様の軍隊を打ち破れば、勝利できた。しかし征服された国民は腹を立てる。
ナポレオンの戦争の過程でフランスでは兵隊の数が少なくなる。
ロシアには各国から兵隊を集め、連合軍50万人で攻め込んだが、烏合の衆とも言える。
これまでのナポレオンの考えでは、ロシア皇帝をやっつければ良いとなるが、ロシアの皇帝はとっとと逃げて戦争をしない。
モスクワの手前まで行ってしまい、ボロジノでロシア軍が迎え撃った。
両軍とも大きな損害を被ったが、連合軍はモスクワに入った。ところが、町を焼かれて、冬の支度をしていない連合軍はどうにもならない。逃げるとなると追いかけてくる。50万いた連合軍は、国の境では2万になった。
こっちの意見を押し付けていたのでは思うようにならない。

(3)降参して、コルシカ島へ
ナポレオンは一旦体制を整えるが、ウオータールーの戦いで敗れて没落した。
個人的な征服欲で、自分のことしか考えられなくなった。そうなると相手は言うことを聞かない。結局大負けして退位せざるを得なくなった。

5.ナポレオンから教訓を学ぶ
戦略は自分一人だけ持っていても駄目。部下の一人一人が全部その身に呈した時に力になる。
企業においても、経営者の戦略が、社員の中に生きていなければ戦略とはいえない。自分がこれまでに無い条件を利用できた場合に、うまく乗っかると急速に変化できる。日本の戦後の復興において、欧米のように財閥が金を出したのではなく、日本は国民の一人一人の預金と税金を活用して、波に乗った。この間、英雄は一人も出ていない。英雄は戦略を持った国民だといえる。
日本の社会では英雄は出てこない。皆で仲良くやってどんどん発展させるほうが良い。
 
  以上

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