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教育問題について、発表のまとめ

日時  : 11月13日  火曜日
      18:30?20:30
場所  : 港区商工会館
参加費 : 1000円
テーマ :「教育問題について、発表のまとめ」
担当  : 古川 彰久

1.これまでの討議の経過
(1)会員発表
1月「グローバル化・情報化時代における教育のあり方」 古川彰久
2月「教育の本質とは ― 真の人間教育について」 矢澤昌敏
3月「教育問題について」 時藤稔明
4月「勝者なき競争社会」 今井裕幸
5月「カウンセリングと教育」 田中達也
6月「グローバル化と教育」 平井兵治
9月「教育問題への情勢判断学と脳力開発の応用」 榊原高明
(2)会員発表の整理・まとめ
7月「教育問題について、今年前半の例会のまとめ」 時藤 稔明
10月「教育問題について」 榊原高明
2.以上のように、これまで7人の会員から、それぞれの立場から見た、教育問題に対する意見発表と討議を行い、更に2回にわたり問題の整理と討議を行ってきました。
これらの論議を踏まえ、情判会として教育問題をどのように総括し、今後どのように取り組むのか、まず今回の総括は、個々の具体的な対応を検討するのではなく、教育問題全体に対してどのように考えていくのかという視点になってくると考えます。
このような観点から、これまで論議されてきた問題点を脳力開発的視点から整理してみよう。
(1)日本の社会が抱えている問題:マイナス面とプラス面、目立つ部分と目立たない部分、主流と反(非)主流、部分的と全体的、
 対応策:これまでの論議の中にも、色々な問題点が指摘されてきたが、それらを具体的な個別問題として解決するならば、立場・観点・希望等を整理して解決策を検討することとなるが、教育のあり方を問うとするならば、それぞれの現象を病根として対処療法的に処置するのではなく、そのような現象が生じている根幹を見極め、対応を検討する必要がある。
(2)生活環境の変化:グローバル化、情報化、核家族化、世代間ギャップの発生。
 対応策:人類の歴史上これまでに経験していない変化が発生しているといえる。
変化の内容、程度と方向の見極めが大切ですが、変化に対する価値観が問われることとなり、各人の立場や希望によって、対応策も大きく異なってくると考える。
(3)要因と対応:内因と外因(条件)、主体的と受動的、対処療法と根本対策
 対応策:(2)項の生活環境の変化の問題と合わせ、問題に取り組む人の立場や希望が反映し、その人の精神的姿勢が問われることになるが、それだけに意見を集約するのが難しいと思われる。
(4)教育の場と種類:胎児教育、幼児教育、家庭教育、義務教育、高校、塾、予備校、大学、大学院、社会人教育、企業教育
対応策:一般的に教育問題というと、学校教育を問題にしていますが、今回の論議の中で、教育の目的が、人づくりだとするならば、学校教育にとどまらず、あらゆる場が教育の場となりうる。
(5)立場:教師と生徒、親と子、家族、学校と社会、公立と私立、文部省と日教組、社会人と学生、企業と社員、各世代別、(各人各様)
 対応策:教育はすべての人が、受ける立場あるいは与える立場でいろいろな局面で関わっており、それぞれの立場から、期待や希望が存在していることとなる。従い個別の問題解決にはそれぞれの立場や希望の整理が重要であります。一方で、教育問題全体というような課題になるとそれぞれの立場を主張している限り、大きな変革はできない。立場を超越したコンセンサスが得られるかどうか。
3.教育の目的について
(1)教育問題についても現状維持を前提とした発想からは戦略論は出てこない。問題があればその問題ごとに個別に対応すればよいということになる。
しかし、これまで討議してきたように、現在の教育体制は新しい時代に適応していくには、かなり問題がありそうです。
教育改革というならば、現状打破を志 すものであり、現状をどのように捉え、どのような方向へ向かうのか、目的を明確にすること、すなわち戦略を立てることが重要です。
(2)わが国の公的機関における教育問題へ の大きな方向付けは以下のようであります。
   わが国で問題とされている教育のあり方について、「学力低下問題」と「子供たちのモラル低下問題」が主要な問題点として指摘されており、これらの対策として、「ゆとり教育の見直し」や「道徳教育の復活」が課題となっている。
