« 令和5年3月例会報告 | メイン | 令和5年5月例会報告 »

令和5年4月例会報告

日時  : 4月13日  木曜日
      18:30 ~ 20:30
場所  : 港区立産業振興センター
       10階 会議室3
会費  : 1000円
テーマ : 「東西古今人間学5」後編
      テープを聴く
演者  :  古川 元晴

4月例会において、聴取したテープの内容とそれを踏まえた議論の内容の要点を報告すると、以下のとおりです。
【テープの要点】
1 テーマ:「当たり前のことをやった毛沢東」(後編)
 城野先生は、毛沢東を評価する視点を、誰でも理解できる「当たり前のことをやった」という点においています。これは、物事を議論する上で、一見すると難しいことでも、実は誰でも理解できる易しい視点があることを教えているということです。
 城野先生は、如何なる問題についても、脳科学を基礎において、実に平明に説明していますが、毛沢東についても同様であり、学ぶべき点であると考えます。
2 内容
(1)毛沢東は勝つ戦いしかしない
○要点は、勝つ戦いだけやって、負ける戦いはしないということです。
○勝つための戦い方の要点は、次の点です。
①兵力の差、情報の差を知ること
 ②深追いはしないこと
 ③「できないことはするな、できることからしろ」
(2)毛沢東の戦いは情報に基づく戦い
○勝つためには情報(現状)を収集・分析し、作戦(理論)を決定する必要がある。
○毛沢東は、村々に大勢いる貧農に依拠していたので敵の情報も逐一入り、その情報に基づいて戦っていた。
(3)党中央の教条主義の誤り:現実から遊離した理論で戦う
①毛沢東のやり方に党中央から農民主義であるとの批判が出てきた。我々はプロレタリアート、労働者の党だから、農民を主にした戦いのやり方は共産主義の原則からはずれていると批判しだした。
②当時の共産党の中央は、マルクス・レーニン主義を標榜し、原則で事を運ぼうという人達が指導の地位にあった。
 ③どのような理論かというと、中国社会は封建主義の国だから、社会主義社会に行くためには、一度資本主義社会を通過しなければならない。そのためには、ブルジョアジーの革命が必要だだと考えていた。
④アルクス・エンゲルスの書いた『共産党宣言』に書いてあることをそのまま中国にも適用しようとした。ヨーロッパの現実をみても、現実に一番遅れていたロシアが社会主義をつくり、マルクス主義とは反対なことが起こっているのに、そうした現実は見ていない。そのため、主導権をすべて国民党に預けてしまい、軍隊も、自分が指揮官ではなく、国民党の指揮権の下に動いた。
 ⑤国民党の方は、上海を取れば共産党はじゃまなので、4十数万人の共産党員を虐殺した。上海を追放されて瑞金まできて、党の中央を作っていたが、陳独秀が退いて、李立三になり、王明になっても、ずっとこの調子だった。
 ⑥その頃、毛沢東は貧農で飯を食えない連中を集めて革命をやっていたのに、党の中央は全国の労働者に武装蜂起をさせようとして、武器を渡し武漢や上海の労働者を戦わせた。しかし人数は少ないし武器も少ないので、すぐに敗けてしまい、この方針は、国民党に殺される共産党員の人数を増やすだけに終わった。
 ⑦教条主義というか、理屈だけで現実をみない指導者が上に立つと、大変なわけ。中国ではこのため、三十万人にふくれあがった軍隊が、延安についたときには二万人、という話になってしまった。
(4)党中央の誤りを克服した毛沢東論文:確かな現状分析
①毛沢東は、党中央の教条主義的な考え方に対し、自分の行動の正当性を論文の中で明らかにする必要があった。
 ②彼は、中国の社会は封建社会ではなく半封建社会でもう半分は資本主義社会だとし、中国は国民党に作ってもらうまでもなく、もう半分は資本主義社会なのだから、我々は、あとの半分の封建社会を倒す反封建闘争をするのだということ。封建社会はどこにあるかというと、農村の中にあり、その農村の地主を倒すことに精力を傾ければいいということを言った。
 ③一方、半資本主義だから、都市の労働者は味方で、これは組織しなければいけない。しかし、まだ都市は国民党の力が強い。強いところからやるのはまずい。弱いところからやる方がうまくいく。農村には地主はいるが、国民党の部隊の多くは都会にいて、その力は農村では弱い。弱いところからやった方がうまくいく。だから農村から初めていく。これは物事をよく見ていなければ言えないこと。
(5)毛沢東の独創的な戦略構想:独創は確かな情報(現実)の収集・分析から生まれる
 ①井岡山で、毛沢東は、都市での戦いは難しいから、農村をまず組織し、その農村で都市を包囲するという戦略構想を打ち出した。これは毛沢東の独創といえる考え方。
 ②ソ連の革命はレンングラードなど都会地で起こり、労働者が鉄砲を持って戦った。毛沢東の革命は農民も貧農をよりどころにして戦い、敵から武器を取り上げ、地主から飯を出させ、やったわけで、これは、農村調査で、農村の実態をよくつかんでいたからできたこと。

【議論で取り上げた主な事例】
(1)文化大革命:教条主義に陥った毛沢東
 ①毛沢東が主導した文化大革命は、1966(昭和41)年に始まり1976(昭和51)年まで続いたとされており、その目的、内容については種々の見解がある。
②一方、今回の城野先生のテープを聴いてみると、毛沢東は、貧農に依拠して1949(昭和24)年に中華人民共和国を樹立することに成功したが、その後もその成功体験を誇固持し続けて、更なる中国の進歩発展を目指した勢力を「走資派」と酷評してその拡大を止める方に立ち、文化大革命を起こしたと評価できるのではないかと思われる。
  ③かっての偉大なる指導者も、時代の動きを見誤ると教条主義に陥るということを自戒する必要がある。
(2)ソニーと東芝の明暗:時代の変化への対応力の差
①原発推進の国策に乗った東芝:現状維持
・米国WH社を買収→赤字→粉飾決算でごまかす
②「国賊企業」と呼ばれたソニー:現状変革
・テレビを中心としたハードの会社からソフトウエアが主体のプラットファームの会社に変わることを目指した
(3)株式会社デンソー東京支社長講演『日本は開拓力を取り戻せるか』:時代の変化への対応どこまでできるかの挑戦
①1949年、豊田の赤字部門が分離独立
②長期的経営戦略+研究開発システムの強化
③2008年リーマンショックへの対応:全社員が一斉に即場を離れて苦境打開のアイデアを検討
④未来の脱移動社会への対応を検討中
(3)研究者(人材)の雇い止めラッシュ:有期雇用10で打ち切り
①2013年施行の改正労働契約法:契約期間が通算5年を超えた労働者は、無期契約転換の権利を得る。
②研究者など一部職種は、人材確保などを理由に特例で通算10年で権利を得る。
 ③この法律改正は、労働者の地位向上を目指したものであるが、その運用は、逆に解雇促進となっている。
 ④日本が技術立国を戦略とするのであれば、誤った戦術を採用していることになるのではないかが懸念される。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)