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平成29年2月例会報告

日時  : 2月9日 木曜日 18;30 ~ 20;30
テーマ :私の履歴書 カルロス・ゴーン
場所  : 港区商工会館
担当  :石田 金次郎

・・・日産ゴーンの社長退任報道・・・
2017年2月23日の新聞に「日産ゴーン社長退任」・・・会長継続、後任西川氏・・・というニュースが報じられた。
「カルロス・ゴーン」は日本にとって何だったかといえば、一つは、日本的経営の成功と結びつけて論じられてきた様々な規範、終身雇用・年功序列・系列取引などの慣行を「経営上機能しているか否か」という現実的で客観的な尺度から問い直した経営者であること、もう一つはグローバル化でヒト・モノ・カネが地球規模で行き交う時代に競争原理や多様性を重んじた人事・賃金制度を導入し「アライアンス」という買収でも合併でもないグローバル連合を実現した経営者であると日本経済新聞は評している。
今次の発表は、インターネットと自動車技術の融合という変化の波が押し寄せてきて大胆な変革能力が求められている自動車業界の中にあって、ゴーンは自動車メーカーの21世紀型の土台作りに注力することを最後の仕事に選んだのが眼目であるとコメントしている。
・・・私の履歴書の骨子・・・
(生い立ち)
日本経済新聞の2017年1月の連載の「私の履歴書」は、そのカルロス・ゴーンである。その一回目の記事で、グローバル化の時代に「アイデンティティを失わずに多様性を受け入れること」が大切であると説き、「20年前なら人間は生まれたところで働くのが普通だった。だが、これからは世界を舞台に働き、生活するようになる。グローバル化には犠牲も伴う。私も様々な犠牲を払ってきた。それでもグローバル化は人の限界を取り除き、新たな可能性に気づかせてくれる。日本人の多くもそんな時代を生きることになる。私の人生を知っていただければ、何か参考になることがあるかもしれない。日本の皆さんのお役に立てるのならこの上ない喜びである。」と抱負を述べている。
彼の生い立ちであるが、祖父はレバノン人でブラジル生まれの移民の子である。1954年、アマゾン川流域で生まれ、レバノンでイエズス会系一貫教育校に学び、多感な十代を過ごした。校長はフランス人、教師にはレバノン人、シリア人、エジプト人と多国籍企業を思わせる組織だった。この時代の経験で、教師から「物事を複雑にするのはそれを何も理解できていないからだ。」という教えを思い出すと言っている。大学は、フランスの大学に進んだ。国防省直轄のエコール・ポリテクニーク、エコール・デミールで、成績はよかった。在学中米国旅行に行き、米国人学生の自己表現力がすばらしかったと語っている。
(ミシュランへの入社)
1978年、ヘッドハンターを通じ、タイヤメーカーのミシュランからの誘いがあり、学生生活に終止符を打ち、ミシュランに入る。最初の配属先はタイヤ製造工場で、生産性向上に関心を持って、毎日何度も現場に行き、意思の疎通が重要との考え方を身につけた。そして、入社3年後、若干26歳で工場長に抜擢され、部下に年上の多い職場で意思疎通に時間を費やし、直面している問題を熱心に議論し、解決のためにチーム作りに力を入れた。
2年後、本社から呼び出しがあり、買収した同業メーカーの再建を財務責任者の下で働くが、このときに、2つを身につけた。一つは、クロス・マニュファクチャリングという、別々のブランドを同じ製造ラインで生産する手法を見いだしたこと、もう一つは、最先端の企業財務の考え方と実務を習得した。
入社7年目の1985年、巨額の負債が膨らんだブラジル事業を再建のため、ブラジルに赴任した。問題の原因は政府の物価統制にあり、政府と粘り強く交渉し価格引き上げ努力し、一方、スト決行中の工場に入り労働者と直接話し合いをした。結果、3年後にはブラジル法人は急回復した。現金管理を徹底したのがよかったと言っている。
1989年、米国の同業大手の買収に従事し、90年には買収し、古い設備・生産能力の適正化で3つの工場を閉鎖した。統合すべき事業を一緒にし、相乗効果を生む組織作りを心がけた、そのために、ミシュランと買収会社の双方から最良の人材を集め、経営執行委員会を作ったことである。短期的な利益を重視する米国流の経営と欧州の同族企業的な長期経営の折り合いをつけるという文化の融合でもあった。米国では市場での競争が全てであり、経営者として成長の場であった。
(ルノーへの入社)
1996年またヘッドハンターから、ルノーが「NO2を探している。いずれトップになる経営者人物」というオファーを受けた。ルノーの面談を受け、ミシュランの了解を得て、ルノーに入社した。労働者の高齢化、旧式の生産設備、縦割りの組織で、赤字決算確実な情勢であった。ブラジルや米国の時と同様、クロスファンクショナルチームを作り、部門の厚い壁を壊し、風通しをよくし一緒に問題解決に当たる状況を作った。1997年には数値目標と期限を掲げた「200億フラン削減計画」を作り推進した。部品の種類を削減・単価の見直しのため、サプライヤーの支持を得ることにも注力した。ベルギーの工場閉鎖では、決算を公表して事前の理解を得る努力の必要性を学んだ。
(ルノー・日産の提携)