   一部識者からも指摘されていますが、この論議の中に教育改革の目的が明確 にされていない。むしろ、前回「ゆとり教育」が持ち出されたときには、世の中の価値観が多様化してきた中で、教育も多様化していく必要があるとし、「ゆとり教育」が持ち出されたはずです。脳力開発的視点からすれば、「ゆとり教育」は戦略的立場から取り上げられたはずであり、それが実現しなかったのは、戦略そのものに問題があったのか、推進する戦術に問題があったのかを明確にしなければなりません。
現在の教育論議がいかに個別対応的に、戦略レベルも戦術レベルも区別なく、大枠においては現状維持を前提として行われているかを垣間見る思いです。
(3)教育の目的を論議する際に、当然教育とは何かを明確にする必要があります。
教育とは、文字とおり「教えること」と「育むこと」であり、
「教えること」は知識を一方的に伝える
  「育むこと」は相手の「いのち」(身体と心)に気づかせる。(双方向)
   どの段階で、どちらにどの程度のウェイトをおくかが重要です。
(4)心、精神の問題について
   戦後、わが国は「客観性絶対視説」でやってきたが、近年、心、精神の問題が指摘されると「昔はよかった説」が唱えられる。小生は「小生説」を唱えている。
  客観性絶対視説:精神性については、戦前は考え方の柱であったものが、戦後は都合が悪いとし、簡単に放棄し、他国からエコノミックアニマルと揶揄されても合理性第一で客観性を絶対視してきた。そして経済大国になった。
  昔はよかった説:日本では戦前は道徳が行き届き、今のような精神的退廃は考えられなかった。アメリカの占領政策で日本人は精神性を失ってしまった。よき昔を復活すべきである。
小生説:戦後、精神性について良い面悪い面を総括せずに、最近になって、精神性が大切だというと簡単に戦前の日本はすばらしい精神性を持っていたとし、昔の精神性を回復しろという。精神というものにまともに向かい合っているのかどうか危うさを感じる。かっての精神性は絶対的なものとして全体主義に導かれたところに大きな問題がある。精神性といっても、多様な側面を持っている。精神性を検討する前提として、まずは客観性の中に埋没している主観性を回復し、どのような主観性が望ましいのか議論する場を作ることが必要と考える。
(3)私たちはこれまで脳力開発的視点から 教育問題につき意見交換を行い理解を深めてきた。教育問題の実態把握や教育の目的等を検討してみると、今後の教育のあり方は、今後のわが国のあり方と密接に連携する課題であり、お役所任せにせずに、私たち一人一人がどのような生き方がよいのか真剣に考える必要があると考えます。
教育改革について、情判会として何らかの意見表明をするためには、少なくとも参加者間での基本的な戦略統一が必要と考えます。
もし目的が共有化できれば、それに基づき各分野あるいは各段階の望ましいあり方が論議できることになります。
4.教育の目的についての古川見解
(1)現在進展している、情報化、グローバル化の時代に逞しくチャレンヂしていくには、知識を教えるよりも、判断力あるいは精神力を育むことが大切です。
(2)教育の目的:「生きていること」(主体)と「生かされていること」(社会や環境)を自覚し、自らの「いのち」を精一杯実現(チャレンジ)する。そのためには身体や心が健全であることが大切であり、その根底にある意識は「いのち」に対する「愛」と「感謝」である。
  *前段の3フレーズは脳力開発の精神姿勢の3指針と相通ずる趣旨であり、後段は小生なりにこれまでの各種の精神的な教えの根幹を取り出した積りです。
5.教育の目的についての討議
(1)古川見解は抽象的過ぎるとして、意見の一致を見ることができなかった。
(2)教育問題は非常に幅が広く、それぞれの立場によってそれぞれの教育現場との接点が異なり、他の人の教育問題を理解するにも、勉強会としての情報収集には限界があり、限られた時間の中でこれ以上議論を深めることは困難である。
(3)これまでの論議でお互いに教育問題に対する理解が深まった。とりあえず、勉強会としての教育問題は終了とする。

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