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平成24年3月例会の報告

日時  : 3月14日  水曜日
      18:30 ~ 21:00
場所  : 港区立商工会館
テーマ :原発事故から学ぶ“正しい戦略”(1)
担当  :古川 元晴(弁護士、元検事・内閣法制局参事官)

 本テーマは3回の例会に分けて行うこととし、第1回の3月例会は次のとおりでした。
(テーマの趣旨及び論点について)
概要は「じょうはん」3月号掲載の「3月例会ご案内」でお知らせしたとおりですが、補足すると次のとおりです。
(1)当会は、城野先生が提唱した戦略論をベースとし、 
「自分の頭で考え行動できる自立した人間になろう」をモットーとした実践的な勉強会であると私は理解しています。時代は、グローバル化の激流のなかで混迷の度合いを深めており、それだけに政治家、企業経営者、専門家等それぞれがその置かれた立場に相応しい的確な戦略を持つことが、時代の要請となっています。
(2)ところで、城野先生の戦略論は人間行動の基本
原理を科学的、体系的に明らかにしたものと理解していますが、それはご自身の中国大陸における戦争体験をベースに生み出されたもので、そこでは裸の「力」関係、「利害」関係が支配していました。それに対し現代社会は民主社会であって、社会構築の基本原理である「社会的に正しい=社会的正当性=社会正義」に適ったものであることを社会が要請していると私は理解しています。そこで、城野先生の戦略論は、かかる民主社会の基本原理である「正しい」と組み合わせて「正しい戦略」として新たに展開することが時代の要請に適い、また、そのことによって裸の力や利害に依拠した戦略が社会にもたらす「不毛な対立」関係を、「正しい戦略」によって「建設的=進歩発展的な協働」関係に導くこともできるのではないかと考えています。
(3)原発問題は、国策として遂行された国家戦略に係わる問題で、今後の日本の進路を決定する重要問題として、国民一人一人が真剣に対処すべき問題でもあります。そこで、今回のテーマは、”正しい戦略”の観点から、今次原発事故をもたらした国家戦略のどこにどのような誤りがあったのか、及び将来展望のある「正しい戦略」とは何かを探求しようとするものです。
(論点第1、1「戦略」について)
1 「戦略・戦術」とは何か
 一  現在「戦略」という用語は一般化して、書店には企      
業戦略、経営戦略、戦略法務、人事戦略等の表題の本が溢れていますが、いずれも「人間あるいは組織が向かうべき目的・目標」という程度の意義で用いられているに過ぎないように見受けられます。
 一方、城野先生の提唱する戦略は、次のとおり実際の人間行動を分析、整理して、その原理を科学的、体系的に明らかにしたものと私は理解しています(城野先生は著作物において「戦略・戦術」以外に「人間学」「行動学」「情勢判断学」「脳力開発」等の用語も用いていますが、いずれも「戦略・戦術」論をベースとした理論と理解できますので、全体を総称して「人間行動学」と称したいと思います)。
 (1)人間は脳の働き(指令)によって行動している。
  a 脳の働きがなければ行動できない。
  b 脳の働きは、潜在意識下においても行われている    
(無意識の行動)
 (2)脳の働きは、戦略レベルのものと戦術レベルのものと           
に別れる。
  a 「戦略決定」とは、進むべき方向のうち、両立しない
方向のいずれを選択するかの決定
  b 「戦術決定」とは、戦略を実現するための幾多の可
能な具体的行動のうちいずれを選択するかの決定
  c その戦術決定に従って具体的行動の指令が出さ
れて行動
(3)以上の原理の展開として
ア 戦略について
   a 戦略は、その実現まで堅持されなければならない
(やり抜く決心・覚悟が不可欠)。
b 戦術なき戦略は空疎空論、絵に描いた餅(建前、見せかけだけの戦略)
c 戦略それ自体は脳の内部に止まり、直接外部には現れない(他者の戦略は、その具体的行動から合理的に推定することが可能)。
イ 戦術について
a 戦術は、戦略が決まればいくらでも案出できる 
(打つ手は無限)。
b 戦術上可能な行動のうちいずれを選択すかは 
効率上、技術上の問題で本質的な問題ではない。
c 戦術の評価は戦略によって決まる(戦略が異なれば戦術の評価も異なる。当該行動の真の評価はその戦略を理解することによって可能となる)。
二 以上の原理を具体的事例で見ると、例えば東京人のAが大阪に行くか仙台に行くかを決める場合、それ自体は両立し得ない決定ですので一応戦略決定ということになりますが、その目的が大阪の友人Bに会うということであれば、仙台行きはその目的に反し、当然に大阪に行くという決定をするわけで、その決定は目的実現の方法としての戦術決定です。この目的の実現方法としては他にBに上京してもらう方法もあり得るわけで、大阪に自ら行く方法に固執する必要はありません。また、目的が全国展開の営業活動ということであれば、その目的に従った決定という意味で戦術決定である上、その目的のためには大阪にも仙台にも行くことが有用であり、いずれを選択するかは効率の問題で本質的に対立する事柄ではありません。
