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令和3年7月例会報告

令和3年7月例会報告

日時  : 7月8日 木曜日 18;00 ~ 20;00

テーマ :城野先生の「情況判断の行動学」 の第三章(6)戦術の実行より


場所  : 港区立商工会館

演者  : 榊原 高明

1 戦術は実行することにあり
戦術を決めたら、実行しなければ 目的は達成できない。
 戦術の決定とその実行とは、別々のことである。戦術を決めたら、自然とその効果で戦術が実現されるものではない、
戦術の条件➝
 具体的段取りでなければならない。
 人間の脳が指令しうる範囲の内容での動作指令であり、どういう動作指令を出せばよいかが、はっきりと明示されていなければならない。その範囲を超えていると、脳は指令のしようがない。実行の段取りは一つ一つの実現。一挙に実行することはできない。脳が手足と口を動かして、対象に加工する動作は、一つずつしかできない。

*「総論賛成、各論反対」とは
 総論とは、大局論で戦略を言っているようである。各論反対とは、やり方の問題となると反対するらしいから、戦術実行に反対だということになる。➝戦略と戦術の区別がついていないことを意味する。戦術は具体的に実行できるものであり、反対とか賛成とかの評価は、できないものである。
 口では、現状打破の戦略に賛成し、心では、現状維持の戦略を把持する。口と腹とは、大違いで、当人は嘘つきであることを、証明している。ウソを見破られないために、二つの対立した戦略を、一方が戦略で、その戦術であるかのように偽装する。こんな立派なことに反対しません。大賛成なのだ、いい格好をしておいて、実は、その戦略自身に反対して、つぶしてしまおうと目論んでいる。この勘所を心得ていると、こうした「反対論」の正体を見破って、たやすく処理できる。
 実行しない戦術をいくら口にしたり、印刷してみても、事態は全く変化しない。

2 東京は汚いという嘆き
 「東京都は空気が汚染されて、息が詰まりそうだ、もっと緑の多い、空気の澄んだ町にしたい。自動車の侵入を禁止し、人口を疎散させて、公園をたくさん作れ・・。」こういう話がジャーナリズで流行る。聞く方でも、もっともと思う。外国の素敵なところを撮影してあり、都市の写真などを見ると、ずいぶん緑が多く素敵に見える。外国の都市の一番素敵なところを撮影してあり、汚いところは撮っていないから、素敵に決まっている。東京に住んでいる者は、毎日東京のいちばん素敵なところで暮らしているわけではない。外国のもっとも素敵なところと、東京の素敵でないところを比較するのは、まったくフェアではない。情報入手が全面的でないから、脳の比較判断は、いつもこうした片面的データの比較となってしまう。
 物事の原理➝素敵なところがあれば、必ず、素敵でないところがくっついている。都市の比較でも同様である。どちらを主体として見るかは、観察者の立場で違ってくる。
 東京の空気の汚染を嘆き、人口疎散を主張する当人は、今まで通り、書物に囲まれ、書斎にこもって、タバコばかりふかし、夜はタバコの煙と酒の蒸気の充満した銀座のバーで、酒を飲むという生活を続けている。
 その周辺にきれいな空気があるわけもなく、東京の緑を目にする機会もないだろう。
中国が船で、六百人の訪日団を送ってきた。彼等は、日本の各都市を回り、個人の家庭から、工場、企業、観光地等、あらゆる場所を見て回った。1200個の目でみた、総合結論では、一番びっくりしたのは、東京が、「こんなに緑が多く、清潔な都市は、初めて見た。交通統制がよくできているのには驚いた」というものであった。
東京のもの書き:タバコの煙の充満した自分の書斎と、酒の蒸気と炭酸ガスの銀座のバーの空気によって東京の全体の空気を代表させる。
中国代表団:東京も地方都市もグルグル回って得た情報から判定を下す。かなり全面的なデータ収集をしている
彼等の判定は東京都が世界一の長寿健康地帯であるという、他のデータと完全に符合する。
 もの書きの判定なら、東京は世界一早死の都市でなければならない。

3 嘆く者は、戦術を知らない。
  もの書きが好きなことを言えるのは、自分は何も具体的行動はとらないという前提があるからである。自分が戦術を実行しなければならないとしたら、自分の作る戦術は自分のできる戦術でなければ自分が困る。
 東京の空気をきれいにしようとするなら、まず、自分の周囲、手の届くところから始めればすぐできる。書斎でタバコを吸わない、外歩きなどすぐできる
当人の周辺の空気は、今より清浄に感じられるだろう。自分がそう体験したら自分のまわりの、同じ不満を持つ人たちに、一人一人と進めていけば、東京の空気浄化も一歩一歩進んでいくだろう。隣の友人を一人そうするくらいは、きわめて易しい。その易しいことが続いていけば、結局はそうなる。
 
➝自分のできないことを戦術にするな
 自分のできることをするのではなく、できないことを戦術にすると、できないことはできないから、いつまでもできないできないと顔をしかめて人生を過ごさねばならぬ。

*「理屈ではわかりますがね。実際にはそうはいきませんよ。」とは
 よくいわれる言葉であり、そのまま、まかり通ってしまう。
  これは、戦術的実行は、やらないという実際表現である。戦略的現状維持である。
 「理屈ではわかる」➝それを戦略目標にしたくない、そのための戦術を具体的に立てようとしない。目標そのものにはおおぴっらに反対できないから、それはわかるという言葉で、反対、賛成の境界をぼかしておいて、戦術とその実行段階で、脳は、黙って動くなと指令する。
 「実際はそうはいかない。」➝実際には実行できない「戦術」や方法だけを挙げてくる。脳の実際反応は、戦略そのものに反対なのである。それを、戦略には賛成だが、戦術がたたぬというわけで、戦略の否定にかかっている。

4 戦術を否定するものは、戦略を持たない。
 戦術は実行されて初めて意味を持つ。
 アフリカ行きを例にとれば、なるほど易しいですねと口で言ってみても、椅子から立ち上がって、最初の一歩を踏み出さなければ、決してアフリカへ行けない。戦術は実行がなければ、三文の値打ちもない。
 この時の脳の働き➝実行しないときの脳は、実行することの反対の動作を指令している。何も脳が働いていないというわけではない。反対の方向に働いているのだ。
 誰々さんに電話してみてくれというと、今日は土曜日だから、もういないでしょうと答える。手を電話にのばそうともしない。
 これは自分に不利益だと思うからだ。もうすぐ外出したいのに、相手がいると、会社をすぐ引けなくなるのがこわい。
これは戦術が組めないわけではない。それがわかっているからこそ、その反対の動作を指令して、目的そのものを消してしまおうとする。
 脳の反応➝自己の本心を的確に表現する。戦略の実行、不実行ということで、当人の戦略目標まで、バクロしてしまう。
                 以上

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