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11月例会 報告

日時  : 11月10日  水曜日
      18:30 ~ 20:30
場所  : 港区立商工会館
参加費 : 1000円
テーマ : 「仏教者・清沢満之?その行動と思想」
担当  : 伴 和久

 11月の例会において浅学を顧みず「仏教者 清沢満之」について発表させていただいた。
愛知県碧南市の西方寺住職であった清沢満之(1863-1903)は実は私にとって真宗大谷派(東本願寺)の大先達であると同時に「郷土の偉人」でもある。
 満之は浄土真宗のみならず日本の近代仏教史において燦然と輝く巨星であった。しかし「世界の禅者」鈴木大拙や西田幾多郎を知っていても清沢満之の名前を知る者は少ない。その伝記や著書は図書館の片隅に置かれ、彼の思想「精神主義」も過去の遺物として一部の知識人や歴史家が学術的に弄んでいるに過ぎない。脳力開発で言う所の「ペーパー知識」に留まっているのが現状である。
 もっとも旧仮名遣いの文語体で書かれた明治時代の仏教書が今に読まれ継がれていないのも当然と言えばまた当然かもしれない。近年、ようやく現代語訳の著作集(岩波書店『清沢満之語録』他)がぼちぼち出版され始めたのは喜ばしいことだ。文学書ではないのだから原文にこだわる必要はない。
 私自身、今回の発表では単なるペーパー知識の披露に終わらないよう、極力、脳力開発から離れないよう心掛けた。
 しかし、ただでさえなじみの薄い清沢満之という仏教者についてどこまで出席者の方々にご理解いただけたか、忸怩たる思いが後に残ったのも事実である。以下、拙文をもって発表の報告とさせていただきたい。

 前半では浄土真宗の歴史と明治期の日本仏教界について簡単に触れた後、満之の年譜を元にその生い立ちから宗門改革運動に至る行動の足跡を追った。
 神道の国教化に伴う廃仏毀釈、押し寄せる西洋文明と「富国強兵、殖産興業」の荒波に飲み込まれ当時の日本仏教は衰退の一途を辿っていた。西欧列強と肩を並べるべく邁進していた国家にとって仏教など時代遅れの「足手まとい」以外の何者でもなかったのである。
 満之は本山の命により帝国大学に進み、そこでフェノロサによりヘーゲルを始めとする西洋哲学の洗礼を浴びることになる。
 


先鋭的な西洋哲学と、存在するはずもない「地獄極楽」を旧態依然として説き続ける日本仏教……満之の求道生活はそのスタートから「変革」と言う苦難の道を決定づけられていたと言えよう。「真のリーダーの心得」にもある通り「レベルの高い方が苦労するのは宿命」なのである。
 彼の行動は、自己変革とも言うべき「禁欲生活(minimum possible)」から、さらに本山の財政問題に端を発する宗門改革運動へと発展して行く。満之は、何故、浄土真宗でタブーともされる自力行的なminimum possibleに勤しんだのか。
 思うに彼にとって人生の最高目標である「戦略」とは、「自己」を明らかにし「主体性」をもってこの人生を萎縮することなく生きて行くことに他ならなかった。仏教的に言うならば「安心立命」である。「天命に安んじて人事を尽くす」という言葉を満之は残している。ややニュアンスは異なるが、脳力開発で言う所の「楽しみの人生」にも通じるものがあろう。
 そのために、あえて方法・手段である「戦術」にはこだわらなかった。まさに「戦術は無数にある」「戦術に失敗なし」である。西洋哲学を学び、自力行にもトライし、小乗仏教の経典である阿含経も耽読した。  
 彼の標榜した「実験主義」にもそのことは現れている。「実験」を通して単なる観念ではなく実体験を得ることこそ満之にとっての重要事項であった。浄土真宗では「自信教人信」とも言う。信仰においても自ら体現した「確定的要素」がなければ人には伝えられない。

