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5月例会 報告

日時  : 5月12日  水曜日
      18:30 ~ 20:30
場所  : 港区立商工会館

テーマ : 「JR西日本事故とトップの刑事責任」
担当  : 古川 元晴

(はじめに)
 JR西日本事故の概要及び歴代社長が刑事責任を問われるに至った経緯等は「じょうはん5月号」掲載の「例会ご案内」で要旨を記述したとおりですのでご参照ください。5月例会では、この概要、経緯等を踏まえて本事故における社長の刑事責任を「戦略戦術」の観点から検討しました。
 本事故につき検討した事項は多岐にわたりますが、JR西に事故現場の曲線における脱線対策として曲線速度超過防止装置(ATS-P)を整備すべき義務があったか否かについての責任解明が主要な論点ですので、紙数の都合上、この点に絞って要旨を記述します。
1 最初に、検討の前提となる基本的事項を説明します。
  刑法上の過失犯の成立要件ですが、「過失」とは注意義務違反ということで、そのためには①当該事故の発生を予見することが可能であったこと(予見可能性)、②当該事故の発生を回避できる可能性があったこと(回避可能性)、③当該事故の発生を回避すべき義務があったこと(回避義務)、の3要件を満たす必要があります。
  用語ですが、事故の発生原因の解明を「原因解明」、その原因発生が誰のいかなる責任(役割)によるのかの解明を「責任解明」、その両方を合わせた事故全体の解明を「真相解明」とします。
 電車の運行管理システムは技術装置とこれを操作する人間組織とによって構成されていますが、これは、失敗学の提唱者畑村氏によると、(ア)技術装置のみによって事故を確実に防止しようとするシステム(本質安全システム)と、(イ)技術装置を人間組織が的確に制御することにより事故を防止しようとするシステム(制御安全システム)に分けられ、本事故の発生原因としては、本質安全の観点からは「ATSの未整備」が、制御安全の観点からは運転手の操作ミスを誘発した「懲罰的な日勤教育」が指摘されています。
2 責任解明の基軸・・戦略上の事故か戦術上の事故か
  本事故は、歴代社長が刑事責任ありとして起訴されるに至った稀な事例でして、戦略上の誤りに基づく事故に分類されるものです。どの企業もそれなりの経営上の基本方針(戦略)を持ち、それを実現するための行動計画(戦術)に基づいて運営されており、事故は、その戦略、戦術のどこかに相応の誤りが生じた場合に発生します。そして、戦略を担うのはトップを中心とした経営陣であり、戦術を担うのは現場部署であって、事故は、当然ながら現場において発生するために、真っ先にその現場担当者の誤りの有無が問われることになります。その誤りが単に現場担当者だけの誤り(戦術上の誤り)に止まる場合は、再発防止もその戦術の改善という対処療法だけで済みますが、それが戦略上の誤りに起因している場合には、再発防止のためには、戦略の誤りを正すという根源療法が必要となります。
  しかし、これは企業の存続に関わる重大問題に発展するおそれが大きいために、トップを中心とした経営陣は自己防衛、組織防衛に走り勝ちで、その真相解明は極めて困難となり、現場担当者だけの責任解明(トカゲのしっぽ切り)に終わる場合が多い実情にあります。現に、JR西の歴代社長は、事故発生後今日に至るも全員が「運転手が制限速度を遙かに超えて急カーブに侵入するとは思わず、事故を予測できなかった」等と弁解し、予見可能性自体がなかったのでATS設置の回避義務もなかったとして責任を全面的に否定し、本事故の責任を運転手のみに止めようとしています。
 一方、遺族等は、本事故はJR西の「ダイヤ速達化、事業合理化、経費削減の三大経営方針を優先させ、その枠の範囲内で安全対策を部下に策定させていた」等(端的に言えば「安全より利益を優先」)の組織的、構造的要因により発生した事故との疑念を抱き、その点の責任解明を強く求めています。企業において安全と利益とは時に鋭く対立する場合があり、その場合にいずれを選択するかは戦略上の判断に属する事柄です。しかし、企業にとって利益のために安全を犠牲にしてよいとの理屈は社会的に通用しないことは当然ですから、そのことを明言するはずはありませんが、実際の企業運営においては「安全より利益を優先」させている場合が少なくなく、その結果としての事故も頻発しているわけです。したがって、その点についてのJR西の運営方針(戦略)がどうであったかについては、具体的な場面ごとにその運営実態を綿密に解明する必要があります。
3 各機関による責任解明状況の検討
  国交省の航空・鉄道事故調査委員会(事故調)は、「例会ご案内」記述のとおりの不明瞭な理由によりJR西の責任を不問とし、責任解明の観点からの調査を全面的に回避してしまい、事故調査機関が企業の保護育成を主たる任務とする国の行政機関に所属していることの限界を浮彫りにする結果となりました。
