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11月 例会 報告

日時  : 11月11日  水曜日
      18:30 ~ 20:30
場所  : 港区立商工会館
テーマ : 「裁判員制度が開始され」
担当  : 古川 元晴

裁判員制度を巡る諸々の議論については、本年4月の例会で「戦略」を基軸として立体的、体系的に分析整理し、理解することを提唱しましたが、11月の例会においては、改めて以下のとおり、この制度に対する賛否両論の状況及び裁判員裁判の実施状況を整理した上て、これを検証しました。
第1 本制度に対する賛否両論の状況
   賛成論は、主として次の2つに分けられるようです。
   a 従来の職業裁判官任せの裁判には重大な欠陥、弊害があるので、本制度によって市民の常識を裁判に反映させてその欠陥、弊害を克服し、より良い裁判の実現をめざすことを目的とする(陪審制礼賛論者の立場)
 b 従来の職業裁判官による裁判に特段の欠陥、弊害があるわけではなく、次の点を目的とする(本制度を推進する法曹三者共通の立場)
    ①裁判を市民に分かり易いものに変えて、裁判に対する市民の理解を増進させる。
    ②裁判に市民の常識を反映させてより良い裁判を実現し、裁判に対する市民の信頼を向上させる。
    ③市民自身の主権者としての自覚(自ら社会を担う意識)を涵養する。
  反対論は、主として次の2つに分けられるようです。
 a 本制度は裁判を拙速化、粗雑化させてて裁判の質(真相解明等)を劣化させる。
 b 死刑制度反対等の良心的、思想的理由による。
第2 裁判員裁判の実施状況
 1 対象事件の起訴、裁判件数 
   裁判員裁判が本年8月から各地の地方裁判所で順次実施されるようになり、11月末までに裁判員裁判対象事件の起訴件数は約1千件、判決言渡し件数は約百件です。起訴事件数に比して裁判件数がごく少数なのは、難事件のほとんどが公判前整理手続きの段階にあって裁判に至っていないことによります。
 2 裁判結果への影響
  事実認定については、これまでに裁判の対象となった事件はほとんどが事実関係に争いがないものですので、裁判日数も3,4日程度で済むなど比較的順調に推移しています。ただ、数少ない否認事件としては、強盗致傷事件で共謀が否認された事件があり、実行犯の証言で起訴事実どおり認定されましたが、裁判は最長の12日間に及びました。否認事件といっても事実認定は比較的容易なものでしたが、それでも裁判員にはかなり負担が重かったようです。いずれ難事件の裁判開始に伴い困難な事態の頻発が懸念されます。
   量刑について見ると、先例の量刑判断に比して重刑化の傾向が窺えますが、これについては、従来の裁判官による量刑が軽すぎただけで、市民参加による好ましい結果であると肯定的に評価する意見が圧倒的に多いようです。しかし、刑罰は単に苛烈であればあるほど良いと言うわけではなく、犯罪の重大性や被告人側の酌量すべき事情の有無、程度等に応じた公平で適正な刑罰でなければなりません。「先例にとらわれない」と言う光の部分がある反面、公平性を損なうという陰の部分もあるということを、きちんと認識しておく必要はあります。
 3 裁判手続への影響
   「分かりやすい裁判」の実現ということで、検察官や弁護人が「見て聞いて分かる裁判」を目指し、法廷で示す証拠の数は絞り、映像や図を駆使し、平易な言葉で語るなどによりおおむね順調に推移しているようですが、分かりやすさにこだわりすぎて立証に漏れが生じるという弊害もあるようです。また、裁判員の負担を軽減するということで、争点主義が徹底されて、証拠厳選で、裁判期間も極力短縮されいますが、裁判員にとってはきつい日程の中で未消化のまま判断を迫られる場合も少なくないようです。
 4 守秘義務の運用状況
   評議の具体的な内容については守秘義務が課されているため、裁判員が判決後に語れるのは感想だけで、具体的なやりとりは明らかにできません。そのため、裁判員の意見が評議に反映されたのか否か、否とすればその理由は何か等具体的な状況が国民に明らかにされず、国民自らが検証し改善方策を考える途が閉ざされた状況にあり問題です。
 5 裁判員の「やり甲斐」状況
  各地の裁判所が9月末までに裁判員経験者79名に行ったアンケート調査によれば、「良い経験と感じた」が97.5%、「審理は理解しやすかった」が74.7%で、最高裁は、「充実感をもって裁判員としての職務に従事していただいたことがうかがえる」と評価しています。また、裁判員の判決後の記者会見では、「裁判に興味が持てた」「やってよかった」との市民参加への肯定的意見が相次いでいるようです。しかし、裁判員の「やり甲斐」は、主として