  以上は簡単な事例ですので一見分かり切った馬鹿馬鹿しい議論のように思われますが、実際の社会においては戦略決定と戦術決定とを区別しない正に馬鹿馬鹿しい議論、対立が横行しており、それを戦略、戦術の観点から科学的、体系的に整理し直すことが、後に検討するように原発問題を正しく理解する上でも極めて有用です。
三 以上は自然人の行動についてですが、組織行動についても同様で、
(1)その運営の基本方針の決定(戦略決定)
(2)その戦略を実現する具体的方法の決定(戦術決定)
(3)戦術決定に従った具体的行動
という段階を経るという基本原理は厳然と存在しており、そこでの戦略・戦術の考え方も同様です。
 ただ、自然人の場合は戦略決定、戦術決定、具体的行動の3段階の全てを同一人が行うので、各段階間の齟齬は起き得ませんが、組織の場合は多数の人間が一定のルールに基づき役割と責任を分担しているので、各段階の連絡調整をどうするかが問題となり、しかも組織の規模が大きくなるほど大きな問題となります。
  組織は、理念的には経営陣が戦略等の重要事項の決定を担い、現場が具体的行動を担うとした場合、米国のようにトップが戦略等の重要事項を決定して現場に指示し、現場はそれに従って実行するというトップダウン型組織については役割と責任の所在が明確ですが、日本のように実際には重要事項は経営陣が決めてはいても、形式的には重要事項も含めて組織の下部で実行案を作成して順次上部に上げてトップまでの決裁を受ける稟議方式をとるボトムアップ型の組織については、事故が起きたときに具体的行為を担う現場の責任は厳しく問われる一方で、トップを含めた経営陣の責任は曖昧なまま不問に付される場合が多々発生します。
 例えばJR西日本福知山線脱線事故(平成17年4月発生、死者106名)の業務上過失致死傷事件について、神戸地裁判決(平成24年1月11日言渡し)は、「組織としての鉄道事業者に要求される安全対策という点から見れば、本件曲線の設計やJR西日本の転覆のリスクの解析及びATS整備の在り方に問題が存在し、大規模鉄道事業者としてのJR西日本に期待される水準に及ばないところがあったといわざるを得ない。」と判示して、組織としての安全対策に落ち度があったことは認める一方で、その安全対策の実質的な最高責任者であった当時の同社取締役鉄道本部長について、過失責任は認定できないとして無罪判決を言い渡しています。
  経営陣と現場とが組織の基本的理念である戦略を共有するということは大変重要なことで、その点はボトムアップ型組織の長所ではありますが、他方で問題が生じた場合に経営陣の責任が曖昧となるという問題は、今次原発問題をも含めて今後の日本型組織が克服すべき喫緊の重要課題であると思われます。
2 原発の推進・安全と戦略・戦術
 今次原発事故の発生原因については、「全般的に原発についての危険の過小評価による「想定外」、その反面としての安全の過大評価による「安全神話」が意図的に作られる状況のなかで津波の想定不十分も発生したもので、原発の真の危険を直視していれば防げた事故」ということが一般的に指摘されています。その具体的検証は後に行うとして、とりあえずその指摘を前提として、これを戦略・戦術の観点から整理するとどうなるかです。
  まず原発の危険については「直視する」か否か、原発の推進(稼働)については「停める」か否かのそれぞれ対立する選択肢があり得ます。直視することにより過酷事故発生の具体的危険の認識が発生するとした場合、この危険と推進についての各2つの選択肢を4つの組合せで見ると次のとおりです。
(1)「直視する+停める」の組合せは、直視した結果として  
危険を認識して停めるとしたものと推定されるので、まず安全を推進より優先する戦略があって、その戦術判断として「直視する」必要が生じ、その結果として「停める」を選択したものと評価できます。これは社会の要請に適う常識的な判断です。
(2)「直視する+停めない」の組合せは、直視して危険を認識しながら停めないとしたものと推定されるので、まず推進を安全より優先する戦略があって、その戦術判断として直視することによる危険の認識がありながら敢えて「停めない」を選択したものと評価できます。しかし、この戦略は刑事、民事等の法規範に抵触し社会的に許されないものです。
(3)「直視しない+停める」の組合せは、合理的な推定ができず現実にはあり得ないものです。直視しなければ危険の認識もなく、停めるの判断もないはずです。敢えて合理的に解釈すれば、安全神話維持上、社会に対する建前としては直視しないとしつつ、組織内部においては実際には直視して危険を認識し、かつ安全優先上停めたということでしようか。
(4)「直視しない+停めない」の組合せは、直視しない理由としては、直視すれば危険を認識できて原発を停めるざるを得ず、原発推進に反することになるためであると推定するのが自然です。したがって、推進を安全より優先する戦略があって、その戦術判断として「直視しない」を選択したものと評価できます。しかし、これが社会的に許されない判断であることは(2)と同様です。
以上からすると、今次事故はこの4つの組合せのうちの(4)により惹起された社会的に許されないものということになるでしょう。

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