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平成27年7月例会報告

日時  : 7月9日 木曜日 18;30 ~ 20;30
テーマ :城野先生の著書から学ぼう「第三の経済学」を輪読しよう第3回
場所  : 港区立商工会館
参加費 : 1000円
担当  :石田 金次郎

城野宏著「第三の経済学~『経済学』の崩壊と新生」を参加者で輪読し、情勢判断学を活用してどのように経済問題に対し取り組むことができるのか、お互いに学びましょう。

今回は、石田氏から、城野先生がこの著書を書かれた基本的な問題意識が何なのか理解するために、「国家戦略と経済問題」が取り上げられました。以下に要点を抜粋しよう。
1. 経済論議を見直す時!
経済論や経済問題は、社会的に、すでに長い歴史をもち、積み立てられ、できあがっている活動分野である。
歴史的に形成されたいくつかの型によって論議される局面が非常に多くなっており、このできあがりで踏襲されているフォルムをもう一度考え直してみる必要があるというのが、本文の提案である。
「権威者」になればなるほど、曰くケインズ、曰くシュムペーター、曰くマルクス、曰く誰と、欧米学者の名士をひき出し、その著作の文章を切売りすることで、生活根拠を形成することが主となり、現実の経済問題を国家民族の利益から、いかに処置したらよいかの分析と判断が、おろそかになってくる傾向がある。
氾濫する経済論議の根を掘り下げ、つまるところは、どういう根底から出ているかを、はっきりとつかんでかかる必要がある。それをしないでその結論と「権威者」の名前に頭を下げていると、とんでもないところに連れてゆかれる恐れがある。
2. 国家戦略に規制される経済
一国の経済は、その国の根本的戦略方向によって、その編成も、活動も規制されてくる。国家戦略のの根本は、戦争か平和かの決定に表現される。
一国の経済を理解し、運用するのに、まず第一に規定される特殊性は、つまり、戦争か平和かという戦略的基準方向である。
戦争時の経済は、人的、物的資源が戦争目的達成のために動員される。しかし平和時の経済は、平和な国際関係の下に、経済的国際関係を強化することとして表現され、その関係を基盤にして国内経済を運用することとして実現されてくる。
平和戦略における国家経済は、経済的国際連帯性に依拠している。特に、国内に主たる原料、燃料源を持たぬ日本が世界第三位の工業国になりうるのは、この国際連帯性の下で初めて可能なのである。
日本経済の基本条件は、国家戦略を平和維持におかざるを得ないのであって、戦争に戦略方向をもっていけば、やってゆけないのが当たり前なのである。その当たり前の道理に違反し、戦争瀬略で国をたてようとしたから日本は大きな失敗をした。
国家戦略を戦争におくという問題と、国家が軍備を維持するという問題とは全然別である。
スウェーデンは中立を維持するために国民所得の6%を軍備にあてている。スイスまた然り。日本が平和の国家戦略をとるならば、それを保持するための防衛的軍備がぜひ必要となる。
他国の軍事力が日本国内に侵入することを防ぐ軍備、つまり、平和戦略維持のための軍備はどうしてももっていなければならぬ。平和憲法の名に気兼ねしてこの道理を主張することに臆病である必要はない。
3. 事実に基づいた経済論
日本国民は明治維新後、おくれた経済を近代国家の繁栄にもってゆこうとして猛烈な熱意と努力で取り組み、今日に至っているし、これからもそうしてゆかねばならない。
日本経済は明治の資本主義経済開殆の時点から、ずっと世界一か二の高度成長をつづけてきているのである。
  1900年~1902年までは世界第三位の成長率だが、1903年からは世界一になり、1906年と1908年に二位となったが、それ以後1945年まではずっと世界一、1946年第二位になったが、1948年再び世界一になり、今目までずっと世界一がつづいている。
  若者が年寄りの基準以上にはみ出さなければ社会は沈滞腐敗に陥るのは厘史の実証するところである。しかし若者と年寄りぱ一つの時代に住み、共遜性が主要な側面なのであって、断絶は古い基準にしがみつき、おしつけようとする年寄り側からつくり出した不満の表現にすぎない。
経済は現実の人問生活であって、書物の中の概念燥作で動いているわけではない。日本の経済学者は欧米の書物の中に「経済」をさがすのが主活勤で、実際の経済活勁にはほとんど接触していないという特徴をもっている。だから日本の経済の現実から観察し結論を出すという習慣がなく、具体的に起こってくる日本経済の現実に欧米の書物の中の言菓をくっつけてみるという作用になってしまう。
経済論は事実に基づいたものでなければならない。
4. 「くたばれGNP」論を斬る
高度成長が明治以来の日本経済の特色であることを知らず最近始まったような錯覚があるから、最近問題になってきた公害その他の害悪や、社会資本蓄積と福祉、住宅の不足などを、まるで高度成長の罪であるかのように考えてしまう。そこで「くたばれGNP」だとかいって、経済成長をとめれば、福祉設備も豊かになるかのような非常識論議も、もっともな主張であるかのような気がしてしまう。
日本は国家戦略の方向を戦争にとってきて、つ      いに破局的失敗をやり、その後の二十五年間、平和戦略の方向で国家経済の再建を行なってきたのである。
戦後の日本の国家戦略は平和である。戦争の国 家戦賂に支配された経済は、蓄績の配分を戦争実行の準備にまわし、国民の住宅とか福祉とかにわずかしか回ってゆかないのは理の当然である。高度成長が住宅、福祉を無視する本質をもっているのではない。国家戦略の根本がそれを無視するか重視するかを分かつ基礎なのである。平和の国家戦略を貫きとおせば、高度成長こそが、住宅も福祉も充分にまかなってゆける余裕を生み出してくれるものなのである。
5. 高度成長の秘密?
経済は人間の活勤であって、物質自身の法則的活勁ではない。人間の思考内容が物質の存在と運行を規定してゆく。これが経済活勤の現象となって表現される。だから、旺盛な設備投資をして生産力の拡大をやろうという日本の経営者の気構えと計画が思考活勤を通じて発現されたのであり、企業に働く従業員とその家族たち、彼らの文化、娯楽、福祉活勣に従事する人々が同じ戦賂目標をもって活動したから実現できたのである。
イギリスは何とかして生産成長を回復したいと、政府  
は懸命になるが、過去に巨大な蓄積をとげた資本家経  
営者は現状が維持できればよいのであって、生産拡大
につくす気はない。従業員も労働組合が過度に強化さ    
れて、遊んでいても結構な暮らしができるようになっ
ているから、少し勤倹節約の生産拡大案でも出ような
ものならこぞって反対する。
日本国民が自らの国家の繁栄を企図して、貧しい中から次の生産資金を捻出し、目前の個人消費を節約し、宵ごしの金を残さぬなどという江戸享楽文化の堕落精神を脱却し、営々と努力の積上げをしてゆく気構えと生活習恨をもっているから、旺盛な設備投資に金を集め、金を使うという現実活勤がなされ、積極的にその目的を達成してゆけるのである。

