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令和3年6月例会報告

令和3年6月例会報告

日時  : 6月10日 木曜日 18;00 ~ 20;00

テーマ :城野先生の「情況判断の行動学」 の第三章(5)戦術の選定より


場所  : 港区立商工会館

演者  : 榊原 高明

(5)戦術の選定―戦略と混同しないこと
   *戦術は戦略に従属する
  例えば、東京の人が大阪城を見ようとする。
  ここでの矛盾条件:東京(身)―大阪(城) 600㎞隔てられている。これを解決するには➝この距離を変化させる➝自分の位置を変化させ、大阪城の前まで移動。これは、東京にいる現状➝大阪にいる状態へ変化、これは現状打破。
  大阪城へ行く戦術:方法はいくらでもあるが、この方法は大阪へ行ける手段であって、外の判断基準を持ち込んではならない。札幌行きの飛行機の方がカッコイイからと言って札幌行きの飛行機に乗ったら大阪へ行けずに北海道へ行ってしまう。
   戦術は必ず具体的な選定が必要、日時、便名、切符、空港等。具体的に決定して初めて脳は実行を指令できる。一つ一つ具体的に動いて行かないと、大阪行きの戦術は実現されない。実際に合わない具体性のない戦術は戦術に値せず、言葉や文字を並べただけである。
   この例を使うと、そんなことは百も心得ていると言う者がいるが、いざ実生活では、大阪へ行くつもりが、札幌行きの飛行機に乗るようなことをやり、どうもうまくいかないと、嘆いて暮らす者が多く存在する。
   献策が容れられない、恋人に逃げられた等、くさった時に酒を飲む➝習慣的脳反応であり、シナプス回路が作り上げられていることになる。その目的とは何の関係もなく、達成の手段とは縁遠い行動を指令する。
・困難という感覚が抜けないとき
  具体的段取りを一歩一歩に分解せずに、総合体で見るから、すごく巨大で、とてもできそうにないと感ずる。
  戦略目標が遠く大きければ大きいほど、困難という感覚の重圧を感ずる。➝とてもできそうにない、だめではないかと言い始める。
  この場合の精神状態➝戦術を戦略と混同し、大目標を瞬間的に実現せねばならない、戦術的実行を一挙に成し遂げるかのような錯覚を持つからである。
・アラジンのランプはこの世に存在しない
  どんなに沢山のご馳走でも一口一口、口に運んでいれば結局は食べてしまう。一挙に吞み込もうとしてもできない。これは不可能ですよと弁解して、一口一口の方は何もやらない。
*もし、アフリカに行くとしたら
  「アフリカに行くのと、この事務所の下の売店でタバコを買ってくるのと、どちらが難しいか」と質問してみると、大抵「アフリカに行くほうが難しい」と返事する。
  「パスポートと切符をとるのは難しいか」
  「椅子から立ち上がり、ドアを開け、エレベーターに乗り、下に降りるのが難しいか」
  「玄関を出て、タクシーに乗り、成田と言う、これが難しいか」
   成田で手続きして、飛行機に乗れば、翌日、カイロ空港に着く。タラップを降りればそこがアフリカの大地だ。
*問題は分解して考えよ
  アフリカ行きを具体的行動計画に分解してみると、難しいと思えたことが、ごく易しいことの連続となる。
 「脳が易しいと感ずる」➝「脳中枢が直ぐ足に指令を出し、椅子から立ち上がらせ、ドアを開ける」➝「体が動いてタバコを買い、部屋まで戻る」
〔これの逆〕:「難しいと感じる」➝「脳中枢が指令を発する内容がない」➝「椅子から立ち上がらない」➝「タバコを買えない」
 これは二つの戦略対立に外ならない。
  アフリカ行きと、事務所の下でたばこを買うことの困難度という風に問題提起されると、アフリカに行くほうが難しいとなるが、これは普通にやっている事実ある。問題を抽象的にしか取扱わないからそう感じる。
*戦略と戦術の行動分析
 「戦略の転換」
  戦略を決めたら、戦術によってこれを変更してはならない。戦術局面で途中で具体的計画の実行を変更すると、それが戦略を変更することになる。仙台へ行こうと思ったが、福岡行きの新幹線の方がよさそうに見えて(目前の一時的利益)、本来の戦略を棄てて新しい他の戦略に転換してしまう。百年たっても本来の目標へ行けない。
  こういう例を出されると、そんなことよく分かっている,人をバカにするなと思う人も多いが、脳力開発学的に分析すれば、実際にはこれと同じようなことを随分やっている。そして、困った、難しいと言い、実際の問題に当ったら、一歩も進めないと文句を言う。
  堂々たる評論論文、新聞解説等にも、これと同じように嘆いてみたり、お門違いの非難を得々とやっている。
 〔事例〕➝三洋電機が消えてしまったのも、末期にはまさに戦略と戦術の混同、混乱があったと推測します。
  どこまでが戦略で、どこまでが戦術であるか分別するのは、かなりな鍛錬が要る。このためには、常にこの原理を通用、実行してみて、体で覚えさせていくようにしなければ、言葉の暗唱はできても、問題を立派に解決することはできない。
*設備投資―戦略か、戦術か
  企業経営者は、今、設備投資をやるべきか否か、迷うことが多いと聞く。
  これは、設備投資は戦術問題であって戦略的決定ではない。戦略問題だと決めてしまうから「迷う」ということになる。設備投資を戦略とするなど、本質的にできない。だから、いくら「迷って」みても永久に脱することはできない。
  現状打破、発展向上の戦略があれば、設備投資はその戦略に従属する戦術の一つである。設備投資イコール発展戦略ではない。時には、人員整理も、操業停止も組み合わせ方によっては、発展戦略に従属した戦術となる。
 「戦機看破」:
   設備投資はいつやるかという戦機看破だけの問題である。設備投資は戦術だから、主体の戦略を離れて、それ自身の戦略は持たない。
  現時点では計算上成り立たなければ、来年でも、五年先でもよい。今年設備投資をやらないから戦略が現状打破から現状維持に転換したわけではない。それを戦略と思い違えるから発展を目途とするわが社は、ぜひ今年と、まだ計算不十分の計画を実行しようとする。
   これは戦略に従属しない戦術を行うことであり、発展向上ではなく、衰退の戦略に戦略転換することになる。
   〔事例〕➝ホンダの伊東孝紳社長時代、「2016年度に世界販売台数600万台」とぶち上げた。これは今までの1.5倍と無茶な目標。結局、現場に過重な負担を強いたために、品質問題を引き起こして拡販どころではなくなり、目標を撤回。この影響が今だにホンダの業績に影を落とし、引き摺っている。四輪では利益が出ず、二輪で食っている経営状態。
   設備投資計画の計算が具体的にできるかどうかは、決心の問題ではなく、事実データの問題。事実データは収集努力の結果であり、対論、議論によって事実データが創造できるものではない。
 設備投資は戦術だから、具体的に一つ一つの行動として、日程表ができ、具体的計画が組めて実行すれば、後は戦機の看破さえ分かれば、計画の通りになる。その計算ができないというなら、実行しなければよい。  
                   以上

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