1998年独ダイムラーと米クライスラーの対等合併で、世界的な自動車産業の再編が始まった。日産は過去10年で一回しか黒字になっていなくて、救世主を求めていた。日産・ダイムラーの出資を巡る交渉が破談となった。ルノーは交渉の土俵に残り、日産に「200億フラン削減計画」を説明し、日産からのニーズは企業再生、異文化経験などの条件を満足する幹部を求めることで、必然的にゴーンに白羽の矢が立ち、これを受け入れ、1999年ルノー・日産の提携が成立した。
(日産の再生)
日産の再生に当たっては、これまでのリーダーとしての経験から、本当に会社を変えられるのは中にいる人々であること、ルノーからも溶け込む努力をすること、異質な人同士が心一つになることを心にして取り組んだ。
日産の再生計画は各部門から集められた中間管理職の「クロスファンクショナルチーム」が中心を担い、2年間で20%のコスト削減できる計画を導き出した。これを社員・株主・社会へどう伝えるべきか、成案を推敲し1999年末には「日産リバイバルプラン」として発表した。
そして、日産は2002年3月期に売上高利益率4.5%にし、有利子負債を7千億円以下に減らすという約束を1年前倒しで達成し、「V字回復」と言われた。その後経営計画には、必ず数字を共通言語とした。また、賃金や人事制度改革にも、公平性の観点から取り組んだ。
2002年には中国の呉副首相より、東風汽車の再建の直談判を受け、相性が合うかどうか何度も確認し2003年合弁会社設立し、業績回復した。
(日産ウェイとアライアンス)
これらの経験から、今後の行動規範となる「日産ウェイ」をまとめた。これは役員たちとの議論の結果、5つの心構えと5つの行動である。
「全ては一人一人の意欲から始まる(The power comes from inside)」を出発点にして、「異なった意見・考えを受け入れる多様性」、「最小に資源で最大の成果」、行動には「競争力のある変革に向けて継続的な挑戦」などあり、全世界の社員はこれを共有している。
日産とルノーの提携、アライアンスとは、ルノーはルノー、日産は日産のそれぞれの意志決定機関や取締役会、株主を持ち、独立した経営判断をする。合併でも買収でもない第3の道だ。グローバル化は世界が一つになるという考え方だが、個々の人間、企業、国・地域のアイデンティティを否定するものではない。
2010年ルノーと日産がダイムラーの株を持ち合い、関係強化することにした。共同開発や有益情報の共有で、戦略的協力関係である。2016年三菱自動車が日産・ルノーのアライアンスに加わった。
(リーダーの条件)
ゴーンはリーダーの条件をあげている。それは、結果を出せる人、人々とつながることのできる人、新しいことを常に学ぶ姿勢のあるひとである。生まれながらのリーダーなどは存在しないし、周囲からリーダーと認識されないと、リーダーにはなれないものである。
(家族と教育)
 家族は子供が4人、ブラジル・米国生まれの3女1男。父親として子供に自立心をどう芽生えさせるかを常に考え、接してきた。1つは経済的な自立、4人はすでに仕事を持ち、それぞれのキャリアを歩んでいる。2つめは知的に自立することで、自分で考え学ぼうとする意欲を持つこと。3つめが精神的に自立することで、これが究極の自立であり、自身のアイデンティティを持ち、物事を判断できるようになることであると考えている。毎週電話をかけ、父親として、参考としてのアドバイスはする。意志決定は子供である。そして、毎年8月と年末年始にはリオを訪れ母や姉と一緒に過ごすことにしている。
 子供たちは、米国・日本・フランスで教育を受け、レバノンの文化も理解している。多様性を理解し、アイデンティティは国籍で縛られないと考えている。そして、休暇は子供たちと一緒に過ごすようにしている。必ず一人で来て、家族水入ずで過ごす。
・・・カルロス・ゴーンの人物像・・・
彼の人物像を考えてみると、多様性のある環境の中でアイデンティティをしっかり持って多感な十代を過ごし、よき教師から「物事を理解するためには、できるだけシンプルに考えること」の教えを受けた。実社会に入っては、変革するのは一人一人であるとの基本認識から、常に人との意思の疎通を心がけ、組織の運営では縦割りでなく、クロスファンクショナルなチームを構成して独善に陥ることのないよう計画目標をまとめ上げ、実施での数々の教訓を蓄積し、それを生かしてきた。そしてその中から共通する手法を編み出し、ボトムアップとトップダウンと上手に使い分けた経営してきたといえる。特定な考えに偏らない、拘らない経営を目指し、且つDiscipline規律とFocus集中を心がけてきたと言っている。アイデンティティを尊重し、多様性を受け入れる人物像でないかと思う。
・・・所感・・・
ゴーンの連載を読んで各自の経験から諸見解が示された。留学の経験から米国では「個人の自立」が厳しく求められるやら、会社としての望むべき方向とオーナーの方針が違うとなかなかうまくいかなかったことや、人材の育て方などたくさん出た。
今回のゴーンの私の履歴書は確かにこれからの日本のあり方を考えるときに、教育や身の処し方を考える上で大変参考になるものがあるように思った。

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