城野先生がこの本を書かれた昭和四十八年当時の経済情勢を背景に、戦略戦術論を分かり易く説かれています。
参加者それぞれの体験をもとに活発な意見交換が行われました。
1. 経済問題になると、それぞれの立場からの見方が主になってしまうが、城野先生の見方は、個々の立場を離れて非常に高い次元から見ておられる。戦略も個々の企業レベルにとらわれずに、国家的な観点から観察されている。
2. 城野先生ご指摘のように、私たちが大学等で学ぶ経済論は確かに理論が優先していて、実践の中身が弱い。特に日本の大学は、どちらかといえば象牙の塔的な要素が強く、実践体験のない先生方が、欧米の著名な経済理論を受け売りしている感が強い。
3. また、城野先生は、経済問題を論ずるにあたって、例えば日本の経済成長などのように、抽象論ではなく、現実をきっちりと把握したうえでご自分の考えを展開されている。城野先生の情勢判断学でも、戦略決定する上で、どれだけの事実や現象が把握できるのかが課題とされている。
4. 城野先生がこの本を書かれた昭和48年当時と、現在とは、国内外の状況が大きく変わってきている。何がどう変わっているのか、あるいは変わっていない点はどうかなど、事実を具体的につかむ必要があるといえる。特に国際情勢は大きく変わってきている。国際的視点をもちつつ、日本の特殊性を認識していく必要があるといえよう。ただ、私たちが国際問題を考えるうえで、情報量がマスコミから入手する程度で、非常に限られているのが問題であろう。
5. 城野先生は、平和か戦争かを戦略論で取り上げられたが、トルストイが描いた『戦争と平和』
はロシアで学校の授業にも使われているとのことです。人類にとっては常に大きな課題でしょう。
6. 世界情勢の問題では、最近の大きな問題はギリシャ問題でしょう。これも国家間の戦略が交錯する問題で、今後どのような決着をするのか注目されます。
7. 我が国にとっては中国の動向も目が離せません。株式暴落問題は現象的な問題でしょうが、今後協賛国家体制にひずみが出てこないか気になるところです。

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