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3月例会 報告

日時  : 3月10日  水曜日
      18:30 ~ 20:30
場所  : 港区立商工会館
テーマ : 「情判 連続五人斬り」
担当  : 今井 裕幸

 今回、例会で試みたことは、例会が発表者の得意な分野の発表会になっており、初めて来た人にとっては、「脳力開発の指針」やノウハウとどのように絡み合っているのかが今一つ分かりにくい。運営委員はそれぞれの分野ではそれなりの専門家だから、それなりに聞いていて為になる話は聞けるのだが、それなら、他の会でも専門家の話を聞くことは出来る。例会に出ても、脳力開発の理論を身につけることが出来ない。という意見に応えるための試みとして、計画してみた。
 脳力開発のツールを身につけるものとして、今年は、榊原さんが基礎勉強会を開催してくれている。これまでに1回目と2回目が開催されたが、毎回二桁の参加者を集め、大変好評を得ている。脳力開発のツールを身に付けたいというニーズは確実にあると思われる。そこで、今回は、具体的な共通の話題のケースを使って脳力開発の指針をあてはめてみた。直接、今回の参加者に利害関係者もないので、好きなことを言っても問題の無さそうな話題を選びました。

 ケーススタディとして取り上げたのが、横綱朝青竜の解雇問題。問題の内容は皆さんご存知の通りです。まず、問題を整理して、「中心骨組みで捉える」という指針を応用します。
 中心骨組みで捉えるということは、「つかむ作業」という前半の段階と、「計画する作業」という後半の段階に分かれます。「つかむ作業」では、「中心点をつかみ出す」ということになるし、後半の「計画する作業」では「中心点を確立する」ということになります。「中心点」というのは、全体に対して最も支配的な影響をもっている要素やポイントということです。
 ひとまとまりの全体の中心点を浮き彫りにするには、全体をいくつかの主たる部分やブロックに分けます。次にその各部分にそれぞれまた中心部がありますから、それをとり出します。中心部どうしの相互関係をつかみ、できるだけ立体的な関係としてのつながりを考えます。それらのつながりの中で一番の中心部はどこかを明らかにします。
 「つかむ作業」により、今回のケースでは、問題の中心点がいくつかあることが浮かびあがってきます。以下、その論点を列挙してみます。
① 何度も問題を起こす横綱に対して、横綱としての品格があるのか、その地位として、相応しいかいなやという問題です。
② 競技のルールに従って努力はしてきた。その結果、連続優勝などの記録を出して、仕事上の成果を上げてきたのだから評価されるべきだいとう考え方です。
③ 世間の批判も強くなってきた。ここで処分をしなければ管理をしている側が批判されてしまう。管理を行う側の立場や、面子が立たないから処分をするべきだという考え方です。
④ 今回の問題が起こったことに対して、非があることはあるがそれを一部の責任にのみ押し付けるのはどうか、でも、ここは、一旦引いておさめるという手もあるかなという考え方です。

そこで、脳力開発では「立場・観点を整理し、多角度から考える習慣を作ろう」という指針があります。
立場というのは、「複数の要素の間の相互関係」を整理して考えるということです。脳力開発では「立場」というものを、「立場は必ず希望を持っている」と考えます。「こうしたい」という行動の内容がその人の立場を表しているということです。
「相手の立場にたって」というものは、「相手の具体的な希望の中心点を具体的に考えよ」という内容をもっています。立場によって、希望、利益が異なるということは、「立場によって戦略が異なる」ということです。
「何と何との衝突か」という指針から、そのぶつかりあいの具体的な内定を整理することが必要です。いつも、こういう観点から「立場の整理」を行うトレーニングをする必要があります。

そこで今回のケースを見てゆくと。
① は日本の相撲ファンの世論の立場。
② は朝青竜本人の側の立場。
③ は相撲協会としての立場。
④ は高砂親方の立場。
ということが出来ます。
 こういう整理検討の際には、必ず自分自身の立っている立場について点検しておく必要があります。
 立場によって希望、利益が異なるということは、立場によって価値の内容が異なるということです。
 これは同時に次のような点を含んでいます。
1. 立場によって主張、意見が異なる。
2. 立場によって評価のよしあしが異なる。
3. 立場によって進行方向とルールが異なる。
ということは、「立場によって戦略が異なる」という意味もあるということです。