  一方、神戸地検は、ATSの未整備につき責任解明の捜査を遂げた上で、事故当時の社長である山崎氏を、本曲線を現在の急カーブに付け替えた当時の鉄道本部長として責任があるとして業務上過失致死傷罪で起訴しましたが、当時の社長以降の歴代3社長の責任については不起訴(嫌疑不十分)としました。
 検察が不起訴とした理由は公表されていませんが、マスコミ報道等によれば、①安全対策の権限を鉄道本部長に委任していた、②そのため現場カーブが危険と判断できる情報に接していなかった、とのことのようです。これは、日本企業の特質として指摘されるボトムアップの組織体制の弊害(上に行くほど責任が曖昧となり、かつ、これに便乗して、責任感が乏しいトップほど都合のよい案件については権限を握りつつ不都合な案件は部下に丸投げして、問題が生じると部下に責任転嫁して不知を理由に責任回避)を見事に追認した形になっています。
  これに対し神戸第一検察審査会(検審)は、歴代3社長についても二度にわたり「起訴相当」の議決をしたので、3社長は裁判所の指名する検察官役により強制的に起訴されるに至りました。検審は、公表された議決要旨によれば、上記②につき「カーブが危険であるということ及び運転手の取り扱い誤りや居眠りなどによりブレーキ操作が適切に行なわれないことを想定して可能な限りの安全対策をとることは市民感覚としても当然のこと」「審査会において検討してきた証拠に照らすと、3人がカーブの危険性を認識していなかったとは到底考えられない」として危険性の認識があったと認定して検察の消極判断を覆しました。また上記①につき「社長と鉄道本部長との関係は監督者・被監督者という支配関係にある」として、検察の「信頼の原則」適用の判断を覆しました。この判断は、監督者が本来担うべき職責の重要性を真正面から見据えた判断で、ボトムアップ組織に安住してきた経営者や、それを結果として追認する発想にとどまっている法律専門家にとっては衝撃的な判断で、まさに市民感覚ならではの「発想の転換」を迫る判断ではないかと思われます。
  検審の「歴代社長に危険性の認識があった」との判断には証拠上の問題が残されており、かつ、この判断が覆されると全体が覆される理論構成になっているようで、裁判の結果は予断を許しません。特にどの程度の情報に接していれば「認識があった」として責任ありとされるのかは大いに評価が絡む事柄で、従来の裁判実務からすると「証拠の壁」は厚いようです。しかし、社長は戦略担当者として会社の安全管理体制を適切に構築すべき職責と権限を有しているわけで、「安全軽視の社長がいい加減な安全管理体制を構築、放置し、その結果として社内で適切な情報が収集、検討されず、社長にも報告されず、その結果として社長が免責される。」というのでは国民の常識に合わず納得を得られないでしょう。検審の判断は、このような社長の戦略上の職責、権限を適切に見据えた結果として、検察とは異なる厳しい判断を下したものと理解でき、法律専門家の「証拠の厚い壁」意識に対し、正に「市民感覚」による「新たな時代における新たな判断の仕方」(発想の転換)を求めたものと評価でき、裁判においても十分に尊重し審理されるべきであり、その成り行きを注目したいと思います。
4 再発防止と戦略の在り方
  刑事裁判は証拠に基づいて厳格に判断されるべきもですので、真相どおりに認定されるとは限りませんが、本事故が戦略上の誤りに起因しているのが真相であるとすれば、それに即した再発防止策を講じる必要があります。そのためには、「安全優先」を名目的に掲げれば済むものではなく、具体的に企業運営の中で戦術として確実に継続して実行されていなければなりません。利益を重視する経営者であれば、自ら積極的に経営実態に目を光らせ、時々刻々変化する損益の変動を具体的に把握するために、部下に適時適切に報告を求め、指示を下しているはずで、安全についても、それを利益より優先するというのであれば、部下任せの放任ではなく、同様以上に対応すべきは当然です。
(おわりに)
 本事故は、日本を代表する企業によるもので、それだけに日本企業の諸々の特性、体質等が絡んで発生した事故で、同社の「日勤教育」の是非という労務管理の在り方を含め諸々の教訓に満ちています。なかでも戦略上の誤りは重大な問題で、早期発見、早期是正が求められますが、経営者にその自覚が乏しい場合は、刑事責任追及という手法(刑事手続)の中で責任を解明する以外になくなります。これからの経営者には、既存のルール(法)を単に消極的に「遵守」するのではなく、法の理念(正義)を経営戦略の中心に組み込み、時代の変化を深く洞察した誤りなき経営方針策定の羅針盤とすることを期待したいものです。

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