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令和1年11月例会報告

日時  : 11月14日 木曜日 18;30 ~ 21;00
テーマ :城野先生のDVD「東西古今人間学」の鑑賞会 第9回目
場所  : 港区立商工会館
参加費 : 1000円
司会  : 石田 金次郎

DVD「東西古今人間学」第3巻第5回前半要旨
(日本の社会と欧米・中国の社会との相違性)
武道において日本社会と欧米或いは中国の社会を見ていくと、日本の武道は一撃の武道(伊藤一刀斎、示現流、真庭念流、宮本武蔵、塚原卜伝など)といえるが、西欧や中国の武道は型の武道(例えばフェンシング、少林寺拳法など)である。
それは、精神構造が違うのであると。欧州では形・組織を作って下に命令(ヒトラー、スターリン、毛沢東など)、多民族国家の米国では生活習慣、考え方が多種多様なので、役務明確、戦術分担明確にして戦略達成するという社会体制、対応の仕方である。米国は第2次大戦の勝利したことを経営学として、その応用を図っていった。が、日本では効果を余り上げなかった。
一方、日本は一民族一言語で教育も普及し、知識程度はほぼ平均化して、戦争への献身や敗戦後の急速な復興が出来たのも、それぞれの人がその目的の戦略を共有ができたからである。
これらを人間学としての受けとめ方については、人間の活動の共通性と相違性とを認識することが必要であることである。大英雄といわれるナポレオンは全欧州を制覇したが、これは個人で行ったことでなく、国民軍とそれを支える国民がいて実現したのである。
日本では社会体制の違いからこのような大英雄は出てこないのである。
(ナポレオンにみる人間学)
英雄論についてもその評価は社会的背景を認識したうえで、ナポレオンという人間像を取り上げてみたい。
ナポレオンは大英雄と言われているが、その活躍した社会的条件はどうなのか。
ナポレオン(1769-1821)が出た社会的条件・背景は、不平等な封建制度で王族・貴族・僧侶が土地を支配しており、農民や商工業者ら人民に重税・搾取に苦しんでいた。そして、アメリカの独立戦争への軍事的支援しイギリスと張り合うなどの重税要因もあった。
その一方、商工業者=ブルジョワジ-が育ってきたこと、ルソーやモンテスキュー等多くの思想家が体制に疑問を投げかけ、民主的な近代国家体制を提案する社会情勢にあった。
そのような社会情勢の中で、農民の決起、商工業者、都市のインテリが加わり、ルイ王朝を倒すというフランス革命が起きた。
近隣のオーストリー、プロシャ、イタリアは革命政府を倒そうと対仏同盟を結び対抗して、政府側の軍隊は技術的に優れた傭兵軍を持っていた。革命軍は志願兵からなる農民・市民の国民軍であった。その時ナポレオンは1784年パリの陸軍士官学校で砲兵科を出て1785年には砲兵士官となっていた。ナポレオンは、1793年ツーロン包囲戦でイギリス・スペイン艦隊の支援を受けていた政府軍=反革命軍を、港を見下ろす高地を奪取して大砲で攻撃しその艦隊を追い払い、反革命軍を降伏させる成果を上げた。1795年革命勃発の7年後パリの王党派の蜂起の時には市街戦に対して大砲を撃つという大胆な戦法をとり、王党派の鎮圧に成功し、国内軍司令官の役職を手に入れた。
ナポレオンの名声は上がりイタリー司令官となり、大砲を車に乗せて引っ張ってアルプス(ピレネー)越えで、イタリアを制圧して、イタリーの美術品など膨大な戦利品をもたらした。
当時軍隊は各国とも傭兵が主流であったが、ナポレオンの軍隊は、志願兵の国民兵であった。封建体制のくびきから解放されるために戦略を持ち戦闘意欲は旺盛であった。作戦として、前線に大砲を並べ砲撃後に散兵・寝撃ち後、騎兵を使って一掃する戦法で傭兵の各国の王党軍を圧し、欧州制覇の連戦連勝を重ねていったのである。
これまでが、ナポレオンの台頭の歴史的経緯である。ナポレオンは、封建体制の打破を目指した当時の社会的情勢を背景に、志願兵の国民軍という新しいコンセプトの軍隊にあって、これまで他の人が考えつかなかった大砲の使い方を編みだした戦法を使って、戦果を挙げる強力な革命軍を持ったのである。
ナポレオンが大英雄と言われるのを分析してみれば、フランス革命という大きな社会的情勢という背景の中で、欧州制覇といっても国民軍で新しい大砲の使い方を編み出しただけの人物という評価でないのかと言えないわけでない。
(参加者からの感想と議論)
・武道の相違についての感想
柔道の場合、武道かスポーツか、柔道家JUDOかの議論があるが、日本の柔道は世界標準としての柔道に変わっていった。国際的組織の中に発展的に組み込まれた、そのような型の武道ということか。
サッカーの場合、国際サッカー連盟FIFAがあり、世界にピラミッドを形成している。FIFAの加盟国数は209で国連の193より多い。組織や競技ルールなど形をなしている。大きな意味で、形、枠組み・組織の運用である。
日本の単一民族、単一言語の社会での組織や形という発想は欧州や中国の精神構造と異ならざるを得ない。グローバルな世界に飛び出して行くことが求められる?
・ナポレオンに見る人間学の感想
時代の変わり目には、武器や使用法などの進歩が関わっている。
ナポレオンの軍隊は、傭兵でなく志願兵の国民軍である。志願兵1人1人がどうしたらよいかの戦略を適時適所で判断できる能力を共有して軍隊である。それとこれまで思いもつかなかった砲の使い方を編み出した。新しい軍隊のあり方と戦法を実現したと言うことだと思う。
参考までに、ウィキペディアによれば、「ナポレオンが生み出した国民軍の創設。砲兵・騎兵・歩兵の三兵戦術。輜重の重視、指揮官の養成などは、その後の近代戦争・軍隊の基礎となり、クラウゼヴィッツの戦争論に理論化された」とある。
政治思想史でも、フランス革命の理念である自由・平等・博愛;がナポレオン戦争によって各国に輸出された、とある。
・日本にも、火縄銃3段戦法を編み出して天下統一を目指した織田信長、天下統一の戦略として時には時間差と科学的計算による武力行使や自尊心・面目などの懐柔策、極力戦いを避け、兵力を大切にした豊臣秀吉、300年徳川幕府を築いた文治の徳川家康、明治維新を成し遂げた群像がいるが、その人物像も活躍した時代背景があり、その背景を捨象した裸の人物像はナポレオンと一緒であろう。
英雄は時代が造り出すものであろう!
中国にも、有名な孫子の兵法があり三国志などでも知られているが、戦争の記録を分析・研究し、勝敗は運では無くて人為によることを知り、勝利を得るための指針を理論化している。その特徴は、非好戦的であり戦争を起こすことや長期戦による国力の消耗を戒める。そして現実主義に立ち「敵を知り己を知れば百戦危うからず」などの諺にもなって、あくまでも、主導権を重視する兵法である。

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