 今回のケースで具体的に考えてみると。
 朝青竜の場合、そもそも母国はモンゴルであり、金を稼ぐことを目的にやってきているのだから、日本の国技とか、神事を背負っているわけではない。人一倍努力もしたし、才能もあったから結果が出せたのであり、仕事上での結果はちゃんと出しているはずだとの主張があると思われる。
 日本の相撲フォンとしては、相撲は神事であるとか、国技であるから、スポーツを超えた品格とかまで求められ、理想の横綱像というものがあり、それに合致しないものは横綱として認めたくないという欲求が存在すると考えられる。
 相撲協会の立場として、相撲は国技であり、神事であるという主張は変えたくない中で、新しい弟子を集めることに苦労している実態も認識はしている。そこで、外国人の弟子を集めることが常態化して、今や上位番付は外国人の力士でしめられる状況になってしまった。国技とか神事であるとする主張をするのであれば、外国人に道を開いた時点で、このような問題が発生することは懸念されたことではあるが、これまでの歴史を築いてきた外国人力士の中には、本当に日本を理解し、一緒に国技として盛り上げようという先輩力士が多かったから、その様な人にまで道を排除することの方が不合理だとして、外国人力士を受け入れ、徐々に奨励されるようなところまできてしまったという事情がある。
 そのような事情のなかで、国技や神事を担っている相撲協会の立場としては、ここで処分しなければ、自分たちに批判の方向が向いてくるという判断もあったのだろう。
 高砂親方の立場としては、今回の責任を自分一人に押し付けて解決しようとする姿勢には内心納得のゆかない部分もあったのではないかと思うが、相撲界の存続とか、相撲協会を守るという意味からも、今回の処分を受け入れるという形を納得せざるをえなかったのではないだろうか。
 同じ様な問題が、オリンピックでスノーボードの国母選手が、日本選手団の制服を崩して着用したという事が問題となったことがあった。これも、問題の本質としては、同じ事だと思われる。日本人選手が日本の代表としてふさわしいかどうかを問題としたのに対し、スノーボードにはスノーボードのファッションがあると主張した所に立場の相違が発生したものだと思われる。
 考え方を広げて応用してゆけば、身近な会社の中での、努力もし、結果も出しているが組織の中になじめない若手社員の問題なども、同様な問題として分析することが出来るのではないだろうか。

 「確定的要素から出発して考える習慣をつけよう」という指針も適用出来るかと思います。確定的事実にはランクがあると考えます。
甲.自分が直接実際に見たり体験したもの。
乙.自分の信頼のおける人が、見たり体験してその人から直接聞いた情報。
丙.一般に報道されている情報。
その情報がどのランクに該当するのかを認識して、考えなければ、情報に振り回されてしまうことになります。特に今日、インターネットなどで配信される情報も多く、情報の確度の認識を誤ると、大きく判断をあやまることになる。

 今回、例会の中で議論してゆく中で、具体的なケースの捉え方も、捉える側の主観によるところが大きく、その人の考え方や経験から捉えてゆくべきだという意見も出された。今回は、当初、連続五人斬りなどとテーマを沢山出してみたが、一つのテーマを扱うだけでも様々な考え方が出て、例会の中では多くのケースを扱いきれなかった。
 脳力開発の指針についても、「中心骨組みで捉える」、という指針と、「立場・観点を整理し、多角度から考える習慣を作ろう」という指針くらいにしか触れることが出来なかった。今回の試みとしては、担当者である私の準備不足の面が多々あったこともあり、趣旨がうまく共有できなかった点が反省点としてあげられる。
しかし、議論は白熱し、最近にない力のこもった議論が引き出せたことは成果として挙げられるのではないかと思います。今後も、例会のテーマと脳力開発の指針をできるだけリンクさせる試みは続けてゆこうと思います。

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