①自分自身にとってよい経験であったか否か
    ②裁判結果によい影響を与え得たか否か
の二つに集約されるようで、肯定的な評価は、上記のように主として①を基準になされているのに対し、否定的な評価は主として②を基準になされているようで、肯定・否定の分かれ目は②の点の重視の度合いによると思われます。
第3 検証とその基軸
1 「真相解明」を基軸とた検証
   前回の例会では、本制度の理解の仕方について、刑事裁判の目的である「真相解明」を基軸として、本制度について
 A 真相解明よりも上位の社会的価値を実現することを目的とする制度と理解(A     型)
  B 真相解明よりも下位に位置付けて、これに寄与することを目的とする制度と理     解(B型)
の2つの理解の仕方があることを提唱しましたが、前記の賛成、反対のいずれの見解についても、基本的には本制度をB型の枠内で理解しようとしていると認められ、明確にA型の理解に立つ見解は、私の調べた限りでは見当たらない状況にあります。
   そして、現在までのところ、本制度は、一見、賛成論から見て順調な滑り出しで、反対論が杞憂であるかのような風潮が支配していますが、その実施状況を子細に見ると第2で記述したとおり問題があり、けして楽観できる状況にはありません。前回の例会でも述べたとおり、本制度の将来展望として、B型の理解の仕方では裁判員が「真相解明」の負担の重さに耐えきれず早晩破綻を来すであろうし、一方、A型の理解の仕方に転じれば、「真相解明」に囚われることなく自らの先例無視の量刑判断や死刑反対論を堂々と裁判に反映させることも正当化され得ることになるでしょうが、その正当性の論拠についてはこれまでにまたく議論されておらず、その将来予測が困難な状況にあります。
 2 「裁く立場」・「裁かれる立場」を基軸とした検証
英米の陪審制は、英国の名誉革命を経て被告人の権利として構成されていて、被告人に陪審制と職業裁判官裁判のいずれを選択するかの選択権が与えられておりますし、独・仏等の大陸法系の参審制も、市民革命を経て裁判権を王制から市民が奪還し、政治弾圧から市民を護るということでまず陪審制を導入し、やがてその弊害を克服すべく現在の参審制に発展してきたという歴史があり、「裁かれる立場」にある被告人の権利擁護を基本理念としている制度と理解されます。そのような「裁かれる立場」への理解を欠いた単なる「裁く立場」だけの制度では、憲法の保障する「公平な裁判を受ける権利」が損なわれ、極論すれば、全体主義による「人民裁判」化さえ懸念されます。
裁判員制度は国民の権利なのか義務なのかが、当初から問題とされてきましたが、「権利」については、一般的は「主権者たる国民の権利」という言い方で説明され、具体的には国民が裁判官役を努めるということで、被告人を「裁く立場」から議論される場合が多く、被告人の「裁かれる立場」からの議論は少ないようです。そして、この観点から本制度についての上記の賛成論・反対論を見ると、その分岐点は「裁く立場」・「裁かれる立場」のいずれをより重視するかにあって、被告人の「裁かれる立場」を考慮する場合は、本制度の裁判結果への悪影響が当然懸念され、反対論に傾くことになるように思われます。一方、賛成論の場合は、本制度によって当然に良い裁判が実現されるので、被告人の立場からも良い制度であることは自明の理ということになるのでしょうが、当然に良い裁判が実現されるという点は論証抜きで論じられているのでして、「裁かれる立場」を考慮しているようでいて実際にはこれを軽視して「裁く立場」に偏しているようにうかがえ問題です。前記の裁判員のやり甲斐についての肯定論・否定論の分岐点も同様に理解できるように思われます。
第4 まとめ
 刑事裁判が国民に解放された意義は極めて大きい。しかし、問題は、その目的、狙いが何かであり、国民が「裁判という国家権力」を義務として強制的に担わされるにすぎないのか、国民がこれを国から国民の手に奪取して、自らが主権者として担うこととなるのかが問われています。そして、B型は前者になじみ、A型は後者になじむ面があり、かつ、A型B型いずれについても「裁かれる立場」の尊重が不可欠であるという視点から、今後の展開を注目したいと思います。

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