 結果として満之たち「近代教学派」による宗門改革運動は挫折する。本山の巨大な政治力に翻弄されたこともさりながら、末寺や一般門徒の共感と理解を得られなかったことが満之に猛省を促す。「私は急ぎ過ぎた」とは満之の弁であるが、再び「真のリーダーの心得」から引用するならば、「変革という本質的変化には時間が掛かるのである」という一点において彼は予測を誤ったと言えよう。
 運動の挫折はその後、個人の変革に重きを置いた「精神主義」の普及へと方向を修正して行くこととなる。
 発表の後半ではこの「精神主義」について私が理解している限りのことを説明させていただいた。
「精神主義」とは満之の造語であり、現在の使われ方(根性主義)とは多分に異なる。その根底にあるのは「万物同体」思想、仏教で言う「諸法無我」である。
 この世界は、個々の存在を見れば「有限」であるが全体としては「無限」である(その全体である絶対無限者を満之は「如来」と呼んだ)。
 浄土は別の次元に存在するわけではない。この我々が生活する穢土こそ他ならぬ浄土なのである。ただそう見えていないだけのことであり、精神(心)を転換させる(心のあり方を変える)ことで浄土は現前する。
 有限世界には出来ること(如意)と出来ないこと(不如意)が混在するが、「心のあり方を変えること」は「出来ること」に他ならず、その主体こそが「自己」=「精神(心)」なのである……
 満之の「精神主義」は、実在としての阿弥陀仏や地獄極楽を説く旧来の伝統教学に飽き足らなかった新時代の青年たちを熱狂させる。
 一方、「外界(外的条件)の如何によらず現在の境遇のまま安心を得られる」のであれば、貧困・差別・戦争といった社会が持つ構造的な問題から目を背けさせてしまうのではないか、と言う批判にもさらされる。要するに「現状肯定」の思想だと言うのである。
 事実、満之の没後、汎神論的とも言える万物同体思想に基づく精神主義は、衣鉢を継ぐ弟子たちによって国家神道の「八百万(やおろず)の神々」と同化し「戦争協力」という負の一ページを浄土真宗の歴史に刻むことになる。近代教学は「戦時教学」へと姿を変貌させて行く。
 精神主義は用い方によってはこの生き難い人生を歩む上での安定剤にも起爆剤にもなり得よう。同時に理解と実践方法を誤れば「自己完結」「他者不在」「現状肯定」などに直結し個人のエゴを肥大しかねない毒薬ともなる。
 だからと言って、日本仏教に一大飛躍をもたらした精神主義そのものの価値は決して失われることはない、と言うのが私の考えである。

 以下はやや蛇足になる。言葉足らずに終わってしまった発表当日の「まとめ」の補完として私見を交えながら書いてみたい。満之の「精神主義」に対する私なりの批判的展望でもある。
 前述した通り満之は主体としての「自己」を「精神(心)」と捉えた。「霊主肉従」の仏教的人間観にもよるのであろうが、満之にとって身体とは時間と共に滅びてしまう儚い存在に過ぎなかったようだ。彼の残した文章にも身体について熟考した跡は見られない。これはもちろん「明治」と言う時代的制約も大きい。
 しかし現代の私たちにとって「身体」を抜きにして自己について考えることは出来ないのではないか。それは人間の脳の三層構造を見ても明らかだ。
 脳を三階建ての建造物に例えるならば、精神(心)の在処である大脳新皮質はあくまでもその三階部分に過ぎない。身体において最重要な自律神経系、内分泌系、免疫系等をコントロールしているのは一階部分にあたる「脳幹」なのである(ちなみに二階は海馬や扁桃核の存在する大脳辺縁系である)。
「健全な肉体に健全な精神が宿る」はやはり時代を超えた真理と言えよう。より正確に言うならば「健全な脳幹の上に健全な大脳新皮質は育つ」と言ったところか。そもそも強い脳幹(身体)に支えられない限り「精神主義」の推奨する「心の転換」も実践出来るものではない。
 そして、その脳幹を鍛えてくれるのはけっして今流行りの「癒し」や「リラックス」「ヒーリング」などではない。   
 いわゆる「ゆとり教育」も旗印として「生きる力」を掲げたまでは良かったが、結果的に知力・体力共に劣る「草食系男子」予備軍を大量生産して終わった。ゆとりでは「生きる力」は身に付かないことが証明されてしまったわけだ。この「生きる力」こそ脳幹の力に他ならない。
 そこで私は今こそ「武道」を提唱したいのである。実に武道ほど脳幹を強化するに最適なものはない。
 およそ人間が主体性を保持して外界(外的条件)に働き掛け、そこに何らかの変化を起こそうとするならばその行動は「戦い」と呼んで然るべきである。
 武道とは本来、人間が避けて通ることの出来ないこの「戦い」を通して知力・体力・気力を全脳的に鍛え上げ人間完成を目指して行くものであろう。
 だから城野先生の創始された武道「護身道」を習いましょう、と書けばいささか我田引水に過ぎるかもしれないが「文武両道」とは理想ではなく「必然」なのだと考えたい。精神と身体・行動は不可分でありそれは脳において統一されている……21世紀に生きる私たちの理解はそこまで進んでいる。
 今後、脳力開発と護身道を併せ学ぶ人間が一人でも増え、混迷の極みにある日本の水先案内人たる「真のリーダー」が生まれることを心から望むものである。

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