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令和4年2月例会報告

令和4年2月例会ご案内

日時  :2月10日 木曜日 18;30 ~ 20;30

テーマ :1.城野先生の「情況判断の行動学」   
       の第四章(4)日本経済と高度成長の後半
      2.今後の展開について

場所  : 港区立商工会館

参加費 : 1000円

演者  : 松本 友

今回は、国民規模の戦略設定から始めました。欧米並みに持っていこうという戦略がありました。そのための戦術を国民規模で考えられたのが日本の強さだったのかもしれません。今、日本を考えると欧米並みに、と頑張った結果、ある程度の経済成長を果たしてどこに向かうべきかがあまりわかっていないのかもしれません。

当時の戦術として、焼け野原からスタートした人々は、良い意味で自分たちより進んだものを真似し、ひたむきにより良い生活を目指して頑張ることができました。更に、発展に伴い働くだけでなく生活を楽しむ余裕もできました。例えばゴルフ、昔なら環境破壊だったり贅沢だったりしたものが、実際ゴルフ場ができてやってみたらとても楽しくあっという間に広がりました。

加えて、戦争から帰ってきた人々が、戦死した仲間を思い、残された意味を考え、ひたむきに日本のために頑張ったこともあると思います。つまり、内需拡大という戦略、国内で助け合わなくては生きていけなかったという背景もあります。ゼロから出発せざるを得なかったことも大きいかもしれません。

財閥が解体し、階級差別がなくなって誰でも教育が受けられるようになったことで、ヨーロッパと比べて教育が世界一になったという下りがありました。その後、非正規雇用が増えてしまって子供にしっかりとした教育を受けさせられない家庭が増えたことで成長が止まったのか。教育が変化できなかったのか。それとも親の戦略がなくなったのが大きいのか。高度成長期は、親が頑張って教育を受けさせて世の中を良くしようという気持ちが大きかった。今は、親に未来の戦略が持てていないのかもしれない。成長期は学費も比較的安く、能力があれば教育を受けるチャンスが今より平等にあったと考えられる。自ら学び、獲得していくものだった教育が、今は「与えられるもの」「当たり前に受けられてしまうもの」になってしまっているのかもしれない。

学費の安さ、奨学金をもらって頑張るという環境、目的を持っているというより早く親に楽をさせたい、恩返しがしたいという思いで頑張っていた高度成長期。今の時代は「親に楽をさせたい」という感覚はないかもしれません。つまり、親が豊かになったからと言えます。余裕ができて、良い時代になったわけですが、逆に子供のひたむきな頑張りが持ちにくい時代になりました。成熟しきってしまった日本の弱さでもあると感じます。

当時はまた、大学に行かなくちゃいけない、とか言うことはなかったとのこと。大学に落ちて高校を卒業しただけの人も、なんとかなる時代ではあったという意味では良い時代に思えます。それだけ、人生の戦略、国民としての戦略が持てていない今は迷いの時代かもしれません。終身雇用を実現したことも、我々の感覚を鈍らせてしまった部分もあります。貧しかった時代、安定を実現するために他国からも羨ましいと思われるくらいの終身雇用が成功したのに、逆にそこに安住して成長を求め、自分を磨くことを忘れてしまったのかもしれません。

先端技術の発展はめざましく、一部の人の手にする富が全人類の富の99%を占めると言われる現代。成功している社会主義とも言える日本。良いものをたくさん持っているはずなのに、行き詰まりの閉塞感を感じます。

国民のご機嫌をとるため、自分たちの票のために政治を考えてしまう政治家任せでは発展はないのかもしれません。高度成長期は国民全体で持てた戦略を今、持てないのなら、個の力を高め、戦略を考え、個の力を束ねて今後の日本を考えて行くしかないのかなと思う今日このごろです。

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